北の砦に花は咲かない

渡守うた

序章

第1話 回帰

 雪の中、彼はもう、自分が泣いているのかどうかさえ分からなかった。


 悲しみの多い人生で、やっと手に入れた大切な人たちが、愛する女性が、血を流して息絶えている。


 やがて雪が全てを覆いつくし、彼は意識を手放した。




 回星暦1774年、魔法と共存する国アステルラント。


 この国の北部を守る要塞が【厄災】と呼ばれる魔物によって滅ぼされた。【厄災】が街へと向かい、この国に破壊の歴史が刻まれる前に──世界は過去へと戻っていた。









 窓から差し込む陽射しが眩しい。


「──はっ!」


 王都の自室でセス・ワイアットは目を覚ました。

 自分がベッドに寝ていると気付き、慌てて飛び起きる。

 自分は確かに、雪原に突如として現れた魔物に敗れた。辺りを見回し、呆然と呟く。


「僕は、死んだはずじゃ……」


 思わず出た声があまりにも幼く、セスはぎょっと口元に手を当てた。その掌も、見下ろす身体も、明らかに子供のものだった。


「坊ちゃん! 気が付いたのですね!」


 入口の方から声が上がる。年若いメイドがセスの元へ駆け寄った。目に涙を浮かべてセスの身体を抱きしめる。セスは驚いて彼女の顔を見つめた。


「奥さまがお亡くなりになって、坊ちゃんまで目覚めなかったらどうしようかと、私っ……」


 彼女の言葉を聞いてセスは理解した。自分が過去に戻ってきていることを。








 この奇妙な状況を説明するためには、セス・ワイアットという青年の人生について触れなければならない。


 彼は魔法が人々の生活に根付くアステルラント王国で、魔法使いを輩出する家系に生まれた。魔法が生活の基盤になっているということは、魔法使いを束ねる家は世界に大きな影響力を持つということである。


 ワイアット家は魔法使いの中でも主だった家門だ。その後継者として、セスは幼いころより厳しい教育を受けていた。そして、それに誰も異を唱えない程、彼の魔力は強大なものだった。




 転機が訪れたのは成人してすぐのことだった。国からの要請で、正式に当主になるまでの間、北部の砦で防衛に務めることになったのだ。そこで彼は初めて外の世界を知り、友人や愛する女性を得た。


 【厄災】が現れたのはそんな時である。


 突如現れた巨大な魔物は、砦を破壊し、人々を皆殺しにした。



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