Colorful【カラフル】

元 蜜

第一章 俺たちが熱中しているもの

第1話 初セッション

「きり~つ、れ~い、ちゃくせ~き」


 3年生の新学期が始まったばかりだというのに、朝から気合いの入らない挨拶が教室に響く。


「よしっ! 出席をとるぞー! 相沢~!」


 そんな俺たちと比べ、担任の一条先生は朝から元気いっぱいだ。


「はぁい」

「池田~!」

「はい……」

「上野~……は欠席か」

「次、音羽~! ……ん? 音羽奏おとは かなで~?」

「せんせ~い! 音羽さん、またいませ~ん!」


 どこからともなくクスクスと女子たちの笑い声が聞こえてくる。


 先生が『はぁ、またか……』と言って大きなため息をついた時、開け放した教室の窓から風に乗って、高音で透き通った音色が聞こえてきた。思わずクラス全員がその音に耳を澄ます。まるで歌声のように聞こえるそれは、アイツが奏でるフルートの音。


 アイツとはそう、“音羽奏おとは かなで”のことだ。




「おいっ! 匹田っ! 音羽を探してこい!」


 先生に指名され、俺は座っていた椅子の背もたれに寄り掛かる。


「え~……また俺っすか!?」

「だってお前、このクラスのクラス委員長だろうが!」


 うっ……、そうだ。俺はアイツの特別なんかじゃなく、ただのクラス委員長だから指名されてるだけだった……。


 俺は渋々席を立つと、すぐに音羽を探しに教室を出た。



 俺は匹田響ひきた きょう、中学3年生。

 顔良し! 頭良し!! 家が金持ち!!! そんな3拍子揃った正真正銘のハイスペック男子だ。自分で言うのもなんだけど、性格も良いから女子からの人気も高く、クラス委員長としてこのクラスの中心を担っている。


 そんな俺が唯一頭を悩ませる存在。それが先ほどから名前の出てくる“音羽奏”というヤツだ。


 音羽は俺だけでなくクラスメイトにも一切興味はないらしく、みんなが気を使って話しかけても一言で会話が終わってしまうので、アイツには‟友達”と呼べる人はおらずいつも一人でいる。

 しかもフルートを吹き始めるとすぐに時間を忘れてしまうようで、クラス委員長の俺は先生に頼まれて、毎日のように教室に戻って来ないアイツの捜索に向かわされていた。

 そんなんだから音羽は、特に女子たちの間で変わり者扱いされている。でも俺はアイツのことが妙に気になってしまい、どうしても放っておくことができないのだ。


 


 いつも通り音を頼りに階段を上って来た俺は、屋上へ繋がる重たいドアを思い切り開ける。その瞬間、春の暖かな風に乗ってフルートの音色が俺を出迎えた。


 何の自慢にもならないが、何度か捜索するうちに俺はアイツの行動パターンが読めるようになってきた。


「お~い! 音羽~! ホームルーム始まってんぞ~!」


 大きな声で名前を呼ぶ。だが、ドアを開けた先にその姿はなかった。少し屋上を見て回ると、アイツはちょうどドアとは反対側の場所に立っていた。


 ふわっとカールした長い黒髪を風になびかせ、音羽は俺に背を向けたままフルートを吹き続けている。アイツの少し短めなスカートの裾が風に揺れ、俺は思わず目を逸らした。


「おいっ! 音羽っ!」


 俺はもう一度、先ほどよりも大きな声で名前を呼んだ。すると俺の声に気づき、音羽がこちらを振り向いた。音羽にじっと見つめられて思わずドキっとする。


 音羽は目鼻立ちが整っており、ゆるふわカールの黒髪がとてもよく似合う女の子だ。普通にしていればとても美人なのだが、今は演奏を止められたことでとても不機嫌そうな顔をしている。


「なに? なにか用?」


 その声には怒りの色が混じっている。しかしそれはいつものことなので、俺は慣れた様子でここに来た目的を伝える。


「だ~か~ら~! ホームルームが始まってるんだよ!!」


 音羽は校舎にかけられた大時計を見て『ヤバッ!』と言い、慌ててフルートを片付け始めた。よく手入れされたフルートに陽が当たると、光が反射して眩しいほどに輝いていた。


 音羽は片付けが終わると、わざわざ捜しに来てやった俺を置いてさっさと屋上から出ていってしまった。


「おいっ! 俺を置いていくなー!」


 俺は慌ててその後を追う。



 階段を下りるたびふわふわと揺れる黒髪が少し先に見えた。‟あと五段‟というところで音羽が足をつっかけ、ギリギリ追いついた俺は腕を伸ばしアイツが階段から転がり落ちるのを何とか食い止めた。


「あっぶなー!!」


 俺は額の汗を拭った。すると、音羽が少し頬を赤らめ『ありがとう』と素直に礼を言ったのだ。日ごろにないその様子に俺の胸は高鳴った。


「あ、あの……」


 俺は何か言おうとしたが、動揺して言葉が続かない。


「あ〜、フルートが落ちなくて良かった~。匹田くん、ありがとう。あなたはフルートの恩人だわ」

「えっ? フルートの恩人? 命の恩人じゃなくて!?」


「……じゃ、急ぐから手を離してくれない?」


 音羽にそう言われて初めて、俺の腕がアイツの腰に回されていることに気づき、俺は慌てて腕を離した。そんな様子を気にすることなく、身体が自由になった音羽は再び黒髪を揺らしながら階段を駆け下りていった。


 アイツとあんなに急接近したのは初めてかもしれない。

 吸い込まれそうなほどの真っ黒な瞳、俺の鼻のあたりをくすぐったアイツの髪の香り、男の俺とは全く違う身体の柔らかさ……。俺はそれらを思い返しその場から動けなくなってしまった。



 そのあと、俺はアイツから随分遅れて教室に戻った。先生が『ミイラ取りがミイラになったかと思ったわ~』なんて冗談を言っていたが、珍しく俺はそれに応える気になれず、先生に一礼だけして席に着いた。先生が黒板の方を向いた隙に俺は音羽の姿を盗み見る。


 音羽の席は窓際にあり、アイツは開け放たれた窓の外を見ながら指を動かし何かの音楽を奏でていた。周りの席のヤツにバレないよう、俺はその指の動きに合わせこっそりと足でリズムを取る。


 これが俺にとって記念すべき彼女との初セッションとなった。

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