第14話
雨が降り出していた。
雨は水よりも透明だ。
雨と水が別物とか、そういうわけじゃない、本質は生活上の水と同じだ。
飲めば水の味がする。と言っても、往々にして雨水は身体に悪いと言われているし、実際衛生上よくないから実際に飲むことはない。しっかりと浄水の過程を踏んで、いずれ私たちの身体へと届く。
だがそうすると、雨はどこかその色に濁りを持ってしまう。十分透明ではあるのだが。
濁りを持つ前の輝きは、空から降り注ぐこの瞬間だけしか見ることができないのだ。
「ぬるい……」
窓辺に立てば、晩秋の冷気を帯びた雨が降り注ぐ。いっそ雪でも降ってくれればもっと良い景色が見られるのだが、今はまだそんな季節じゃない。
「さて」
いつまでも眺めているわけにはいかない。グラスも片付けて、明日のお弁当の下拵えを始めよう。彼女は何が好きだったかな。
キッチンに立つ、料理をする、ご飯を食べて、片付けをして、本を読んで、お風呂に入って。
なんてことはない、いつもの世界。
湯から上がる頃には、陽も落ち始めて夕空が広がっていた。
雨も上がったようだ。
窓を開けて、裸足のまま濡れたベランダに立つ。両親がいたら、湯冷めしてしまうと怒られるだろうか。
だけどどうしてか、雨を見ると近づかずにはいられない。触れていたいと、そう思ってしまう。
昔はそんなことはなかったのだが、いつの間にか雨に惹かれるようになってしまった。いつからかだろうか?この仕事に就いてから?
労働の風に当てられて、心が潤いを求めているのだろうか……なんて。
「さむ……」
流石に冷えてきた。
風邪をひいてはいけないしそろそろ部屋に戻るとしよう。
明日は実地調査だ、どんな遺れ物が待っているのかな。
「はいお弁当」
「おおお……これがミオさんのお手製弁当……」
「まだ開けちゃだめだからね」
「いやいやー流石に」
早朝、管理センター本部の玄関前広場で2つの調査班が混交して出発前のしばしの談笑。
私は約束通り、サリアに作ってあげたお弁当を手渡して同じ様に言葉を交わす。
今日は寒いから、お弁当はのよくできる容器にいれてある。だから白いご飯も卵のスープもきっと、いや間違いなく冷えた身体を温めてくれるだろう。
彼女にそのことを伝えると、神々しいものを見るような表情で手を合わせられた。お辞儀までして何と大袈裟なことか、でもこれがいつもの彼女。
今日の調査でも行く先が同じなら、卵のスープもいらないぐらい暖かかったかも知れない。
「あっ、そろそろ時間ですねー」
「本当だ、じゃあまた」
そうこうしている内に出発の時間が迫ってきた。他の班員達もやがて別れ、それぞれの班で装備点検を始める。高い雪山や深い洞窟に行くわけではないので防寒着の下は至って普通の作業服だ、持ち物もそう多くない。
「海岸班異常なし、体調が優れない人は早めに言うようにして下さい。では出発します」
班長の一声で20人弱の人溜まりは動き出した。
さて、今日もお仕事開始。
小型のバスで1時間、街から原へ、原から山へ曇空の下を進む。山を下る頃、ごつごつとした岩場が木々の隙間から姿を現した。その後バスはすぐに長いトンネルに入ったので、ほんの数秒見えただけだがお世辞にもあまり綺麗とは言えない海だった。曇空のせいで余計に荒れて見える、いかにも自然の海岸といった感じだ。
これなら報告された物以外に何が見つかっても漂流した小舟か、くたびれた釣り糸ぐらいじゃなかろうか。新人達がまたゴミ拾いボランティアと化してしまいそうだ。
別に管理センターはゴミ拾いのボランティアじゃないのだが、発見したゴミを放置しておくわけにはいかないので仕方ない。いやしかし、賃金をもらっているわけだからボランティアとは言えないか……
光が近い。くだらないことを考えている間に随分と走ったらしい、反響から解放された走行音を合図にトンネルを抜ける。
「あ……」
一拍置いて、車内の誰もが目前の光景に小さく感嘆した。
左の車窓を覗く先に、海岸線をぶったぎる大きな建物が佇んでいた。
朽ちたドーム状の屋根からは、鈍色の煙突の様なものがそれはそれは高く突き出している。
よく見れば灯台のようにも見えるだろうか?
その足元、所々から四角くせり出した海岸線続いている。これは、港か?
当然、地図にはない廃港だろうが、こんな所にここまで大きな
数分後、バスからぞろぞろと降りた一行は真っ先にあの灯台に似た円柱の生えたドームへと向かった。
近づいてみれば、錆び廃れてはいるが遺物とは思えない程、相当に立派な建物だ。先行隊が分厚い作業服とガスマスクを着けて屋内へと入っていく、毒物や爆発物の残留がないか確認したり崩落の危険性をチェックするためだ。
割と大きな建造物なので少なくとも3時間はかかるだろうとふんでいたのだが、先行隊はものの30分程度で建物から出てきた。
その間に周囲の調査を始めようとしていた班員も、ゴミ拾いに勤しんでいた新人たちもその早さに驚いていた。
稀なケースだが、毒物や崩落の危険性が確認されるとその時点で隊は報告のために引き返してくる。
今回はダメだったのだろうか。
しかし、他の班員達がひそひそと話すのとは裏腹に、先行隊は大きく腕をあげて頭上で丸を作った。
安全性が確認できた合図だ。
周囲から、え?という声が漏れる。
無理もない、私だって驚いた。この規模の遺物でここまで迅速に安全性が確認されたことなど今までない、それほどに頑丈で安全な建物ということか。
帰還した先行隊に班長が声をかける。
「ご苦労さん、ずいぶん早かったな」
「はい、危険どころか有害物質の反応もありませんし崩落の可能性も皆無です。内部の錆びも少ない、相当丈夫ですよ」
「そうか、では今すぐにでも……」
先行隊のリーダーと班長の会話を横目に班員達はせかせかと準備をしている。
私の役割は解析だが、採取されたものをセンター内で解析すれば良いので、その点ではそもそも現地に赴く必要はない。
ただ、現地で対象物の発見時の状態を記録したり他の班員とコミュニケーションを取って情報を集める必要がある。
特別な機材や大きな荷物は必要ない。班員達のようにせかせかと準備をすることはないからほんの数分は暇になるが、もうじきそれも終わるようだ。
班長が張った声で狼煙を上げる。
「各自準備は良いか、ではこれより
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