第9話

 ────────────

「さて」

「今日はいよいよ灯台砲設置工事の竣工式です。式は11時からですが、皆さん遅れないようにお願いします。私とルフォンス室長は先に港の方へ向かいますので。何かあれば個人線で連絡して下さい」

 20名弱の研究員と職員が集まった研究室の朝。

 前に立つのは、少しばかり背の伸びた私と隣には長身長髪、端正な顔立ちの元気な女性。ルフォ……

「ゔっっっ」

「お堅いぞ灯台砲主査ちゃん!」

 バンと背中を叩かれて思わず苦しそうな声が出てしまった。

 叩いた手の先は、室長のルフォンス・ベーグエリア。ルアさんだ。

「痛いですよルアさん……」

「はっ!ごめん!かわいい乙女の身体に気合いの鞭を打ってしまったわ……」

 薄赤紫色の長髪を大袈裟に振って何か言っている。

 今日がめでたい日だからか、いつもに増して朝から元気な人だな。

「でもお堅いのは本当。もっと肩の力抜きなよ」

「それは……ふぅ……そうですね、ちょっと気が張ってるかも。ありがとうございます」

「うんうん……で、なんだっけ?次私の話?まぁー必要なことはミオちゃん主査が言ってくれたと思うし、特に無いかなー」

「(その呼び方やめて欲しい)」


「……ということで。連絡事項は以上です、何かある方は」

「はい」

 一人の男性が手を挙げた。黒髪の真面目そうな若い男性だ。

 何だろうと聞く姿勢を準備しようとしたが、何かを抱えてこちらへ向かって来る。

「主査、おめでとうございます」

 小さめの花束を祝辞と共に渡され、次の瞬間前方からは大きめ拍手が沸いた。

 ルアさんなんか泣きそうに……あ、泣いた。

「あはは……お疲れ様は皆んなお互い様だと思いますが。うん、ありがとうございます。私からも……いや式までとっておきましょうか」

「現場視察に行ったことがない方が多いと思いますが、きっと驚くと思いますよ。楽しみにしていて下さい」

「では、また後で」




 挨拶を済ませ、2人で灯台砲の建った港へ向かう。

 列車の座席に腰を下ろしてすぐに、ルアさんは寝てしまった。

 今朝の元気さからは想像もつかない、静かな寝顔。寝息のひとつも聴かせずに、鮮やかな長髪を傾けている。

「喋らなければ絶世に美人なのに……」

 彼女の場合、こんな小さな呟きも聞かれている可能性があるが、反応が無いところを見るとどうやら本格的に眠っているようだ。

 これだと暫くは静かに揺られるだけになりそうだな。


「……」


 資料を盗んだあの日から、眠れなかったあの夜から、一体どれくらい経ったのだっけ。

 明くる日も翌る日も研究は続いた。

 ずっと一人で『霧』の、いや今は『雨』になったんだ。その研究。

 ケイさんの残した形を歪めることは少し抵抗があったが、雨の形をとる方がどう考えても都合が良かった。

 盗んだ資料は焼いた、それどころか今まで積み上げた『霧』の研究に関する全てを隠滅した。

 もう必要ない。

 ただひとつ、完成した装置だけを廃坑になった藍針鉱アズリカイト鉱山に隠した。とても部屋には置けないので、夜な夜な廃坑路に通った。

 でも、それももう終わり。

 あとは、全てを。






「ご紹介に預かりました、王立兵装器術研究所E-2研究室のミオベル・ピークです」

 快晴。

 大きなテントの下、来賓席から拡声器を持って立つ。

 女の子?……若い……いくつだ?……すごいな……

 慣れた反応だ。最近、「子供だ」とは言われなくなったが外見も少し大人っぽくなれたということだろうか。

「まずは、竣工おめでとうございます。私も主査として大変嬉しく思います。────………」

 整った声色で一通りの祝辞と小咄を30秒。

「最後になりますが関係者の方々、そして何より研究チームの皆さんには感謝しかありません。本当にありがとうございました」

 会議室の時とは比べものにならない量の拍手の中、深々と一礼をして席に着いた。

「はい、ピークさんありがとうございました。では続きまして───」

 式は滞りなく行われ、最後には海と灯台砲をバックに記念撮影をして竣工式は終わりを迎えた。

「お疲れ様です」

「おめでとうございます」

「ありがとうございました」

「今後ともよろしくお願いします」

「若いのに素晴らしい」

 研究所のお偉いさんや街の役人、工事の責任者に港湾の管理者。

 何人かの大人たちと挨拶を交わし握手をして、ようやく落ち着いた。

 多くの人は灯台砲を取り囲んで見学しているようだ。研究員たちも自慢げに見学者に説明している。

「ふぅ……」

 少し離れたところで草原に腰をおろしてようやく一息。

 午後13時。

 よく晴れた海原の眺めが良いが、視線は銀の懐中時計。暫くの間、少し色落ちした写真に吸われる。

 潮風が涼しい。

 そういえばこの銀時計、材質は何だろう。何年も持っているのに側が何でできているのか知らない、もしかしたら潮風で錆びてしまうかも知れないな。

「お疲れちゃん!」

 ゆっくりと蓋を閉め終わった時、隣に誰か座ってきた。凛として明るいのにどこか落ち着いた女性の声。

「ルアさん」

 彼女、歳は28、私より10も上。

 鮮やかな薄赤紫色の長髪を潮風に靡かせて、恋人かと思うような距離に座った。

 かと思えば、直後に大きなため息。

「お疲れ様ですルアさん。そんなため息ついたら幸せが逃げちゃいますよ」

「ため息もつきたくなるわよー、あたしはああいうお堅いの苦手なの。ミオちゃんもよくやる、そんなにかわいい見た目して精神年齢いくつよ」

「もう18ですよ?舐めないで下さい」

 そう言って、眉を八の字に少し曲げたまま水の入った小さな水筒を手渡し。

「あっ、くれるの?ありがとー」

 ひと口の水が流れる、話が変わるには十分の間だ。

「見てたの?」

「えっ?」

「写真、見てたの?」

「ああ……そうですね」

「そっかーケイさんも喜んでるだろうね」

「さあどうでしょう。あの世でも研究に夢中でこっちのことなんか知らないかもですよ」

「ははは、いやーきっと喜ぶよあの人は。ミオちゃんが研究所に入った時は阿保なガキンチョが迷い込んだのかと思ったけど、まさか未来の灯台砲主査とはねー」

「ちょっと馬鹿にしてます?」

「いやだなぁ、そんなことないって。でもそんな風に冗談言えるようになって良かった」

「葬式の後なんか、見てられなかったからさ」

「うん……すみません……」

「ふん!そんな辛気臭い顔しないで18歳の乙女はかわいく笑っていればいいの!」

「んむ……しゃしぇたのはしょっちのくしぇに……」

 頬を物理的に押し上げられてヘンテコな喋り方。必死に腕を剥がそうとするけど、全然だめだ。

「非力だなー、もう少し食って寝て運動しな?頑張り過ぎだよ君。そんなだから背もあんまりー……ごめんって」

 さ、と分かりやすく視線を外して惚ける。

「帰ってお昼食べよっと。ミオちゃんは?」

「あっ……」

ああ、そうだ。こうも楽しく話していると、忘れた気になってしまう。

忘れられるわけなんかないのに。

「私は……もう少し休んでから行きます」

「そっか、じゃ先帰ってるね」

 話もそこそこに、ルアさんは立ち上がって背伸びをした。

 少し休んでからと言ったけど、廃坑に寄って、すぐにでも『雨』を降らせるつもりだ。

 背を向けて歩いていくルアさんを目で追った。

 鮮やかな髪が綺麗で、背も高くてスレンダー、ちょっと、いやすごく羨ましい。

 薄赤紫の髪がまだ視界から消えきらない内に、非力らしい体で海を背にして立ち上がった。


「ああ……」

 忘れてしまうには、勿体ない。

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