第2話 喪失


(そして死んだと思ったけれど)




 痛む頭を押さえ、セスは現状を分析する。

 寝台から下りて鏡の前に立つ。銀髪の少年が映って、所在なさげにこちらを見ている。

 信じがたいが、過去に戻ってきた、というほかない。


(「奥さまがお亡くなりになって」とキャシーが言ったということは、5歳の時、春かな)


 キャシーとは先程のメイドである。心配そうにこちらを見つめている。セスの母親は彼が5歳の時に他界している。キャシーの反応から見て、母が亡くなった直後なのだろう。

 当時のことを思い出してセスは胸を押さえた。キャシーが心配して肩を抱く。セスは混乱する頭を押さえた。状況を整理しようと考えを巡らせる。


(5歳、ってことは、昔に戻っているってことは、──まだ皆死んでない!)


 セスは顔を跳ね上げた。




「【厄災】が来るんだ! 北部に【厄災】が来るの! 皆を避難させて!」

「坊ちゃん?」

「北部の要塞に魔物が来るんだよ!」


 キャシーが困惑してセスを見つめる。セスは思わず顔を伏せて踵を返した。父の書斎へ向かう。キャシーの戸惑った声が背中に掛けられた。


「坊ちゃん!」


 重い扉を押し開け、椅子に深く腰掛けている父に叫ぶ。


「父さん、【厄災】が来るんです! 北部に【厄災】が来て人々を襲うの、だから避難を呼びかけてください!」


 父は顔に刻まれた皺をさらに深くした。


「何を言っているんだ? こんな時に」

「【厄災】が来るんです。それまでに皆を守らなくちゃいけないんです!」

「フローレンスが死んだ今、ワイアット家の後継者としてお前が力を示さねばならないというのに」


「旦那様ッ!」


 父の言葉を追いかけて来たキャシーが遮った。使用人が主人に向けて良い声色ではない。初めて見る剣呑なキャシーの雰囲気にセスは戸惑った。


「以前から申し上げておりましたが、旦那様の教育は厳しすぎます! 奥様を亡くして坊ちゃんはこんなにも錯乱してらっしゃるのに!」

「使用人に口出しされる問題ではない」

「いいえ! もし坊ちゃんに何かあったら、奥様に申し訳が立ちません! 大体──」




 セスは二人が言い争うのをぼんやりと聞いていた。頭がくらくらする。

 それどころじゃないのに! 叫びたかったが、身体がだるくて仕方なかった。

 背筋が震えるほど寒い。


「寒いな……」


 セスの言葉にキャシーは言い争いを止めた。


「え? 今日は暑いくらいですけど……」

「暖炉を……」


 重い体を引きずってセスは暖炉に手を伸ばす。

 火を起こすために魔法を使おうとして、セスは動きを止めた。

 見守っていたキャシーが首を傾げる。身を乗り出して暖炉を覗き込んだ。


「どうしました? 故障ですか?」


 確認しようと彼女が手を伸ばすと、ぼんやりと魔法の発動する光が浮かび上がる。ぱち、と薪から煙が上った。

 意味を理解したキャシーは真っ青になってセスを振り返った。



「坊ちゃん、魔力が」


 後ろで父が息を呑む。

 セスは指先まで冷え切った手を握り締めた。


 彼は魔力を失っていた。視界が揺らぐ。彼は再び意識を失った。






 これは【厄災】と呼ばれる魔物に全てを奪われ、そして魔力を失った魔法使いの物語である。








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