第2章

011 ヴァルキリーズ(前編)


 その部屋は夜空を閉じ込めたようだと、誰かが言った。

 黒水晶でできた部屋に窓はなく、僅かに灯された蝋燭のみが朧げに柱の輪郭を照らし出す。その柱を覗きこめば不純物が星のように煌めき、天井は宇宙を覗いているように美しかった。

 そしてその部屋の中心には同じく黒水晶でできた巨大な円形のテーブルがあり、その周りに9の椅子が等間隔に置かれている。


 そして今、その椅子には5人の男女が静寂を守るかのように座っていた。


「これは皆さん、ごきげんよう。」


 静寂を打ち破ったのは、水晶の壁から現れた一人の男だった。

 その男は幽霊になった貴族のようだった。左右均衡のとれた顔立ちに長いまつげ、短く綺麗に整えられた銀髪は雪のように煌めていた。しかし頬は痩せこけ、肌は蝋のように冷たく、瞳は輝きを失ってくすんでいた。右の額から頬にかけて爪でひっかいたような傷跡があり、彼が微笑むとその傷から顔に罅が入った。

 また、その格好も怪しげであった。真珠よりも白い軍服の上に濃い紫のコートを羽織った姿は、奇抜ながらすらりとした彼の出で立ちを際立たせている。腰に細い鎖が巻き付けてあるが、その歩みは物音一つなく、床の上をまるで漂っているかのようだった。

 そんな男の挨拶に言葉を返したのは、金髪の青年だった。


「あなたが遅れるとは珍しいですね。ウォルプタース隊長さん。」

「あはは。これは失礼。アクア連邦の軍艦を撃退するのに手間取りまして。」


 ウォルプタースはそういって、金髪の男の隣に座る。そうしてから、彼は周囲を見渡して首を傾げた。


「おや?ベルルム殿が見当たりませんが、本日は不参加ですか?」

「そうさ。未だに暗殺が成功していないからね。まったく、暗殺なら私の出番だってのに。」


対面に座る黒衣の女の声を聴いて、ウォルプタースは指を鳴らす。


「ああ、そうでしたそうでした。あの『反乱の王子』の暗殺、でしたね。

 仕方ないのですよ、ウィオレンティア。あなたは当時、別件で任務がありましたし、今もオクルスを追ってもらわねばなりませんから。

 ……まあ、妙に時間がかかっているのは否定しませんがね。」

「仕方があるまい。相手はアクア連邦の超新星だ。いかにベルルム卿と言えど、そう簡単にいくものではあるまい。」


 テーブルの右奥に座っている赤毛の男が腕を組む。蜂のような切れ目は右は赤く、左は黒い。綺麗に整えられた顎髭と赤い伝統装束は、彼が生粋の貴族であることをうかがわせた。


「ルーフスさん、それほどまでにその相手は強いのですか?」

「ああ、そのようだ、フラーテル。まだ噂程度の情報しかつかめてはいないが、テッラ王国オドアケル将軍と何度もしのぎを削っているそうだ。」

「ほう。オドアケル将軍と言えば、テッラ王国の三大将軍にして英雄。それと互角とは……知略武力を備えたやっかいな強敵のようですね。」

「まあ、ベルルム卿を相手にしては生きてはおれんだろうが、な。」


ルーフスの言葉に、ウォルプタースは大げさに肩を竦めて見せる。


「しかしベルルム──“戦争”と呼ばれたあの御方が暗殺家業にいそしまなければならないとは、何とも困った話ですねぇ。本来ならこういう役目は一匹狼のオクルスが適任でしたのに。いやはや、人員不足は深刻だ。」

「何を言うかと思えば、その原因をつくったのはお前ではないか、ウォルプタース。

 ファーフナーを見殺しにし、サクスムを放置し、そして3年前に暗殺の適任者はベルルム卿だと言ったのは。」

「はて、そうでしたかねぇ。そんなような気もしますし、そうでないような気もしますねえ。歳、ですかねえ?ふふふ。」

「……ふん、食えん奴だ。」

「そろそろ良いか。」


 最奥に座る老躯の男の声に、場が静まった。その声は心臓を突き刺すような冷たいものだった。しわがれた声に乗ったその冷気が、部屋の気温を一段階下げる。


「今回の定例会議は、話すことが山積みだ。大きくはアクア連邦との戦争の終結、裏切りのヴァルキリーズ、オクルスについてだ。まずは現状報告を聞きたい。

ウォルプタース、報告を。」





「──では、和平交渉は以上のように執り行うと言うことで、決定でよろしいですね?モルス殿。」

「ああ。」

「痛み分け、か……」


 モルスと言われた老躯の男の頷きに続けて、ルーフスが肘をつく。


「ここ最近、カエルム帝国の状況は芳しくない。できれば敵将の首1つでも刈り取って盛大に告知したいところであったが……」

「いやぁ、無茶を言わないでくださいよ、ルーフス殿。相手はアクア連邦最大国家、【イースラント】。それに加えて『老翁』もいたんですよ?あの女王様も大概ですが、あのご老人も恐ろしい戦士。それに対して私はしがない軍師。敵将の首を取れるような力は、残念ながら持っておりませんのでねぇ。」

「……はぁ。全く、お前はいつになったら本気になるんだ?ウォルプタース。」

「いえいえ、いつも本気ですとも。」

「まぁ、良いじゃないですか。」


フラーテルが二人の間に口を挟む。


「今はどちらも、内政状況の方が大変ですから。」

「──」

「ふふふ。そうですねぇ。いやはや、本当に。」

「笑えねぇぞ、おっさん。」


 ウォルプタースをウィオレンティアはきつく睨み付ける。


「あのくそ野郎が裏切ったせいで、この国はいろいろまずい事態になっているんだ。

 ただでさえ今は“王の病”のせいで政治が乱れている。そんな時に、騎士の裏切りなんぞが起きたんだ。この上更なる問題が起きてみろ。この国は終わりだぞ!」

「言葉を慎めウィオレンティア!!」


清く威厳の込められた檄が、闇を貫く。


「その言葉は王を侮辱するものだ。お前の言動は目について余りあるが、そのなかでも今の言葉は極め付けだ。このルーフスが審問官であることを知っての上でのふるまいであるならば、すぐさまその罪にまみれた首は胴体からすげ落ちることになるぞ。

──たとえ、それが真実を語っていようとも、だ。」

「……ふん。」


 場が静かになったところで、やれやれとため息をつきながら老人モルスは口を開いた。


「では、その国の存亡がかかった方の報告をしてもらおうか。フラーテル。」

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