010 別れ(後編)
「今の光は──」
突如曇天を穿った閃光を見て、フレイヤは少し怯えたようにコウスケに尋ねた。
「フラーテルの魔法だ。」
「魔法!?あ、あんなすごい魔法があるの!?あの光が通った空の雲が、一瞬で弾き飛ばされてしまったわ!?」
「ああ。あいつは強い。間違いなく、この国最強の騎士の1人だ。」
コウスケは空に穿たれた一筋の“穴”を眺めながら、苦々しく呟く。
彼らは元居た洞窟から3つの山を越え、さらに別の山の中腹に降り立っていた。右も左も雪を被った樹木が聳える広大な森の中。夕暮れを告げる烏の鳴き声が彼方から聞こえる、とても寂しい場所だった。
そんな中、空を見上げる少女を見て、コウスケは静かに尋ねた。
「……フレイヤ……その、平気か?」
「──え?え、ええ。大丈夫よ。」
フレイヤは未だ震える腕を握り、同じく小刻みに震える口を開いた。
「そ、そう、ね。大丈夫よ。おじさんのさっきの、ええと……グライダー?という魔法?も、大丈夫……ううん、すごかったわ……!
わたし、空を飛べるとは思っていなかったもの。こんな大変な目にあっているのに不謹慎だけれど、空の旅は……ええ、そう、面白かったわ!」
「…………」
「……ねえ、おじさん。」
フレイヤは大きく深呼吸すると、コウスケに尋ねた。
「もう、大丈夫、よね?」
「……ああ、しばらくは奴らも追いつけないだろう。だが、安全な場所はこの国にはない。だから、まだ逃げなくてはならない。」
「あの、おじさん。たしか彼らは『ヴァルキリーズ』だって、言っていたわよね?」
「……そうだ。」
フレイヤはコウスケから視線を逸らし、足元の雪を見つめる。
「でも……ヴァルキリーズって……確か、父が属したこの国を守る騎士の方々よ?
そんな人たちが、どうして、あなたを追っているの?」
「……」
コウスケはフレイヤから視線を逸らし、頭上の雲を見つめた。
「……俺は、裏切ったんだ。」
「裏切った……?」
「ああ。あるモノを盗み、
俺は……ただの、罪人だ。」
「それは──」
彼女は言葉を飲み込んだ。
彼女は父ニョルズが優しく愛にあふれた人だと言うことを信じて疑わなかった。だが、”悪いこと”をして処刑されたという事実は変えられない。彼女は父がなぜこの国を裏切ろうとしたのかを知らなかったが、それはきっとやむを得ないことだったと考えて、それ以上知ろうとはしなかった。
知ってしまえば、もうそれを知る前の、自分の知っている家族ではなくなってしまう気がしたからだ。
──だから彼の言う『罪人』の正体を知ることを、彼女の心は拒絶した。
「こ、これからどうするの?」
彼女はかぶりをふって話題を逸らす。
「この国は危険だ。だから……アクア連邦へ逃亡する。目的地は、【ノーアトゥーン】だ。」
「ノーアトゥーン──」
フレイヤはその言葉を復唱し、コウスケに尋ねた。
「……そこが、故郷、なの?」
「……まぁ、そんな感じだ。」
「そう、なの……」
彼女は悴む両手を強く握りしめる。その姿はまるで寒さに凍える小動物のように、一回り小さく見えていた。
「どうした?」
「……いえ、その……」
フレイヤは小さく息を吸い込み、コウスケの問いに答えた。
「【ノーアトゥーン】。その地は──父の生まれた場所だって、聞いているの。」
「!?」
「父は、アクア連邦からこの国に渡ってきて、この国で騎士になった……そう、聞いているわ。」
コウスケは目を見開き、ひどく驚いていた。そして彼は二人の間に吹いた風が通り過ぎるまで、一言も言葉を発せずにいた。
「そう、だったのか……」
彼は瞳を閉じて、小さくつぶやく。
そして大きく息を吸い込むと、フレイヤに向かって言った。
「フレイヤ。俺は、これから3つ隣の街【ユーダリル】に向かう。
ただ……ここまで……なし崩しに連れ出してしまったが、彼らが殺そうとしているのは、俺だ。」
「……おじさん?」
「俺は、君を巻き込んでしまったんだ。それは、本当にすまないと思っている。
……だから、これ以上、君を巻き込みたくはない。こんな人里はなれたところにまで連れてきてしまったが、今ならまだ引き返せる。」
「え?」
「ウィオレンティアは危険だが、他のヴァルキリーズは違う。フラーテルやルーフスに、俺に連れ去られたと言えば……君はきっと助かるだろう。」
「それは……」
フレイヤはしばらく答えなかった。けれど大きく息を吐き出して、コウスケに言った。
「わたしはあなたを責めたりしないわ。だって、あなたはわたしを守ってくれたもの。」
「それは──」
「それに、あの山であなたは言ったわ。
彼等が、
あの人たちが狙っているのは、
「……」
「あの黒い影の人は、わたしを殺そうとしたわ。あの人には、明確な殺意があったって、それくらい、わたしにも分かるわ。
どうしてこんなことになっているのかは分からないけれど、“
だったら、もう、わたしに選択肢なんてないわ。」
「──すまない……」
彼女の答えに、彼は歯を食いしばり、後悔に顔を歪ませた。
「どうしておじさんが謝るの?
きっとわたしが狙われていることと、おじさんが狙われていることは別なんだと思うわ。
……だって、わたしの父は──」
言葉の最後をフレイヤは飲み込み、
「謝るのは、わたしの方よ。
あなたを引き留めたのはわたしだもの。本当は、一刻も早く街から遠ざからなくてはいけなかったのよね。ごめんなさい。」
「そんなことは──!!」
強く否定しようとしたコウスケは、その先の言葉を言えなかった。
どうして自分があの街に来たのか、それを言うことが。
「だが……たとえそれでも……このまま俺と一緒に来れば、この国の全てを敵に回すことになる……そんなことは──」
「おじさん、知っているのでしょ?あの街で、わたしがどんな目に遭っていたのか──だから、あの時助けてくれたのでしょう?」
彼女はコウスケに向かって笑顔をつくる。
「わたしは最初からこの国の全ての人に、嫌われているわ。今更そんなの、気になったりしないから、大丈夫よ。」
「──ッ!」
コウスケはその無理に笑う悲しい瞳から、顔を背けた。見るに堪えないと、そう言いたげに。
そして、
「だから、あの街に、もう戻る理由はないの。
父と母と過ごしたのは確かだけれど、幸せな時間は長くはなかったし、それよりも、“痛いこと”の方が、多かったから……」
「フレイヤ……」
「それにね。」
フレイヤは胸に手を当て、言葉をつづけた。そこにある大切なものを確かめながら。
「それに、わたしは……ほんとうは、ちゃんと、分かっているの。
父が処刑されて、もうきっと母も、帰っては来ないんだって。」
「─────────」
「だから、これはいい機会だわ。
わたし、ずっと諦めきれなかった。
いつ帰ってきてもいいようにって、毎日を過ごしていた。
毎日お部屋を掃除して、布団も干して、食器を綺麗に磨いたわ。
……ずっと、もしかしたらって、ありえない望みに縋っていたの。
ありもしない希望に縋って、ずっと──痛いものに、耐えていた。」
「──ッ!」
「だから、あの家に戻る理由は、ないの。」
彼女はコウスケに背を向け、一筋の夕焼けが見える灰色の空を見上げた。
「それに、それよりも──そんなことよりも、わたし、父の生まれた国に行ってみたいわ。」
「……」
「変な話よね。命を狙われて、死にそうになったのに、旅がしてみたいなんて、おかしいわ。」
「いや……そんなことは……ないさ……」
彼はそう言うことしかできなかった。
全ての”真実”を知っている彼だからこそ、その言葉には強い後悔があった。彼は視線をフレイヤに戻し、その小さな背中を今にも泣きそうな顔で見つめていた。
「だから、わたしも──行くわ。」
もう見ることすら叶わない山の向こう側にある我が家を見つめて、彼女は言った。
夕日は終わりを迎え、久しぶりに顔を見せた太陽は既に山の向こうへと沈んでいる。最後に残った小さな太陽の光は星のように瞬き、いつまでも夜に抗った。
けれど──
「あ……」
消えていった瞬きに、少女は小さくつぶやいた。
「……お母さんの布団、干すの、忘れちゃったなぁ。」
金色の流星が、その頬を流れていった。
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