先生!ゲームクリアのために泣いてくれ

神美

第1話 拉致られ、目の前には

 重いまぶたを無理やり開けると。目の前には見知った顔の男が穏やかな寝息を立てて、眠っていた。


「……はっ?」


 ユウジは思わず声を上げていた。


 そこに眠るのは、自分が通う栄高校の数学教師、本名は……思い出せないが愛称はリク先生。二十三歳という成人の身でありながら身長166センチという小柄な体格と短髪で愛くるしい少年のような童顔が特徴。


 けれど運動部の生徒が腕でも脚でも敵わないほどの腕力と脚力の持ち主で、数学教師であるのにスポーツ万能。明るい性格でいつも笑顔が素敵な先生と生徒から慕われている。


 一方、自分は生まれ持ってだから仕方ないが目つきが悪く、髪も明るい茶色に染めているから見た目は悪いヤツと言われ、生活指導の先生にも若干目をつけられている。

 それでも不登校はせず、人に迷惑をかけることもしない。毎日栄高校に通う普通の生徒だ。


 そんな自分が、なぜ自分の担任と一緒に寝ているのだ。しかも身体の下がやわらかい、ということは、ここは布団の上か……って誰の布団だ。

 そしてここはどこなんだ……!


(他には誰も、いないのか?)


 恐る恐る視線を動かせば見知らぬ部屋の中だった。淡いオレンジ色の室内灯に照らされた本棚、小さいが丸いフォルムがオシャレなガラステーブル。小さめなテレビとテレビ台。そんな整ったフローリングのワンルーム。


 知らない、こんな場所。 だけど知っている匂いがする。この匂いは学校でリク先生がすれ違う時に必ずする、爽やかな海を思わせる柔軟剤の匂い、つまりはリク先生の匂いだ。


(ということは……ここは、リク先生の部屋……なんで⁉)


 慌てて身体を動かそうとした時、不意に聞こえた「しぃー」という微かな音に反応し、ユウジは動きをピタリと止めた。


「あんまり大きな声を出すと、いくらお酒を飲んで深く寝ているリク先生でも起きてしまうかもしれないよ。だから静かに動いてね」


 冷静なその声にユウジの心臓は静かに一回、大きくはずむ。聞いたことのある声だ。

 ユウジは頭だけ動かし、声の主を探した。寝転がったままの体勢で真上に視線を向けてみると。

 そこには純白の白衣に黒いスーツという妙な出で立ちをした、栄高校の保険医である人物が立て膝をついて座っていた。


 眉にかかったところで切り揃えた金髪の下にある青い瞳が自分をジッと見つめている。まるで実験対象を観察するみたいな興味があるようで、ないような、感情のない瞳だ。


 彼はキエナ先生と呼ばれる、少し変わった名前の保健医だ。スラッとした身長と細身の体躯。あまり笑うことがないミステリアスな印象を抱かせる存在。学校で怪我をした時ぐらいしか会うことがなかった先生だが。


 そんな先生がリク先生の家に。しかもこんな状況で、なぜいるんだろう。

 なんて声をかけていいのかわからず、黙ってキエナ先生を見つめる。

 するとキエナ先生の方から「気分はどう?」と落ち着いた声でたずねてきた。


「急なことですまないね。君に薬を嗅がせて気を失わせて、今この状況にあるわけだけど心配しないで。ご家族には『ちょっと居残り勉強で遅くなりますがちゃんと送り届けます』って伝えてあるから」


 キエナ先生はそう言うと、白衣のポケットから携帯電話を取り出して「まだ時間は夜の八時だから大丈夫」と言った。


 何が大丈夫なのか。そして今言った言葉が気になってきた。

 薬、気を失う、この状況。

 ユウジはこの状況になる前のことを順を追って思い出していく。


 放課後、友達と校内で遊んでいてまだ学校にいたはずだ。散々遊んだ後で「もう帰れよー」と通りすがりのリク先生に言われ、友達と別れて帰る準備をして自分は教室に一人でいた。


 その時だ。自分の口と鼻に布のような物が当てられ、薬臭いものを嗅いだ気がして暴れようとしたら。身体がフワッとなって。眠るように意識が飛んでいって。


 目が覚めたらこの状況。ということは、この状況に自分を導いた犯人は。


「キ、キエナ先生、なんてことをしてんだよ」


 ユウジはまだ眠っているリク先生を起こさないよう布団から抜け出ると、キエナ先生の横に膝をついたまま移動した。


「なんでこんな、わけのわかんないことしてんだよ」


「それは僕が君にお願いしたいことがあったからだよ」


 キエナ先生は全く悪びれる様子もなくそう言った。なんて非人道的なのか、保険医なのに。

 だが冷静沈着の塊であるようなキエナ先生から発せられる威圧感が歯向かうことを許さない。


「こうでもしないと君も話を聞いてくれないと思ったから。手荒なことをしてすまない。実は君にあるゲームに挑んでほしいんだ。君が高校を卒業するまでの残りあと一ヶ月を使って、ね」


 そう言うとキエナ先生は細い腕をスッと動かし、寝ているリク先生を指差した。


「彼をね、泣かせてほしいんだ」


 キエナ先生は笑うこともなく、そう告げた。

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