第38話 『瘴気』の裂け目
「袖にされてしまいました。ですが、これも人生、経験ですものね! 皆さま、とっても素敵な思い出をありがとうございました!」
王女は騎士たちに一礼した。馭者が騎士団長へ顔を向ける。
「それで、昨夜お話した通り、山中を馬車で走っていると窪みにはまったのか脱輪してしまいました。皆で馬車を押していると、突然魔物が現れたのです」
通常、魔物は雪が降り始めてから現れる。それは雪で探索が不可能になった場所に生物の死体が残され、『瘴気』が入り込むからだ。
秋の終わりとはいえまだ雪が積もっていない季節に魔物が出ることはなかった。
山の中腹に、異常に魔物が出現する地点がある。
王女たちの馬車を護衛し、安全な街道まで送り届けると、騎士団は臨時の調査隊を派遣した。
セスとアーノルドも調査隊に編成された。
「魔物がいつ出てもおかしくないからな」
小隊を率いている年嵩の騎士が若者たちに声を掛けた。
「霜が張っているから足元に気を付けろよ」
「子供じゃねぇんだから大丈夫だよなぁ」
同じく編成されていたマイクが半笑いで仲間内に囁く。と、彼の足がずぽっと音を立てて地面に沈み込んだ。
「ぎゃーっ!!」
「マイク!」
周囲の騎士たちが慌てて駆け寄り、引き上げる。マイクが足抜くと、周りの土も掘り起こされた。周囲の騎士が叫ぶ。
「なんだこれは!」
マイクが足を抜いた穴から薄黒い空気が噴き出したのだ。小隊長が声を張り上げる。
「吸い込むな! 『瘴気』だ!」
『瘴気』とは、死体に入り込み魔物へと変化させるものだ。
全員が息を呑んだ。慌てて口元を覆う。
周囲の土を取り除く。穴というより、地面に裂け目ができているようだった。裂け目の下に空洞が広がっており、そこから『瘴気』が立ち昇っている。
セスは地面に<法式>を刻み、風魔法を発動する。緩やかな風が亀裂を囲むように吹き始めた。ひとまず『瘴気』はそれ以上広がらないだろう。
地下の空洞は深さも広さも把握しきれない。ただ一つ分かったことがある。セスが小隊長に告げる。
「この裂け目からの『瘴気』で魔物の出現が早まったんですね」
「恐らく王女たちの馬車が脱輪した衝撃で、裂け目を覆っていた地表が崩れ落ちてしまったのだろう」
「こんな穴埋めちまおうぜ!」
マイクが言う。小隊長は首を横に振った。
「まず団長に報告だ。この亀裂の周辺は立ち入り禁止に。斜面が多いから注意して作業せねばならないからな」
「ちぇっ。オレのお手柄なのに」
マイクが足元を蹴った。ずるっ、と勢いよく足が前に出る。運が悪かったのは、滑った先が斜面だったことだ。
「マイク!」
セスが反射的に手を伸ばして掴んだ。ひしと手は繋がれたが、セスの臂力は滑り落ちる人間を食い止めるには足りなかった。
「うわっ」
「ギャーーッ!!」
縺れ合い、土煙を巻き上げながら、彼らは斜面を転がり落ちた。
「セスてめぇ言った傍から!」
後を追ってアーノルドが駆け出す。
「お前たち! 離れるんじゃない!」
小隊長の叫びが木々の中に消えた。
◆
「いってぇ~」
マイクは背中の痛みで呻いた。木にぶつかって滑るのを止められたようだ。マイクは舌打ちをして、上に覆いかぶさっているセスをゆすった。
「お前もいつまで乗ってんだギャーーー!」
自分に覆いかぶさっているセスが頭から血を流していた。
よく見ると胸のあたりを腕程の木の枝が貫通している。木に強かに打ち付けた時、マイクを覆うように間に入ったのだろう。
間の悪いことに鋭利な木の枝がこちらを向いていたのだ。
「おい! お前っ! これで死んだらオレが悪いみたいじゃねえか!」
マイクはセスの下から這い出た。聞こえた限りでは、後を追ってくれたアーノルドが居るはずだ。
「アーノルドぉ! 助けてくれ~!」
「こっちに居たのか!」
声を頼りにアーノルドが駆け付けた。
血を流しているセスを見て息を呑む。
彼の脳裏にセスの言葉が過ぎった。
「『回復魔法』も刻んでるって言ってたよなぁ!」
アーノルドはセスの薄い胸に手を押し当てた。
空気が揺れる。
体中の力が吸い取られるように感じる。それと共にセスの傷が塞がっていった。
「おお、すっげぇ~」
「魔法ってすげぇ疲れる……」
彼の背後を見たマイクが叫ぶ。
「アーノルド! 後ろ! 魔物だ!」
獣の形をした魔物が彼らへ迫る。
砂が飛び散る。
アーノルドは庇うように腕を前にかざした。
<ギフト>を使う為に意識を集中しようとして──
その時、雷のような怒号が轟いた。
「誰だァ!! 私の白いのをいじめているのはァ!!」
ぱん!
風船が弾けたような音と共に、彼らを襲おうとしていた魔物が飛び散る。
拳を握る人影があったため、何者かが魔物を殴ったのだと理解できた。
アーノルドはかざした腕を下ろして人影を見つめる。
太陽を背に立っていたのは、赤い髪をなびかせた美女だった。
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