第1話
「あー、えっ?君が?子供……。え、あー……ああいや、すまない。ようこそ研究室へ、待っていたよ」
研究員初日、私を出迎えてくれたのは金髪で蒼い瞳の優しそうな男性だった。
研究員が大人ばかりなのは当然そうだし、私の脳みそがおよそ歳に見合わないものだということも知っていた。
だから驚かれるとは思っていたけど、私ががそうであることを事前に聞かされてなかったのだろうか。
「はい、本日よりE-2研究室に配属となりました。ミオベル・ピークです。よろしくお願いします」
かしこまって敬礼をする、彼の方は。
「はい、ミオベル・ピークさんね。今日からよろしくお願いします」
一応敬礼はしているのだが、声色のせいか緊張感がない……。
「ここは確かに軍管轄、兵器開発の最前線だけど、そんなにかしこまらなくていい。敬礼も実はお偉いさんが来た時しかやってないんだ」
「はあ……そういうものですか……」
「ああ、その程度ものだよ。時代遅れ感あるし」
まあ、軍管轄内の施設といえど、別に研究員は軍人ではないからそんなものなんだろうか。
「ああ、自己紹介が遅れたね、僕はケイ・リフィクス。役職は副室長だ。今日から君の教育係を担当させてもらうよ」
「教育係……」
少し、見上げる形で彼の顔を見る。彼の背は平均より若干高い程度の丈だが、私の場合こうなってしまう。
この人が私の教育係……
「よろしくお願いします。リフィクスさん」
「ケイでいいよ」
「ああ……では、ケイさんで」
「不安そうだね。新しい環境での最初の壁だ。誰だって最初はそうさ、ゆっくり環境に慣れるといい」
廊下を進みアナログな鍵、8桁のパスと指紋認証の2つの扉をくぐった。
ロビー入り口もカードリーダー式だった、流石に堅固なセキュリティだ。
扉の向こうでは大人たちがそれぞれの作業に向かっているかと思いきや、誰もいなかった。見たことのない実験装置や、知ってはいるが実物を見るのは初めての機器が静かに佇んでいる。
「みんな向こうか、こっちだ」
また廊下を渡ると、今度は鍵のついてない両開きの扉。
「ここだ、挨拶はもう考えたかい?」
「あ、はい、問題ありません」
扉を開くと、2〜30のデスクが並ぶ部屋。大体デスクと同じ数の大人達がまばらに立っていた。
ケイさんから軽く紹介を受け、一歩前へ。つい敬礼をしたが、新人の私はこうするのが自然だろう。
「本日より──────」
拍手の中、敬礼はいいよとケイさんは肩に手をポンと。
「教育係は僕が務めます、皆さんも困っているのを見かけたら助けてあげて下さいー。まあ、僕も含めて」
一瞬の微笑。助ける側の間違いだろーなんて声も聞こえる。一通りの紹介や挨拶が終わると、ケイさんは「さて」という声で切り替えた。
「そうだな……一通り紹介は終わったし、少し施設内を見てまわろうか」
大人達に向かい今度は敬礼ではなくお辞儀をひとつ、部屋を後にした。
その後、お手洗いの場所から屋外の実験場まで各担当者から説明を受けながら施設内をぐるっと一周。ケイさんもそれぞれ近況を聞いてまわりながら共に一周。
2時間後には先程のデスクの部屋まで戻ってきた。
「今日はこれぐらいかな。僕はもう少し用があるから、先に帰っていいよ」
「君の部屋はえっと……ああ、そうだった……」
聞けば、私の寝床になる予定の部屋はつい今朝鍵が壊れてしまって、開かなくなってしまったそうだ。修理にはもう少しだけ時間がかかるという。なんてタイミングの悪い。
「うーん、すまないね。もうじき直ると思うんだが……とりあえず、僕の部屋使うかい?」
ひとつ隣の建物、宿舎のようだ。
ケイさんの部屋は一階のひと回り広い部屋だ。宿舎への入居は任意で、個別に棲家のある者は使わないそうだが、ケイさんは好き好んで住んでいるらしい。
「用が終わったら戻るから、適当に休んでおいて」
じゃ、とだけ残して彼は去っていった。
ひと呼吸おいて辺りを見回す、広いシンプルなワンルームといった感じ。部屋自体は綺麗だ。
机の上だけは散らかっているけど……
適当な用紙が数十枚、一体何をそんなに広げることがあるのだろうかと、無作為にぺらりと1枚手に取ってみる。
何かの計算の過程が走りがきされている様だけど、これ全部?
「へぇ……」
これでも人より優れた頭脳を持っている自覚はある、何枚か目を通せば主題が何なのか理解することは容易だった。
『虚摘現象』といって、特定の鉱石を触媒としてある物質の精製を行うと、どう考えても過剰にエネルギーが消費されてしまう現象のことだ。
エネルギーがどこへ消えるのか、何故消えるのか原因も法則性も殆ど分かっておらず、エネルギー分野の未解決問題の一つだ。
なのだけど……
「何?これ」
知らない。
私はこれに関しては専門家じゃないし、単に知識不足だという可能性も十分にあるが、全くもって見たことのない理論が展開されている。なんだこれは……画期的で、一見突拍子もないように見える理論。
「でもすごい……確かに筋は通る」
この走りがき、発案、構築、計算、 0から100まで全て彼のものだろうか、だとしたら天才だ。あの優しげな雰囲気からはあまり想像できないけど……
気づけば、立ちっぱなしなのも忘れて次へ次へと解読に夢中になっていた。
30分後、扉の開く音で我にかえるまで、その集中は続いた。
「ただいま」
「ああ、おかえりなさい……じゃなくて!あのケイさんこれは!」
「ああ、すまない……散らかしたままだったね」
と言ったところで、私の表情をみて察したのだろう。
「それは僕が書いたものだけど、まさか……もしかして解るのかい?しまったな……」
しまった?何か見られてまずいことでもあるのだろうか。
「驚いた。もしここの研究員に見せたとしても、殆どの人間は眉間に皺のはずだよ」
「やっぱり独自の理論なんですね!すごいです……まだ未完のようですが、これが証明されたら勲章ものですよ!」
「ああ、いや……しないよ」
「えっ?」
「論文として発表したり、何らかの形で世に出すことはしない。本当は誰にも見せるつもりはなかったんだ、君に見られてしまったけどね」
「正確には、見られたとしても君には理解できないと思っていた。子供だと思って侮っていたよ、それはすまない」
「いや……いやいや」
そんなことはどうでもいい、一体何を言ってるのだこの人は。
「世に出さないって……どうしてですか?お金や栄誉がいらないとか、そういうのは好きにすれば良いと思います。でも、技術の、世界の発展に繋がる研究を誰にも見せないで隠しておくなんて、それは科学者として間違ってるんじゃ……」
「そうだね、そうかも知れない」
「〜」
彼は鼻で長い息を吐きながら、ゆっくりと椅子に腰を掛け、机を片付け始める。
「夢があってね。作りたいものがあるんだ」
「作りたいもの?」
世にひた隠してまで作りたいものなんて、法や倫理に触れるものだろうか。余程の理由でもない限り幻滅ものだが……
「一体、隠してまで何を?」
「……霧がつくりたい」
「霧?」
一枚の紙を渡される。
確かめるように、その紙、走りがきより少し丁寧な文字や図に目を落とす。
「ああ、それは手段か。正確には」
「血の流れない国をつくりたい」
「絵空事としか思えません……」
「普通はそう思うだろうね」
彼から受け取った資料によるとこうだ。
「つまり、『生き物は眠りにつき、特定の記憶を失って目覚める』そんな都合の良すぎる霧を、超広範囲で意図的に発生させる」
「うん、その通りだ」
「まるで魔法ですね。それに、戦争に関する記憶を失ったとして、記録や武器は残ります。物が残るのなら、根本的な解決には……」
「ああ、だから持続性が必要だ。武器や兵器が朽ちてなくなるその日までな。気候みたいに、自然の中で循環させることができれば可能だ」
「確かに先程の理論は感銘を受けましたが、ケイさんがどれほどの秀才だとしても何というかそれはあまりにも、何というか」
「うん、正しい反応だと思うよ。こんなの誰が聞いても"本気で言っているなら頭がおかしい"と言うだろうね」
「でも、だから夢なんだ」
「ケイさんは……本当にこの夢が叶うと思うんですか」
「即答はできない。でも決して諦めることはないよ。まあ……たった今、障害にぶち当たったわけだけどね」
「君の言う通り、ある視点からすれば私は間違っているんだろう。それで、君はどうする?さっきの『虚摘現象』に関する理論を暴露するかい?」
「いや……」
彼は科学者としては間違っている。
その考えは揺るがない。
しかし、それは所謂世間の、もしくは私個人の倫理観というやつ。
非人道的な実験をしていたり、法を犯しているのなら然るべき行動に移るべきだが、ただ「発表をしない」なんていう個人の意思。本来、私がわざわざ正義感に駆られてまで干渉することではない。
『虚摘現象』の理論については世界にとっては有益だが、正直に彼の理論だと言っても、彼は理論を隠したいわけだから上手くごまかして「間違ってました」とでも言って終わりだろう。
『霧』のことが白日の下になったとして、馬鹿な空想だと一蹴されて、私もろともおかしな宗教の類と思われて終いか。
「分かりました、暴露も摘発もしません」
それから、もう一つ。これは一番の理由。
「ただし、条件があります」
「条件……?よし、聞こうか」
「私の師匠になって下さい!」
「……」
「……」
「いやだ……」
「バラしてもいいんですか?教育係だし丁度良いと思いますが」
「良くない。大体、師匠ってなんだい……学会の発表とかはあっても、教師のように人にものを教えたことなんて僕には」
「研究を近くで見せてくれるだけでいいんです!こんな面白そうな研究、観察しない手はありません」
「それに、私が研究の過程や結果を観察するということは謂わば黙認。共犯者になるということです。完全ではありませんが、私が秘密を守る保証にもなります!」
「条件、のんで下さい!」
すごい早口で捲し立ててしまった。
彼は背もたれに身体を預けたまま天を仰ぐ。数秒唸ったが、やがて諦めの眼差しを宿らせて机に向き直った。
「ううん……分かったよ」
「……!ありがとうございます!」
「はぁ……疲れた。今日はもう帰りなさい……さっき帰ってくる間に、部屋の鍵も修理が完了したと連絡があったよ」
「ああ、アレ直ったんですね……では、今日は失礼します」
「そして」
「明日からよろしくお願いします。ケイさん」
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