第116話 守りたい者のために
ニーアやネメシスと遊ぶ日々は楽しかったが、それで実験の痛みがどうこうなるものでもない。毎度毎度死んだ方がマシと思えるくらいの激痛と戦う日々だ。けどニーア達と過ごす日々を失わないために、初めて得ることが出来た大切な人たちと過ごす時間のためにも、必死に痛みに耐えた。
「素晴らしい。抗体なしでここまで耐えることが出来るとは」
「これほど優秀な素体は初めてだな。おかげで研究が進んで助かるよ。この資料だけでも、カーリー様は大変お喜びになるだろう」
奴らの会話はあまり理解出来なかったが、何らかの目的のためにこの研究や実験をしているということだけは理解できた。そして、その研究のために人の命などどうでも良いと思ってるということも。
何度かゴミのように捨てられてる子供も見たことがあった。奴らは平気で人の命を踏みにじり、己の利益だけを追求するイカれた存在。そいつらの実験に付き合うのはしんどかったよ。
「ふう……ようやく……終わった」
壁を支えにして歩きながら白い部屋に帰ると、ネメシスが近づいてきた。
「おかえりカイツ。体は大丈夫?」
「うん……なんとかね……ぐ」
意識が重くなってふらついたが、それをネメシスが支えてくれた。
「おっと。危ないわね。遊ぶのはもう少し経ってからにする? まだニーアも帰ってきてないし」
「ああ。そうする」
ニーアを待つ間、彼女が話しかけてきた。彼女のことを色々教えてもらった。好きな食べ物とか嫌いなものとか趣味とか。
彼女と話す時間は本当に楽しくて、人と話すことがこんなにも楽しいことなんだと初めて知ることが出来た。
「カイツは、やりたいこととかあるの?」
「やりたいこと……思いつかないな。今までそんなこと考えたことも無かったし。ネメシスはどうなんだ?」
「私はあるわ。いつかここをぶっ壊して、私とニーア、カイツの3人でどこかで暮らす。それが私の夢よ」
「俺たちで……どこかに?」
「ええ。この世界には楽しいものが沢山あるって聞いたわ。私はそれをあなたたちと見てみたいの」
「それは……すごい楽しそうだな」
「でしょ。ま、ここを脱出しない事には、どうにもならないんだけどね」
「そうだな」
そんな話をしてると、ニーアが戻ってきた。
「ニーア! 体は大丈夫なのか?」
「そんなに心配するな。そこまでダメージは受けていない」
「凄いわね。流石は私よりも優秀と言われただけのことはあるわ」
「それほどでもない。それより、はやく遊ぼう。今日は何して遊ぶんだ?」
「今日はねー。昨日はトランプとボードゲームとボールで遊んだし、今日はこれで遊びましょ!」
そう言ってネメシスが取り出したのは、透明な液体が入った瓶と、輪っかが付いた棒だった。
「姉さま。それはなんだ?」
「ふふふ。これはこうするものよ」
彼女は輪っかのついた棒を瓶に入れ、液体に浸す。瓶から抜くと、輪っかに透明な液体が付いていた。彼女がふう、と息を吹きかけると、輪っかから透明な玉がいくつも出て来た。
「凄い! なんだこの不思議な玉」
触ろうとするとすぐにはじけてしまい、それに驚いてしまった。
「うお!? すごい壊れやすいんだな。ニーア。これなんだ?」
「これはシャボン玉。さっきの透明な玉をこの道具で飛ばしたり出来るの。人数分あるから、これをやってみましょ」
「姉さま。これどうやって用意したんだ? うちにはこんなものは」
「どっかの研究員にこういうのが好きな人がいるらしくてね。こっそり盗んできたのよ。さあ! ここからは私たちの遊びの時間だし、たっぷり遊ぶわよおお!」
そうして俺たちはシャボン玉を飛ばして遊んだ。大きいものから小さなもの。大きなものにいくつも小さいシャボン玉を入れて飛ばしたりなどして遊んだ。ニーアやネメシスは上手くやれてたけど、俺は中々上手くシャボン玉を作ることが出来なかった。
「ニーア。これどうやって作ればいいんだろ。上手くできないんだけど」
「どうやったらこれで失敗するんだ。全く」
彼女は俺の手を取って指導してくれる。
「液体を浸して、呼吸するような強さでやればいい。そうすれば上手くいく」
「呼吸をする強さ……ふううう」
彼女の意見を参考にしてやってみると、上手く作ることが出来た。
「おお。上手く行った。ありがとう。ニーア」
「これぐらいのことは出来ない方……が」
彼女は突然黙ってしまい、少しばかり顔を赤くした。
「? どうかしたの。ニーア」
「……いや。何でもない」
彼女はそう言ってそそくさと離れて行った。少しばかり変なことはあったが、今日も2人と楽しく過ごすことが出来た、良い1日だった。実験は辛いことばかりだが、こうして2人と遊べる日が来るのは嬉しかった。
次の日。その日も実験が辛かったけど、2人と遊ぶ時間が待ってることを考えれば、何とか耐えることが出来た。その日は3人でトランプゲームをしていた。けれど。
「? 次はネメシスの番だけど」
「……ああ。そうね。ぼーっとしてたわ」
彼女の様子が少しばかりおかしかった。何かあったのか聞いても大丈夫、心配しないでとしか言わず、ゲームが続いていた。何か良くないことが起こるかと思ってたが、その悪い予感は的中してしまった。
しばらくゲームを続けていたその時。
「……ごふっ」
突然彼女が吐血し、その場に倒れてしまった。
「ネメシス!?」
「姉さま!?」
俺とニーアは咄嗟に彼女に駈け寄った。
「ネメシス! しっかりしてくれ!」
「……ごめん……ちょっと無茶した……みたい……がはっ……あああああ!?」
彼女はまた吐血し、絶叫し始めた。それと同時に体のあちこちから血が噴き出し、裂傷のようなものが生まれていった。
「ニーア。これは一体」
「おそらく、あの薬の影響だ。姉さまの実験結果に研究員どもが苛ついていたのを何度か聞いたことがある。いつもは抗体で効果を抑えてたんだが、今回は抗体を受けてないんだ。だからここまで体が悪化してるんだと思う」
抗体と聞いて、俺は奴らの話を思い出した。奴らは俺で実験している時にも抗体という言葉を使っていた。
「つまり、抗体ってのを手に入れれば、ネメシスは助かるんだな?」
「おい。馬鹿なことを考えるのはやめろよ。抗体は奴らに警備されてる。下手に動けばお前は殺されるぞ」
「……カイツ。やめて……そんなことをしたら……あなたが……時間が経ったら、大丈夫だから」
「お前がここで苦しむのを見てられない! 俺はニーア達と過ごす時間が好きなんだ。それを守るためなら!」
「待てカイツ! やめろおおおお!」
俺はニーアの静止を振り切り、部屋を出て行って抗体を取りに向かった。まず向かったのは俺が実験されている部屋だ。そこに何か手がかりがあるかもしれないし、無かったとしても奴らに近付くことにはなるはずだと考えたからだ。
部屋に入ったが、そこには血痕や無惨な死体があるだけで、あちこち漁っても抗体らしきものは何もなかった。
「くそ。抗体ってのはどこに……まずい!」
誰かが歩くような音が聞こえてきた。どこかに隠れようと思ったが、隠れられるような場所はほとんど無かった。
「……ごめん。利用させてもらう」
俺は咄嗟に近くの死体の中に隠れた。明らかに人としてやばいことだったが、そんなことを考える余裕は無かったし、人体実験を受けてたせいか倫理観や道徳は軽く麻痺してたからな。
「おえ……相変わらず汚ねえな気持ち悪い死体も沢山あるし」
「ああ。お前まだ新人だもんな。だが、慣れると楽しいし、この死体も見ていて気持ちいいもんだぜ」
「ひょえええ。先輩は凄いっすね」
奴らはそんなふざけた雑談をしながら実験室を歩いていた。何をしているのかと思ってると、奴らはポケットから小さなリモコンを取り出し、ぽちぽちと操作した。すると、床の一部が開き、そこから丸い机が飛び出してきた。机の上には緑色の液体が入ったガラス管が何本かあった。
「これが抗体ってやつですか?」
「ああ。こいつで天使の力をある程度抑えることが出来る。正直こんなゴミに頼るような奴は失敗も良い所なんだが、データは多い方が良いからな」
「なるほど。それはまた大変ですね」
そんな話をしながらガラス管を2本取り出し、リモコンを操作して机を床下に直した。
「さて。行くぞ」
「あいさー」
奴らが部屋を出た後、俺は死体を優しくどけ、床に落ちてたナイフを持って部屋を出た後、奴らを後ろから見る。恐らくこのナイフは、人体実験に使った後に適当に捨てたものだろう。
(あれを奪い取れば、ニーアを助けることが出来る。問題はどうやって奪うべきか)
今持ってるのは新人らしき研究者。緩そうな感じがあるし、後ろから襲えば何とかなるかもしれない。その時はとにかく襲えば何とかなるとしか思ってなかったし、その後のことは何も考えてなかった。こっそりと奴らの後ろに忍び寄り、そのナイフで新人研究員の足を突き刺した。
「ぐああ!? なんだ!」
奴は痛みに体がふらつき、ガラス管を2本落とした。それを壊さないようにキャッチし、そこから逃げる。
「くそ。おい待て!」
「あの野郎。やってくれるな!」
奴らが追いかけて来る中、俺は必死に逃げ続ける。
(薬は奪えた。でもここから先はどうすれば)
解決策も思い浮かばずに頭の中で考えがぐるぐると回る中、足を何かに貫かれた。
「ぐ!?」
その痛みに走ることどころか立つことも出来ず、その場に倒れてしまう。何とかガラス管は壊さないように守ったが、状況はかなりまずかった。
「ふん。ネズミ野郎が。やってくれるじゃないか」
「このクソ野郎。よくも俺の足を」
研究員の腕に小さな矢を飛ばす武器が括りつけられていた。
「先輩。こいつ殺しましょうよ。こんなクズは必要ないでしょう」
「ああ。せっかくの素体だというのに、残念だよ」
奴はまた矢を飛ばし、俺の腹を貫いた。
「が!? こんな……ところで……ネメシスを……くっ」
匍匐前進のように体を動かしながら、俺は逃げようとする。だがその程度の動きで逃げられるわけもなく、また体を貫かれる。
「あああ!? はあ……はあ……ネメシス……俺は」
「ちっ。ネメシスネメシスうるせえんだよ!」
研究者は俺を蹴とばし、大きくふっ飛ばされてあちこちを打ち付けながら転がっていく。
「うあ……これを……あいつの……元に」
「しぶてえな。このカスが!」
奴は何度も何度も俺の体を踏みつけて行く。痛みに耐えながら、俺は抗体の入ったガラス管を壊さないように守り続ける。
「死ね死ね死ね死ね! とっととここで死ねよ!」
「死ぬわけには……いかない」
(そうだ。ネメシスやニーアといる今の生活のために)
「俺は……死ねないんだあああああああ!」
そう叫んだ直後、黒い翼が竜巻のようになって俺を包みこんだ。
「せ、先輩! なんなんですかこれは!?」
「馬鹿な。いくら優秀な素体とはいえ、あんな薬で翼が生えるはずが。あれは研究用の薬だぞ。わか」
奴らが何を話してるかは分からなかったが、この翼はここから逃げるために利用できると本能的に理解できた。
「俺を……守れええええ!」
翼はそれに答えるように奴らに向かっていく。
「い、嫌だあああああ! 死にたくないいい!」
「くそ。こんなところで……俺はあああああ!」
奴らは断末魔のような叫びをあげながら翼に飲みこまれていった。翼が通った後は何かに抉られたような跡が残り、奴らの体はミンチのようになっていて、血痕があちこちに飛び散っていた。
「今のは……いや、どうでも良いか。それよりもネメシスを」
いつの間にか体の傷も治ってたが、そんなことに気をかけることもなく、彼女の元へ向かった。
扉を開けると、ニーアが驚いた顔でこちらを見た。
「カイツ!? 大丈夫なのか?」
「うん。なんとかね」
俺は大事に持った抗体の入ったガラス管を見せる。
「な! まさか本当に盗って来るとは」
「これで……ネメシスを助けられる」
「驚いたわね。まさか本当に盗って来るなんて」
「それより、これはどうすれば良いんだ?」
「そのまま飲ませてくれたらいいわ」
ネメシスの指示に従い、俺はガラス管の蓋を開けて彼女に飲ませる。
「えっと……これで、大丈夫なのか?」
「ええ。少しずつ痛みが引いていくのが分かる。時期に体も治って来るわ」
「良かった。これで何とかなったな」
「ねえ。どうしてそこまでしてくれるの? 死ぬかもしれなかったのに」
「お前やニーアと一緒に暮らす時間を守るためだ。お前らと一緒に過ごす時間は楽しかった。初めて心が満たされるような感じがしたんだ。それを守るためなら、何があっても怖くない」
「……馬鹿ね。ほんと馬鹿。自分が死んじゃったら意味ないでしょうに……けど」
彼女は俺に手を伸ばし、頭を撫でる。
「ありがとう。カイツ。あなたのおかげで、私は生きることが出来るわ」
そう言う彼女の顔は少し赤くなっていて、幸せそうに笑っていた。彼女が笑ってくれることが、俺は何よりも嬉しかった。
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