第8話

 中央街の北大橋を中心とし、敵国のものと見られる飛行体から爆弾が投下された。その光は中央街の半分を飲み込むほどのものだったという。

 爆発の瞬間、光が花のように開いてゆくのを見たと、多くの人は口を揃えてそう言った。

 後には灼け原。

 鉄屑が、花のようにだと?

 パキッ

「ミオちゃん……血が」

 無意識に歯を食い縛っていたようだ。たった今ひびの入った左の奥歯から、血が細く流れ出していた。

「すみませんルアさん。ありがとうございます。あ……」

 手渡されたハンカチで血を拭き取りきらないうちに、ルアさんは私を優しく抱擁した。

「……」

 血滴の染みる先が喪服の黒なのは、果たして幸いと言って良いのだろうか。


 研究所の方は、中央街からはかなり距離が離れているため被害は無かった。

 生存者やたまたま遠出をしていて助かった者は、中央街より北東の少し離れた町で保護されている。

 その町は距離で見れば十分に壊滅する位置にあったが、運の良いことに爆心地と結んだ直線上に『アルマヒク』の試験場があり、第3回試験起動の最中だった『アルマヒク』が破損したただけで済んだそうだ。

 この最悪の日から3ヶ月は経とうというのに、中央街跡には盛り上がったドーム型の腐った濁り雲がどくどくと匍い巡っている。


 ここから見れば米粒ほどの濁り雲。それを遠目に喪服を纏い、霊園では葬儀が行われている。

 ケイ・リフィクス

 視界に入りきらない数の墓石。そのひとつに、そう刻まれている。

「……」

 研究所が衝撃を喰らった数分後、知らせを聞いた時、産まれて初めて思考が止まった。

 白髪の根が逆立って。青ざめて。瞬きができなくて。涙が溢れて。声が出なくて。息が荒くなって。吐き気がして。肺が痙攣して。手が震えて。膝が崩れて。汗がふき出して。

 祈った。


 大切な人の葬式に集中できないというのもおかしいが、冥福の文言など殆ど耳には入って来なかった。

 ルアさんにずっと寄り添われたまま、葬儀は終わりを迎えた。






 数日後、遺品整理で彼の部屋には業者と研究所の大人が何人か立ち入った。

「……」

 私は持ち出される遺品を傍らで眺めているだけ。中には入れてもらえなかった。

 もちろん、『霧』の研究に関するものは事前に私が全て持ち出して、数年前に廃坑になった藍針鉱(アズリカイト)鉱山に隠した。

 部屋の中から痕跡が見つかる筈はない。

 ない……はずだ。

 はずだが……?

 何だろう、あの書類の束は。あんなものあっただろうか。

「……」

 胸騒ぎがする。

 目で追っていると、書類を持った若い男がつまづいた。

「うわっ」

 運良く、私の前にも数枚が散らばる。

「おい、何やってるんだ!大切な遺品を」

「す、すみません」

 破いてしまわないよう丁寧に拾う数名に混ざり、拾いながら中身を垣間見る。

 これは……

「……どうぞ」

 ここのところ、あまり声を出していなかったので少し掠れてしまったが、そんなことはどうでもいい。

「すみません、ありがとうございます」


 作業を続ける男たちを横目に、私は悔いていた。

 しまった。

 全部彼の字だ。間違いなく『霧』の研究資料だろう。数枚しか見ていないが、どれも見たことのない内容だった。

 知っているものは確かに全部持ち出した。

 彼がいつの間にか一人で研究を少し進めていたのだろう。でも一体何処にあったんだ?見落とし?私が?

 運んだのがただの遺品整理の業者だったから今は何ともなかったが、遺品の一部は一旦研究所の保管庫に置くと言っていたから、いずれ他の研究員の目に触れる可能性が高い。

 それだけは絶対に避けなければならない。

『霧』の研究を、彼の想いを見られるわけにはいかない。

「なんとかしないと……」



 遺品の一時保管をするとなれば、湿温度管理の徹底した8〜17番倉庫だろうか。温度に敏感な薬品やその他物質が保管されるエリアで、それぞれ温度、湿度が年中一定に保たれている。

 紙類の保管なら11番か12番の可能性が高いが、どちらだろう。

 業者の列をまた目で追った、左側の角を曲がっていく、ということは11番か。

 しかし、保管庫を自由に開ける権限を持つには室長補以上の階級になる必要がある。

 私よりひとつ上の、ケイさんと同じ階級だ。

「昇進……」

 いやだめだ、そんな時間はない。

 一刻も早く書類を目につかないところへ移動させなくては。

 盗む……ことになる。初めての犯罪だ。

 でも、それを実行に移すことに微塵の葛藤も抱かなかった。







「室長、この実験。律酸化バドニウムの溶解液が少し必要ですね」

「ほう、また珍しい……今から取りに行ってくる」

 元々、保管庫は申請さえすれば全ての研究員に解放されていたのだが、数年前に新入りの職員に扮したスパイに侵入を許したことがあるらしく、それ以降は室長が直接申請し監視員の同行の元で倉庫に立ち入ることになっている。

「えっと運搬用のケースは……あったあった」

 室長はその大きな身体を揺らして、ゆっくりとした動きで部屋を出て行った。

 11番倉庫に保管される物質を使う実験を上手いこと作り上げ、取りに行かせる。ここまでは計画通りだ。

 たまたま誰かが11番倉庫に来るのを待つ方法もあるが、長時間研究室を留守にしてしまうどころか下手をすれば何日も開くのを待つことになってしまう。

 ほとんど徹夜だったが、都合の良い実験を作るのに2日もかかっていない。その間も11番倉庫の観察は欠かさなかったが、やはり扉が動くことは無かった。

 運の良いことに、律酸化バドニウムは灯台砲の排エネルギーの密度観測の実験にピッタリで、かなり自然に理論を構築できた。

「すみません、私ちょっとお手洗いに」

 室長が外へ出たのを窓から確認し、走って11番倉庫に向かう。



 物陰に隠れてから数十秒、来た。

 監視員が後から入っていくタイミングを見計らい、息を殺してドアに近寄る。

 閉まる瞬間、ラッチ受けに親指幅ほどの真っ黒なシートを挟んだ。これでドアが閉まっても鍵は開いたままだ。

 センサーに扉が閉まってないと判断させれば、ロックはかからない。

 背中で隠して、ファイルを読むふりをする。何人か廊下を通ったが、怪しむ様子は一切ない。

「(そろそろ良いか)」

 律酸化バドニウムの保管場所は部屋の一番左奥だ、そこからなら確実に入り口は見えない。

 映す世界を消音のスローモーションビデオのように、空気の摩擦音すら立てないように。

 私はその扉を開いた。






 白の梱包箱で埋まったラックの下、命が擦り潰れるような緊張を1分、2分、半、秒。

 二つの足音が遠ざかり、オートロックの作動音。

 一切の照明が消えた部屋の中、やっとの思いで震えた息を吐く。

 でも、安堵の時間はもうお終いだ。

 すぐさま天井灯を点け直して遺品を探し始めた。

 どこだ、どこにある、ラックのどれかか?もし上の段にあったら厄介だな……。

「あっ」

 あの帽子、中央街に行ったときケイさんが被っていたあの帽子だ。ここだ、この梱包箱。次の瞬間には先程とは打って変わって血眼で物音を散らした。

 どこだ、どこにしまってあるあの資料!

 どこだ。

 どこだどこだどこだ何処にある。

 どこに……あった。

 小さな手には余る、図書館の奥にあるような大判の図鑑ほどのぶ厚い紙束。

 あった、見つけた、これだ間違いない。

 カムフラージュに別の適当な論文を置いて出入り口へ向かう。

 内容を確認したいが、一刻も早く戻らなければ怪しまれてしまう。

 吐きそうなものを全部抑えて、私は汗ばんだ耳をドアに当てた。

 若干の足音が過ぎ去るのを待つ。

「……」

 しんとした廊下を感じ取り、素早く開閉。

 大丈夫。

 誰もいないことを確認し、オートロックキーが閉まるのも待たずに、その場を走り去った。


「気持ち悪い……」







「トイレ長かったね……大丈夫?顔色悪いよ?」

「すみません、ルアさん。途中で少し気分が悪くなってしまって」

「室長、ミオちゃん。体調が悪いみたい」

「本当だ……顔が青白いぞ。今日はもう休みなさい」

「で、でも……」

「いいから、休みなさい」

「……すみません、ありがとうございます」





 自室のドアをくぐって数秒後。喜び半分、吐き気半分で床にうずくまった。

 体調が悪いのは本当だが、好都合だ。これで研究資料の確認ができる。

「うっ……はぁ……」

 吐き気どめを飲んで少し落ち着いてから、改めて資料に目を移す。


 これだけの紙束、背中と服の間に隠しているのを白衣で誤魔化して

 破れたりしていたらどうしようかと思ったが、それは杞憂だった。

 少し汗で滲んでしまった部分はあるが、読む分には問題なさそうだ。

 重たい、重たい紙束を持ち上げる。

 ベッドに座って一枚一枚、言葉、数字、図、グラフ、表、一言一句、筆跡も鉛跡もひとつ残らず飲み込んでいく。

 その夜も、また眠れなかった。

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