第20話 白雪姫の条件

 第5区。古いアパルトメントの一室、メアリーの住居に、スカーレットは招かれていた。


「『白雪の集い』について新しい情報があります」


 メアリー嬢はそう言った。ただし、ここでは話したくないと。

 スカーレットは暫し沈思し、彼女の言葉に頷いた。そして彼女の言う通り、メアリー嬢の住まいで話を聞くことになったのだ。

 室内には隅に追いやられた、途中の針仕事や掃除の跡が見受けられる。

 スカーレットは改めて目の前のメアリーという女性を見つめる。肩までの黒い髪は手入れされており、白い頬に映える。今までスカーレットは『赤薔薇の会』の面々に対して、美意識が高い淑女たちなのだと思っていた。しかしこうして彼女の生活を鑑みるに、スカーレットの前でとりわけ美しく装ってくれていたのだと分かった。


「スカーレット様、どうかごゆっくりなさいませ。今紅茶を淹れますから」

「ありがとう」


 メアリーはスカーレットへ紅茶を注ぐ。


「『白雪の集い』への調査にお供したかったのに、残念ですわ」

「ありがとう、その気持ちが嬉しいよ。けれど危険な場所へきみを連れて行けないからね。調査は無事に進んでいるから安心してくれたまえ」


 スカーレットの言葉を受け、メアリーは意を決して口を開いた。


「それは、あの男の人と一緒に調査されたのですか?」

「あの男って?」

「あの、背の高い、不健康そうな人です。舞踏会でも一緒でいらしたでしょう?」


 スカーレットはセスのことを指していると理解した。


「うむ、協力はしてもらったよ」

「あの人はスカーレット様の、こ、恋人なのですか!?」


 メアリーの質問に彼女は頬を染めた。そして恋人役として振る舞う約束をしていることを思い出した。無意識に照れながら答える。


「うん。彼とお付き合いをしている」


 ぐっ、とメアリーは唇を噛み締めた。それから表情を切り替える。


「『真実の愛で目覚める薬』ですけれど、スカーレット様はどうお考えですか?」

「……正直なところ傷ついた女性が復讐の為に使うものだと感じたよ」


 スカーレットはけれど、と言葉を続けた。


「もしも自分が薬を飲んで目を覚ましたのなら、二人の間に確かに愛情はあったのだと証明される。薬に縋る女性たちも、心のどこかで目を覚ますことを望んでいたのではないか……と、私は考えてしまう」


 我ながらセンチメンタルなことを言ってしまった、とスカーレットは内心恥じた。メアリーは瞳を潤ませる。


「全然お分かりになってないのですね」

「そうかい!?」

「スカーレット様は生まれながらに騎士としての運命を持った特別なお方。この気持ちを理解せよという方が烏滸がましいと言うものですわ。よろしいですか、魔女によって永遠の眠りについた女性が、真実の愛のキスを受けて目を覚ましたら。それは──」


 スカーレットは息を呑んで続きを待った。


「その女性がお姫様だということです」


 スカーレットは文字通りひっくり返った。椅子が音を立てて倒れる。

 それを温度の無い目で見て、メアリーは懐から小さな小瓶を取り出した。見せつけるように掲げる。透明な液体が揺れていた。


「それは……!」

「『真実の愛で目覚める薬』です。スカーレット様、わたくし、必ず目覚めて見せますから。ですからどうか、わたくしの王子様になってくださいませ」

「何を言っているんだい!?」

「わたくし、スカーレット様をお支えしている時だけが充足していました。それなのに、あんな湧いて出てきたような男に取られるなんて! スカーレット様! わたくしを選んでくださいませ!」


  メアリー嬢の表情は常軌を逸している。普段自分を応援してくれている時に見せるものとは明らかに違った。スカーレットは息を呑んだ。

 目の前の淑女はいつも自分を慕って様々な手助けをしてくれていた。そんな女性が、永遠に眠りにつく薬を手にしている。先刻、騎士団の詰所では女性を説得できなかった。


(──私が頷けば、メアリー嬢を救えるかもしれない)


 不意にセスの言葉が脳裏を過ぎった。

 ──僕は聞こえの良いことを言っただけです。僕は彼女の人生を背負えないし、救えないですから。生きるのも死ぬのも結局本人が決めることでしょう

 スカーレットは唇を震わせた。


「それは、できないよ」


 ここで頷くことは簡単だ。だが、それでは真剣に彼女に向き合っていないのではないだろうか? 一生メアリー嬢を支えて生きる覚悟はスカーレットには無かったのだ。


「ごめんね。私にきみの人生は背負えない。きみの現実も変えられない。それでも、生きてほしいと思ってしまう」

「そんなの、我が儘ではありませんか!」

「その通りだ。それでもきみに薬を捨ててほしいと思っている。メアリー嬢、お願いだよ……」


 メアリーが身構えた。口元に小瓶を近付ける。スカーレットは手を伸ばした。


「──スカーレット!!」


 部屋の扉が乱暴に開けられる。

 ごう、と突風が巻き起こり、メアリーの手から小瓶を弾き飛ばす。中の液体は無残にも床にまき散らされた。

 息を荒げ、真っ白な顔をしたセスが文字通り転がり込む。


「セス!」


 セスは息を整えようとして咽返った。魔女から情報を得て騎士団へ走り、スカーレットとメアリーの居場所を聞いたのだ。限界まで身体を強化し、セスはよろめく。

 スカーレットが思わず彼に駆け寄った。セスは咳き込みながらなんとか言葉を紡ぐ。


「か、風魔法も便利でしょう……?」

「ばか!」


 スカーレットに支えられながらセスはメアリーを見た。薬を零したことで緊張が途切れたのか、へなへなと座り込んでいる。

 セスはスカーレットの支えを離すと、座り込むメアリーに近付いた。彼女は肩を揺らしてセスを見つめる。


「あの薬は回復魔法で目覚めることができるので、薬でスカーレットを手に入れることはできませんよ」

「えっ……?」


 セスは暫し考え、そっとメアリーに耳打ちした。


「あなたがスカーレットの前で死にのうとするなら絶対に回復させるので、やめた方が良いですよ。そんな方法で彼女に傷をつけようなんて、絶対にさせませんから」


 メアリーは思わずセスから上体を離した。

 見上げたセスの瞳が何の温度も持っていないことにゾッとする。何の感情もなく、メアリーに脅迫めいた言葉を告げている。

 メアリーは恐怖で声を上げて泣いた。

 セスはそんな彼女を一瞥すると戸惑っているスカーレットを連れて部屋を後にした。





 ◆

 二人は報告をしに騎士団の詰所へと向かう。

 これが探偵小説の主人公なら、「真実の愛とは何か」について語り、事件の総評でもするのだろう。が、これは探偵小説ではないので、当然彼らも事件を締めくくったりはしない。

 スカーレットはぽつりと呟く。


「もしかして、修羅場と言うやつだったのだろうか」

「余裕があるみたいで良かったです」

「思えば私は、彼女の優しさに胡坐をかいていた。だからメアリー嬢が見返りを要求するのも分かるのだ。でも私は彼女の王子様にはなってあげられない」


 スカーレットは訥々と語る。


「私は騎士として市民を守ると言いながら、綺麗事ばかりだ。……私には命を絶ちたいと思う気持ちが分からない。むしろ私の無神経な言葉で人を傷つけてしまうだろう」


 スカーレットは鼻を啜った。気を抜くと涙腺が緩みそうで、気合を入れて奥歯を噛む。


「……スカーレット、忘れないで。例え誰かが死んでしまったとしても、あなたのせいではない。あなたは優しいから、予兆に気付けたのではないか、何かできたのではないかと自分を責めるでしょう。でも、あなたのせいじゃない」


 セスは慰めるというよりも事実を語る口調で言い聞かせた。


「あなたのせいじゃない」


 ぐす、とスカーレットは鼻を鳴らした。嫌だな、と思ったのだ。彼の言葉は彼女を肯定しているのに、どこか不安な気持ちになる。

 きっと彼の横顔があまりに白いせいだろう。それに今日は痴情のもつれや命に関わる話を聞きすぎた。

 はっきり言ってしまえば、もっと分かりやすく安心したかった。

 スカーレットは自分の衝動に素直に従うことにした。


「セス、抱きしめたい。許してくれるかい?」

「うぇっ」


 セスが奇妙な声を上げた。


「ここは往来だ。私たちの関係で適切じゃないことは分かっている。嫌ならしない」


 スカーレットは退路を断った。

 セスは顔を逸らしたが、白状するしかなかった。


「嫌ではない、です」

「よし!」


 スカーレットは彼の痩せた身体を目一杯抱きしめた。あばらの浮いた胸に顔を埋める。よしよし、ちゃんと鼓動が聞こえる。

 彼が抱擁を返してくることはなかった。だが見上げた彼の頬が、十分血色の良くなっていたのでスカーレットは満足したのだった。







 ◆

 時は遡り、広場でひっつめ髪の女が夫を糾弾している時のことだ。

 その少女は、野次馬たちの後ろで何気なくその光景を見ていた。


「見世物じゃないぞ! 散れ!」


 雷鳴のような一喝が轟く。赤髪の女性が夫婦へ駆け寄る。

 少女は身を乗り出した。

 騎士が現れ、関係者たちが連れて行かれる。その中に、腰まで届く銀髪を見つけて、少女は目を見開いた。


「やっぱりあなただったのね、セス・ワイアット……!」

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