四章 北の砦に花は咲かない

第21話 『天啓』のエルフ


 鮮やかな秋が過ぎ、街が冬の様相を始めた時節。

「兄ちゃん、見て!」

 ルカは扉を開け放って兄の部屋に飛び込んだ。

 にやにやと笑みを隠さず、瞬きをする兄を見上げる。ルカは両手を合わせて念じるように力を込めた。

 ふぁさっ、と軽い音を立てて、ルカの指の隙間から何かがあふれ出した。

「ルカ、これは……」

「カーネーション! 赤だけじゃなくて、白や黄色のもあるんだよ、知らなかったでしょ?」

 彼は自慢げに両手を広げた。掌には色とりどりの花が溢れている。

「これがオレの<ギフト>だよ。さっきできるようになったんだ」

 ルカはこれまで<法式>を必要としない特別な魔法に目覚めていなかった。春先の事件以降、魔法を意識するようになったからか、今日になって突然目覚めたのである。

 兄は呆然と弟の両手を見つめている。ルカは暫く反応を待っていたが、やがて表情を曇らせた。

「やっぱり兄ちゃんも、攻撃ができる魔法とか強い魔法の方が良かった?」

 ルカの言葉にセスは我に返った。慌てて弟の両手に外側から手を添える。

「そんなことない。すごいよ。植物を生み出すなんて僕にはできないことだ。それに色の操作までできるなんて、精度も高い」

「でもさぁ、兄ちゃんって魔法フリークって感じなのに反応悪かったし。やっぱり魔法使いの後継者ならもっと派手な方が良いの?」

「そんな訳ない。僕はただ、花が苦手なだけで……」

 セスは慌てて弁明した。しかし自分の言葉選びに思わず顔を顰める。『花』の魔法に目覚めた相手に、花が苦手だと言って良い気はしないだろう。案の定ルカはますます表情を暗くした。

 言葉を重ねようとしたセスを、外から声を掛けたキャシーが遮った。

「セス坊ちゃん、お客様ですが」

 二人はキャシーに意識を向けた。彼女はルカの手元を見ると「あら素敵なお花」と微笑む。それから首を傾げるセスに来客の確認を続けた。

「エルダ、と言う女性です。どうしましょうか?」




 ワイアット邸を訪ねたのは、一見すると金糸の美しい少女だった。

 しかし彼女の纏う雰囲気は少女と言うには老成しており、深緑の瞳はこちらを見透かすような不思議な色をしている。

 何より印象的なのが長く尖った耳で、これは「賢者の子孫」「森の民」、あるいは俗に「エルフ」と呼ばれる種族の特徴だった。

 彼女の名はエルダ。苗字は持たない。

『天啓』と呼ばれる特別な魔法を持つ。回帰前、セスやスカーレット同様に北部の要塞に所属していた仲間である。そして、セスが最期に言葉を交わした人でもあった。




「エルダ……?」

 応接室に入るなり、セスは少女──エルダに駆け寄った。

「会いたかったわ」

 エルダの言葉にセスは声を詰まらせる。

 セスは13年前、時が戻って、スカーレットに記憶が無いことを確認すると、それ以上過去の関係者に会いに行かなかった。誰も覚えていないと思ったからである。

 それなのに時が戻ってから何年も経った今、向こうから訪ねて来た。

 セスは必死で言葉を紡いだ。

「どういうことなの……? 過去のことを覚えているのですか?」

「ふふ、一から説明するわ。良い子で聞いていてね」

 エルフの少女は蠱惑的な笑みを浮かべ語りだした。




 ◆

 エルダは生まれた時から『天啓』と呼ばれる特別な魔法を持っている。

 これは、過去や未来の一場面が天啓のように脳裏に閃く、というものである。

 長年、彼女はこの力で物事の吉凶や一族の今後を占ってきた。過去の重大な場面を見ることもあり、歴史の重要な証言にもなった。

 初めてその奇妙な天啓を受けたのは、丁度13年前のことである。一組のエルフの夫婦に赤子が生まれ、集落を上げて宴をしていた時だった。

 それは雪山にある要塞で、自分が騎士として働いている光景だった。

 調べてみると確かに、隣国と接する北部に要塞がある。防衛の要なので、国から力のある魔法使いや有望な騎士に応援要請を出すことも有るという。エルダの一族はアステルラント王国の領土にある森に集落があるため、エルダが呼ばれることも十分有り得る。

 ──将来、自分は国の要請を受けて北の砦で働く。

 これはその天啓なのだ。

 以降、要塞での自分を見ることが多くなった。面白そうな仲間も天啓には登場し、その中には赤髪の騎士の姿もあった。エルダは密かにその将来を楽しみにしていた。

 いつもは覚醒している時に不意に閃く天啓が、その日は夢として表れた。

 それはおぞましいものだった。

 雪原に突如として巨大な魔物が現れ、砦の人々を襲うというものだった。自身も倒壊した城塞に巻き込まれ、瓦礫の下に埋まった。命が流れ出すのを感じる。

 そんな時、エルダに重なる瓦礫が少しずつ動かされた。

 長い銀髪の魔法使いだった。彼も自分と同様に血に塗れていた。

 自分は彼とわずかに言葉を交わし──世界が大きく歪むのを感じた。まるで誰かが書き損じを丸めるみたいに、大地が、空が圧縮されていく。

 視界が白く塗りつぶされ、長い長い空白の後。次に視界に入って来たのは、故郷の森だった。赤子の誕生を祝う宴の光景だった。

 そこでエルダは夢から覚めた。




 ◆

「わたしは最初、将来自分が北部で死ぬという天啓だと思ったわ。でも、長命のわたしたちに赤子はなかなか生まれない。だから……時が戻ったのだと考えたわ」

 エルダはここまで一気に説明した。

「わたしは過去の光景を見ていたのよ。そこであなたを知った」

 エルダは申し訳なさそうに目を伏せた。

「だから、ごめんなさい。過去の記憶を持っているという訳ではないの」

 セスは詰めていた息を吐いた。どこかで落胆している自分を感じている。

「その夢を見て以降は、あなたを探したわ。力のある銀髪の魔法使いを片端から当たってみた。もちろんワイアット家も調べたわよ。セス・ワイアットという長男が銀髪だと聞いて一番に見に行ったんだけど、遠くから見たあなたの姿が、夢での姿とあまりに違ったから……。別人か、時が戻ったことを知らないのだと思っていたの」

 セスは納得した。

 確かに、自分は回帰前とは印象が大きく変わっていることだろう。

「あれ? では、どうして僕だと?」

 エルダはくすりと笑った。

「この前、街であなたを見かけたわ。長い銀髪の姿を見てやっぱりあなただと確信したの。何故かワンピースを着ていたけれどね」

「さいあくだ……」

 セスは呻いた。一番見られたくない姿を見られていた。

「広場で赤髪の女性と一緒に居たでしょ? 彼女もわたしの天啓の中に出てきたわ。だからあなたも過去のことを覚えていると思ったの。で、あなたたちを尾行して身元を調べたという訳よ」

 さらりと尾行って言わなかったか。セスは追及しなかった。

 一通り話終えたエルダは深く息を吐いた。

「あのね、わたしにとっては初対面だけど、とても久しぶりな気持ちもあるわ」

 エルダは改めてセスに向き直る。彼も意図に気付き、居住まいを正した。

「初めまして、久しぶり、セス。わたしはエルダよ。よろしくね」

「久しぶり……初めまして、エルダ。僕はセス・ワイアット。今度は僕が説明する番だね」

 セスはそう言って、時が戻ってから自分の身に起きたことを説明した。



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