姉弟(僕ら)の意志と幸せの在処

たくみん

第1話 意志

自己否定存在。


いつからだろうか、僕の中に“彼女”が現れたのは。


あらゆる考え、あらゆる思い、あらゆる願い、あらゆる自分を、否定するためだけに存在する“彼女”。


あらゆる視点、あらゆる価値観を以って、否定する。否殺し(いなごろし)。


彼女はもしかしたら否殺ひさつ隊の一味なのかもしれない(漫画に出てくる組織)。




最初に言っておくが、“自己否定”と“自己犠牲”は全く違う。“自己否定”の方は、“自己否定”そのものが目的だ。現に“彼女”は、ありとあらゆる手段を以って、否定しにくるのだから。でも“自己犠牲”の方は、“自己犠牲”したその先に目的がある。何かのために、自分を犠牲にするのだ。自分を犠牲にしてでも、誰かを救ったり、何かを守ったり。だから、“自己犠牲”はあくまで手段だ。とっておきのね。




耳元から誰かが囁く声が聞こえた。


「お前は本当に頭が悪いな。そもそも“自己否定”と“自己犠牲”をなぜ比較する。“自己犠牲”という言葉をなぜ出した。前提から間違っているんだよ、お前は。というかお前が何を考えようが意味ないよ。視野は狭いし、頭は悪い。そんなお前が何を考えようと、思おうと、全く無意味だ。少しは多角的に物事を考えられるようになった?いや、1から10に成長したところで、1000から見れば0に等しい。何の価値もないよ」




ーーーーそうだな。考えるのはもうやめよう。


「思考停止した人間は人間じゃないよ。お前は人間ですらない」




ーーーーそれもそうだ。安易にやめちゃダメだ。


自分は、自分にできることをやるだけだ。


「何まともっぽいこと考えようとしてんの?お前はまともじゃないことをいい加減知れ、愚弟」






お分かりいただけただろうか。思うことすら許されない。


こういう状況なので、今から言うことは内密にして欲しい。とは言ってもこれを思考したこともすぐ“彼女”にバレるだろうが。






きっと誰もがまずはこう思うだろう。


僕が“彼女”に対して反感を抱かないのか。反論しないのか。




答えよう。それは無駄さ。どれだけ反論しようが、矛盾を指摘しようが、“彼女”は“自己否定存在”。


攻撃を止めることはしない。


それに、自分は“彼女”の言葉が全て正しいと感じてしまう。前後の発言に矛盾があっても、単体で見ていけば正しい。実際僕よりも遥かに頭が良いのは間違いない。だからこそ“彼女”は行使できる、“正しさの暴力”を。そして、“正しさの暴力”を使っていながら、“正しさ”なんてまるで興味がない。ただ単体の威力のある“正しさ”のラッシュを駆使して反撃のスキを与えてくれない。そう、“彼女”は喧嘩が強いのだ。


正しいのではなく、強くて頭が良い。そういった人物の言葉は、なぜか説得力があり、求心力がある。故に、“彼女”の言葉が実際に正しいかどうかはともかく、僕は“彼女”の言葉が正しいと“感じてしまう”のだ。反論の余地も反感の余地も一片もない。それはもはや洗脳かもしれない。






しかし、一体“彼女”は誰なのか。


ーー愚弟。


僕が“彼女”の弟なら、言い換えれば、“彼女”は僕の姉なのか。


しかし、自分には兄しか兄弟はいない。2人だけの男兄弟だ。




だから、兄に聞いてみることにした。実は兄もまた、僕を否定してくるような存在なのだ。あまり良いお兄ちゃんではない。仲も悪いと言えるだろう。




「兄さん、僕らには、姉さんがいたのか?」


「お前、まさか覚えているのか?」


そう呟いた兄は、すぐさましまったという表情を示した。


「!?やっぱりいたんだね!?」


このまま隠し通すのは難しいと判断したのだろう。溜息混じりに口を開いた。


「……ああ、そうだ……。もう、お前にも話しても良い頃合いなのかもしれないな」


「ということは、本当に……。じゃあ、今は……?」


「それは……」


兄の表情は更に翳りを見せた。


「いなくなった」


いなくなった。その言葉が意味するところ、それはつまり……。


「逃げたんだ」


「逃げた?」


「ああ、今も行方がわからない」


「捜索願は?」


兄は首を横に振った。


「なぜ!?まだ子どもだったろう?それより何より、家族だろう?なのに、一体なぜ……?」


「その判断をしたのは、俺じゃない。父さんと母さんだ。だけど、俺は2人の選択が正しかったと思ってる」


なんだって? 父さんと母さんまでもが。


愕然とした。この人たちは常軌を逸している。


「僕が警察に連絡する!」


「待て!落ち着けよ。もう姉さんが居なくなってから15年が経つ。とっくの昔にどこぞでのたれ死んでるよ」


その発言に、沸点を超えた。


「兄さん!なんでそんな酷いことを言えるんだよ!しかも、僕には、まるで最初からいなかったかのように。僕は兄さんも、父さんも母さんも、許さないぞ!!」


「あのまま一緒に暮らしていれば、お前が不幸になっていたかもしれないんだぞ!!」


僕が発言し切るや否や被せるように、兄も怒鳴った。


「姉さんは、“あれ”は、化け物だ。“あれ”とそのまま家で暮らし、育っていれば、どんな怪物になったかわからない」


その感覚は痛いほどにわかる。なぜなら、同じ感覚を、目の前の兄に対して、感じていたからだ。


その兄が、同じことを、姉さんに感じていたというのか。


「特にお前は危なかったかもしれない。お前を“華の人たち”と同類だと」


「…………それを、姉さんが言ったのか?」


「そうだ」


「そうか。なるほどな……。でも、もし生きていたら……」


「それはないと思う。“あれ”は天才で怪物だからな、この世の全てを悟り、きっと自ら死を選んでこの世からいなくなってしまったんだろう」


「天才だと、自殺するのか?」


「ああ、そうだよ。躊躇のない天才は、自ら死を選ぶんだよ」


「よくわからないけど、でも、遺体も見つかっていないんだろう?」


「ああ。“あれ”は天才だから、自分の遺体を隠し通すなんて造作もないだろう」


「そうか……」


仮に生きているのだとしたら、どこかしらで見つかっているはずだ。だから、きっと兄の言う通り、死んでしまったのだろう。だけど、もしも、もしも生きているのだとしたら、僕は、“僕の姉さん”に、会ってみたい。






自室に篭り、思考を巡らせる。


兄の発言から、姉がどういった人間だったのか、見えてきた気がする。


そう、やはり“彼女”は姉だ。


天才で、天才が故に、危険な人間。


まだ、年端も行かない女の子だったはずだ。そんな子どもが、ここまで人に恐怖を与えるなんて、あり得ない話だ。


常軌を逸していたのは、兄や父や母ではなく、姉という存在そのものだったんだ。


姉にとって家庭を崩壊させるなど、意図も容易かったろう。


そして、この世に見切りをつけて、先に去って行ったということなのか。






ーーチュンチュン




いつのまにか寝てしまっていたようだ。


もう朝だ。いつから寝ているんだっけ?


記憶を辿る。


ーー姉さん


そうだ、姉さんについて考えていたんだった。


でも、もしかしたら、あれは夢だったのかもしれない。いや、現実か。


早く確かめたい、その一心でリビングに直行した。母が皿を洗っていた。


「母さん、僕らには、姉さんがいたの?」


慌てた様子を見て何事かという表情を見せていた母は、すぐさま表情に翳りを見せた。


「うん、聞いたわ。お姉ちゃんの話、聞いたんだってね。とりあえず朝ごはん食べなさい」




朝食後、母もテーブルに腰掛けた。


「お姉ちゃんの名前はね、樟葉くずはっていうの。とても頭の良い子だったわ。生まれてからしばらくは何ともなかったのよ。でもおじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らし始めてからかな。おじいちゃんおばあちゃんのことで、母さんかなり苦労していたの」


「“華の人たち”……」


「あ!そうそう!たしか樟葉、おじいちゃんおばあちゃんのことを“華の人たち”って言ってた」


そうだ。自分でも昨日兄と話して初めて聞いた単語だったけれど、誰のことを指しているのか一瞬でわかった。


「それでね、おじいちゃんおばあちゃんに、理不尽なことばかり言われてて。それにずっと耐えていた。自分さえ我慢すればってそう思って、ずっと耐えてた。だけど、そんな母さんの姿を見兼ねたのか樟葉は、ある日、おじいちゃんおばあちゃんを追い出したの」


「追い出した!?」


「うん、文字通り“力尽く”でね」


「力尽くって、まだ5歳やそこらの子どもでしょ?」


「そうね、でも実際にそうやって追い出してしまったの。そこからかな、片鱗を見せ始めたのは。樟葉には弟がいた。あなたのお兄ちゃんね。なんて言えばいいのかな。例えば2人で喧嘩になっても樟葉は容赦しなかった。というかあれは、一方的な蹂躙だった。あのままだと本当に殺してしまう勢いだったから、なんとか引き剥がして、病院に連れて行った。それから、お兄ちゃんは怖くて樟葉に手を出さなくなった。でも、それでは樟葉は許さなくて。なんて言えばいいのかな。側から見れば、普通に会話しているように見えた。だけど、会話の途中でお兄ちゃんが泣き出すの。それもすごい形相で。すごく、怖がってたなぁ。そんなことばかりが続いて。多分お兄ちゃんは樟葉の影響を大きく受けているんじゃないかな。それでね、突然その日はやってきた。ある日買い物に行って、買い物中子どもを預けられる場所があって、そこに預けてもらってたの。そして、迎えに来たら、いなくなってた」


「なんで探さなかったの?」


「え?それは、そうよね。普通探すよね。必死になって。でも、おかしいってのはわかってるんだよ、わかってるんだけど、でも、探すなって言われたような気がして。探さなかった」


「気がしてって……」


「でも多分今もどこかで……」


「いや、当時5、6歳くらいの女の子だよ?1人で生きていけるわけないし、誰かが拾ってくれたとしたら、もう見つかってるはずだよ」


「そうよね、普通。でも何故だかわからないけど、今もどこかにいる気がするの」


「もし本当に生きているのなら……」


「お姉ちゃんに会いたい?」


「うん、会いたい」




「やめたほうがいい」


兄が部屋に入ってきた。


「どうして!?」


「言っただろう。もし実際に生きていたとして、“あれ”に会うのは危険だ。お前まで“あれ”に巻き込まれる必要はないんだよ。人生狂うぞ。自ら不幸に向かわなくていいんだよ。世の中には、知らないでいいこともある」


「兄さん、もしかして僕を気遣ってくれているのか?でも、結局は否定なんだな。僕が姉さんに会いに行くのは、幸せを掴むためでも、不幸に身を投じるためでもない。会いたいから会いに行くんだ。この意志を守ってみせる」


「だったら力尽くでも止めてやる!」


「この意志を守り通す!」


「やめて!!違うの、あなたたちは悪くないでしょ?なんで、あなたたちが傷つけ合わなくちゃいけないの!悪いのは、母さんよ。おじいちゃんおばあちゃんの仕打ちを、自分さえ耐えていれば問題ないなんて思ってた、浅はかな母さんの……。ごめんね、ごめん。2人とも、ごめん。樟葉。ごめん。」


「そんな、泣かないでくれよ。母さん……」


「やめよう。俺たち、みっともないな」






翌日、僕は旅に出ることになった。姉さんを探す旅に。


手がかりは何もない。写真も残っていない。


でも一つ心当たりはある。“彼女”だ。




「気をつけてな」


「兄さん、ありがとう。じゃあ、いってきます!」






これは、姉弟(2人)が再会する(であう)までの物語。

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