004 黄金の涙
朝。コウスケは聞きなれない音で目が覚めた。
それは、心をざわつかせる不穏な音。全ての不安を具現化したような、強烈なうめき声だった。
「フレイヤ!?」
コウスケは飛び起き、枕の下に隠した武器をかっさらう。
「そんな──!まさか、まさか──奴らがもう──!」
彼は階段を飛び降り、そのまま転げ落ちるように居間へと向かう。
「フレイヤ無事か──」
彼は言葉を失った。
眼前で起きていることが、理解できなかった。
彼が想定していた“最悪の事態”ではないことは確かだったが、その目の前の光景は“よいもの”ではなかった。
「え──」
フレイヤは駆け込んできたコウスケに心底驚いていたが、同時に彼が自分の持っているものを凝視していることに気が付き、慌ててそれを後ろに隠した。
「あ、あの……ええと、お、おはようございます!」
「な、なにをやっているんだ!」
何事もなかったかのようにふるまおうとするフレイヤだったが、彼はそれを見過ごさなかった。彼は彼女が隠した真っ赤な火掻き棒を奪い取り、暖炉の中に放り込む。
「こんなものを腕に押し付けたら、ただの火傷じゃすまないだろ!!」
「そ、その……」
「フレイヤ、一体どうして──」
その時、コウスケは気が付いた。彼女の右眼から流れる涙が、黄金に輝いていることに。
「お前……」
「あ、こ、これ?」
フレイヤは金の涙をぬぐうと、無理に笑顔を作る。
「生まれつき、なの。金の涙を流すのは。」
「まさか──」
彼は周囲を見渡し、昨晩は気が付かなかった真実を見た。
家の中にあるモノは、何の変哲もない普通の一般家庭にあるものとは違っていた。
本棚には新旧問わず名の知れた書物がずらりと並び、そのどれもが片手で掴めないほどの厚さもあった。床には美しい刺繍の施された絨毯が広がり、テーブルには金や銀で縁取りされた陶器があった。
そう。その家の内装は、「貴族の館」のものだったのである。
そして彼は昨日食した食材を思い出し、体を震わせた。
身寄りのない孤独な少女の生活にしては、
この極寒の地でさらに辺境ともなれば、あれだけの食材を手にするには
「……フレイヤ、君はこの10年、どうやって生活してきたんだ?」
「それは……」
「──まさか、10年間ずっとこんなことを!?」
フレイヤは静かに頷く。
「な──」
「でもね、でもね!
この世界では、
だから、大丈夫よ。」
「──ッ!」
コウスケは言葉を失った。無理に笑う少女の笑みは、耐え難いほど痛々しかった。
10年前、ということは彼女が一人になったのは5歳の頃である。働ける訳もなく、たとえ何かしらの働き口があったとしても雀の涙程度の報酬しか得られない。であるならば持っているものを売るしかないのだが、この家の中のものは何ひとつ欠けていなかった。全てのものが美しくそこにあるべくしてあった。
「生まれた時からずっと使っている」──昨夜の彼女の言葉が男の脳裏でこだまする。塵ひとつない床、誰も使っていないはずの柔らかな布団、家の中にあるすべてのものの手入れの念入りさから、彼はすぐに分かった。
彼女は孤児になってからの10年間、一度も家の中にあるものを手放していない。
彼女が何を守り、何故そうまでもしてこの10年間を生きてきたのか、その理由を。
そんな状況で齢5歳の少女が10年もの長きにわたり、たった一人でどうやって“普通”に生活してこれたのか、その事実にコウスケは戦慄し、そしてそれを疑問に思わなかったことを
そして同時に、それを作った
「この世界は、もう1000年以上、狂っている。」
かつてある人物が言ったその言葉が、彼の脳裏に蘇る。
「……まってろ。」
コウスケはそういうと窓から外に飛び出し、そして瞬時にまた彼女の元に戻ってきた。
「少し痛むが、我慢しなさい。」
「っつ!」
彼女が痛みの走った腕を見つめると、そこには真っ白な雪があった。
「本当なら流水で冷やすといいんだが……この気温では井戸も凍っている。今はこれが最善だ。しばらくこのままにしていなさい。」
そういうと、彼は駆け込んできたときと同じ速度で部屋に引き返し、あるものを持って戻ってきた。
「……それは?」
「薬だ。」
彼は持ってきた薬と家の外で集めた雪を混ぜ合わせ、それを薄い布の上に置いた。そして暖炉の炎で雪を溶かし、薬が布に染みこんだことを確認すると、慣れた手つきでフレイヤの腕に巻きつけ始めた。
「よし。あとはこの包帯で……」
素早く治療を施すコウスケを見て、フレイヤは静かに、そして驚くように言った。
「おじさん、優しいのね。」
「……昔とった杵柄だ。俺は昔、火傷を負った人々によく会っていてな。応急処置の方法については詳しいんだ。」
「おじさん、お医者さんなの?」
「いや、違うが……さ、これで大丈夫だ。」
彼は包帯を巻き終え、その痛々しい腕を険しい顔で見つめた。
14歳の少女にはとても似つかわしくない無数の火傷の跡が、粉雪のような肌にくっきりと残っている。
フレイヤがお礼を言っているのが聞こえたが、コウスケにはその腕の傷から目が離せなかった。そして──
「フレイヤ。ちょっとまっていなさい。」
彼はそういうと静かに部屋に戻り、そして小さな包みをもって戻ってきた。
「もし何かが必要なら、今後は……これを使え。」
「え?」
彼が片手で差し出したその包みは、ひどく重かった。フレイヤはそれを両腕に抱えなければ持つことが出来ず、そしてその中身を見て目を剥いた。
「だ、だめよ!こんなの、受け取れないわ!だってこれ、全部金貨じゃない!」
「ああ。そうだ。俺の”手持ち”だ。これだけしかないが、受け取ってくれ。」
「そ、そんな!こんな大金、もらえないわ!!だ、だって、こんなの、それこそ10年分の涙と同じだわ!」
「いい。お前には……
「そんなの、釣り合わないわ!わたし、命を救われたお礼におじさんをこの家に招待したのに、これじゃぁわたしがもらってばっかりだわ。」
彼女は金貨の包みをコウスケに押し返し、両腕を後ろに組んだ。
「わたしなら、大丈夫よ。父と母の思い出も、神様がくれた指輪もあるわ。だから、そんなに優しくしてくださらなくても、大丈夫なの。」
「……」
コウスケは頑として受け取ろうとしないフレイヤを見て困惑すると同時に、分からないなりにもある悟りに至った。
「なら──」
彼は袋から1枚の金貨を取り出し、フレイヤの前に差し出す。
「
「え?」
きょとんとしたフレイヤから、コウスケは視線を逸らす。
「その……俺はまだ、傷が癒えていなくて、歩けそうにない。だから……もうしばらくここに住ませてほしいと思っている。君さえ良ければ、だが……」
その
「ええ、ええ!いいわ!だって私、お話がしたいもの!
私、街では人と話ができないから、いろんなことを知りたいの!」
「そうか……。なら、俺は君に宿代、食事代、そして街に行くまでにかかる経費を含め、毎日金貨一枚を支払おう。」
「ええ!?そんなの、それでも多いわ。」
「いや、実はおじさんは、料理が出来ない──いや、家事が全くできないんだ。だから、君に大変な迷惑をかけてしまう。それを考えると、この金貨1枚では足りないくらいだ。」
「そう……」
フレイヤはその金貨が対価としてふさわしいとは全く思わなかったが、彼がここにまだしばらくいると言うことが、何よりうれしかった。
だから少女は大事そうに金貨を両手で受け取り、老けた男に笑顔を見せた。
「ありがとう。」
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