六章 雪原の狼と『模倣』の魔法使い
第32話 スティリア騎士団
北部スティリアバーグは国境に面している。隣国は冬の精霊の加護を受けており、地続きのスティリアバーグはその影響で一年中寒冷な気候だ。
隊服の色から「青の騎士団」と呼ばれるスティリア騎士団は、山の頂にある城を拠点としている。比較的穏やかな春夏ならば馬車で行くことも可能だ。
スティリア騎士団は身分を問わない。
北部の小さな農村でも、一人の青年が出立しようとしていた。
「にーちゃん、いってらっしゃい!」
「怪我すんなよ、兄貴」
「休みが取れたら帰ってきてよね」
母と弟妹に見送られ、褐色の肌をした青年・アーノルドは北の砦を目指す。
しなやかな長身は戦いに向いていたし、剣を振るのも得意だった。最近特に体力も伸びていた。狩猟を続けていたからか、感覚も鋭くなってきている。
金を稼ぐのに騎士は丁度良かったのだ。こうして青年はスティリア騎士団に入団した。
叙任の日、若者たちはスティリア城の広間に集められた。
簡易的な叙任式を終え、老齢の騎士団長が壇上から語り掛ける。
「お前たちは見ての通り、出自も身分も年齢も様々だ。これは我々の戦う相手が人間ではなく、魔物だからだ」
彼は一度言葉を区切った。
「魔物はこちらの戦力を見て標的を選んだりはしない。目の前の生き物を襲う。そんな相手から市民を守るのが我々の役目だ。俺はお前たちの生まれに関わらず、魔物から市民や仲間、自分の命を守れるように指揮を取るからな。自分がしていることは何のためなのか、努々忘れないように。以上、解散!」
騎士団長が手短に挨拶を終える。浮ついた若者たちが移動する中で、アーノルドの目に留まる者が居た。
移動するでもなく、青白い顔で若い騎士たちをじっと見つめている。
確か宿舎で同室になった青年だ。
アーノルドは動こうとしない銀髪に声を掛けた。
「よう。緊張してるのか?」
ゆっくりとこちらを振り返った銀髪の青年は、眩しそうに目を細めた。
ピアスやらペンダントやら、やけに装飾具を着けているのは気になるが、穏やかそうな痩身の男だった。アーノルドよりはいくらか若そうに見える。
(騎士って言うより学者センセーって感じだな)
アーノルドはそう感じた。アーノルドは学校に行ったことがないし、学者先生の知り合いも居ないのだが。
「俺はアーノルド。同じ部屋だよな、行こうぜ」
アーノルドの言葉に彼は奇妙に表情を歪めた。アーノルドにはそれが、弟たちが泣くのを堪えている時の表情に見えた。
「僕はセス。……よろしくお願いします、アーノルド卿」
改まった物言いにアーノルドは噴き出した。
「卿って!」
「……皆さんは騎士なので」
彼の世間知らずな言葉に、アーノルドは思わず鼻で笑ってしまった。
「騎士って言っても名前だけだろ。何を期待してんのか知らねえけど、俺もそうだけど、給料が良いから選んだ力自慢ばっかりだぜ」
「それでも、……人を守る仕事を選んだのでしょう。尊敬します」
アーノルドは頬を掻いた。直球で照れ臭いことを言われてしまった。
「まあ、俺のことは呼び捨てにしろよ。他の奴らも多分同じ反応だと思うけどな」
「分かりました。──アーノルド」
アーノルドは頷いた。二人で宿舎へと向かう。その途中で、話しぶりや雰囲気から彼が魔法使い出身者だと当たりをつけた。
「魔法使いも来てるって聞いたけど、セスが魔法使いなのか?」
「……ええ、そうです」
微妙な間にアーノルドは首を傾げる。
「僕は魔力を持たないので、想像されている魔法使いとは違うかもしれません」
セスの言葉に彼はギョッとした。慌てて周囲を確認し、声を潜める。どうやら周りを歩く騎士たちには聞こえていなかったようだ。
「おい! そんな大事な事こんな場所で言って良いのかよ」
「聞かれても困りません。一緒に戦う人には情報を共有した方が良いですから」
セスの答えにアーノルドは頭を抱えた。
世間知らずの坊ちゃんだろうな、と早くも感じていたが、世間知らず過ぎる。
「あのな、団長が話していただろ。俺たちには色んな身分の奴がいるって。魔法使いってだけでお前を煙たがる奴だっているんだ。弱点を教えてやる必要があるか?」
「僕が嫌われて弱点を突かれるなら、それは仕方のないことです」
アーノルドは意外な気持ちで彼を見た。子供のように素直かと思えば、妙に達観している。
だが率直に言って、アーノルドは既にこの奇妙な青年のことを、心地よく感じていた。
◆
「魔物とは、放置された生物の死体に『瘴気』が入り込んで変化させたものだ」
騎士団に入って最初に教わったことは魔物についてだった。
「彼らに意思はなく、見境なくこちらを攻撃してくる。彼らを止めるには攻撃して再起不能にするしかない」
教官が歩きながら説明する。
『瘴気』とは何なのか。どこから来るのか。謎の多くは解明されていない。ただ、明らかに空気とは違うものが存在していて、魔物が現れる原因だということは分かっている。
スティリア騎士団は暖かい季節、魔物に備えての活動が主だ。
魔物は放置された生物の死体からできる。温かい季節はまず死体を片付けること、死体を生まないことが重視された。
行方不明者の捜索、動物や遭難者の遺体の回収、遭難者を出さない為の街道の整備。
一見すると地味な仕事だ。
「よくそんなに熱心にできるな」
手を動かしながら、アーノルドは隣のセスに話しかける。街道沿いの朽ちた柵を建て直しているところだ。
「魔物の予防は大切ですから」
「もっと騎士らしいことしたいとは思わないのか?」
「騎士らしい?」
「魔物と戦いたい、とか」
セスは逡巡した。
「どうでしょう……。考えたことが無かったな。必要なことですから、魔物に出会ったら戦うでしょうけど」
セスは手を止めてアーノルドを見る。
「……アーノルドは、こういう作業は嫌いですか? 魔物と戦いたいですか?」
アーノルドは暫く考え込んだ。
セスの様子を窺い、躊躇いながら口を開く。
「……子供のころ、親父が俺たちを置いていなくなってさ。お袋は「魔物に食われて死んだ」って俺たちに説明したんだ」
「えっ」
セスは目を見張った。青白い顔をますます青くしている。アーノルドは彼の素直な反応に噴き出してしまった。
「勿論嘘だったけどな。この辺だと、行方を眩ました奴のことを、古い人は「魔物に食われた」って言うらしいぜ」
「えっと、ということは……」
「後から知ったんだけど、親父は流れ者ってやつらしい。要するに捨てられたんだよな」
アーノルドは自身の掌を見つめた。この辺りでは珍しい、煮つめた紅茶のような肌は、異国の血が由来していたのだと、今なら分かる。
「……お袋の嘘を信じてなかったけど、少しだけ、本当に魔物に食われてしまったのかも、って思ってたんだ。でもこうして作業して分かった」
アーノルドは大きく息をついた。
「これだけ騎士団が雪原を捜索してたら、死体でもなんでも出てくるだろ? だからやっぱり親父は俺たちを捨てたってハッキリした。長年の疑問が解消したぜ。魔物を斬ったら腹から親父が出てきたらどうしよう、とか考えたことも有ったんだけどよ、これで心置きなく魔物と戦えるな。……まあ、だから必要な作業だと思うぜ」
悪趣味な言い方をした自覚はある。ただ、本心でもあったので、セスの様子を窺って目を見開いた。
彼は青褪めて口元を押さえている。アーノルドは慌てて彼に駆け寄った。
「セス!」
「……大丈夫です」
ちっとも大丈夫そうに見えない。摩った背中は冷え切っているのに、額に脂汗が浮いていた。
「悪い。変な話聞かせた」
「いいえ、」
セスは自身の胸を押さえた。
アーノルドは空気が揺れるような、奇妙な気配を感じた。眉を顰めて周囲を見回すが、変わった様子はない。
その間にセスは顔を上げた。すっかり平素の様子に戻っている。
「僕は大丈夫。……アーノルド、大事な話を教えてくれてありがとう」
「おう。どーいたしまして。……それよりお前、魔法か何か使ったのか?」
セスは答えあぐねていた。どう説明したらよいのか迷っているようだった。そんな二人に声が掛けられる。
「魔法使いのお嬢ちゃんに騎士の仕事はキツイんじゃねぇの~?」
声の方を向くと、小柄な騎士の青年が、数人の仲間と共に意地の悪い視線を送ってきていた。
「ああ? 何だお前」
アーノルドは声を低くして凄む。体調不良の人間に絡んでくる根性に腹が立つ。
(なんて名前だったかな……)
うっすらと思い出す。同期の一人の筈だ。
彼が反応したことに気を良くしたのか、小柄の騎士は仲間たちとニヤニヤと笑い合っている。こういう輩は最初に分からせなくてはいけない。ぐっと拳に力を籠める。と、彼の腕をセスが引いた。
セスの方を振り返ると、本気で不可解そうな顔をしている。
「アーノルド、僕はこれでも男らしくなった方なんですが」
「いや知らねえよ」
「印象を変えるって難しいですね」
「おいほのぼのしてんじゃねぇ!」
彼は声を張り上げた。悔し気にアーノルドとセスを見比べ、吐き捨てるように叫んだ。
「チクショー! お前なんかどうせソイツの──で──のクセに!」
「はあ?」
下世話な悪態にアーノルドの声が尖る。女性や子供が居たら耳を塞いでしまうだろう。
(箱入りの坊ちゃんには意味が分からないだろうけどよ……)
アーノルドはちらりとセスに視線を遣った。
彼は真顔で口を開いた。
「いえ、僕は抱かれていませんから、──じゃないですよ」
ゲホッゴホッ!
アーノルドは咽た。相対する騎士たちも目を丸くしている。
「おいっ!」
「すみません、下品でしたね」
アーノルドは額を押さえる。シモの話は疎そうなのに、平然と猥語を口にしたセスに衝撃を受ける。何となく抱いていたセスの印象が大きく変わってしまった。
「はぁ~ッ誰だよお前にそんな悪いこと教えたやつは」
思わずぼやいてしまう。セスは何故か不貞腐れたような、奇妙な表情でアーノルドを見つめた。
「何だよ」
「別に……」
セスは騎士たちに顔を向けた。小柄な騎士へ呼びかける。
「マイク。僕が気に入らないのは仕方ないけれど、あんまり品が無いのは勿体ないですよ。ここには女性も務めているんですから」
マイク。そう、確かこの小柄な騎士はマイクと言う名前だった。
「行きましょう。騒ぎすぎて罰を受けては困りますから」
セスはマイクたちを一瞥すると、彼らに背を向けて歩き出した。アーノルドもセスの背中を追う。
セスが騎士たちに向けた視線が、どこか親しみを持っているのを不思議に思いながら。
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