第2話

 改めてメッセージを見直す。いにしえのてつろがまどをくぐる そのさきにあるくうはくのへやをたずねよ。ぼくは全体を何度か声に出して、いにしえの鉄路が窓をくぐる その先にある空白の部屋を訪ねよ、であろうと解釈した。


 鉄路というのは線路のことだろう。この辺りに走っている線路と言えば、さっきゲーム世界に入ってきたとき最初にいた駅のある高架の線路と、この先のビルの地下を通っている地下鉄ぐらいだ。どちらも古いものだけれどいにしえと言えるほどだろうか。


 ぼくは建物を出て来た道を戻った。高架になった歩行者用のデッキを戻ると帆船が見える。外の世界では朽ちたまま放置されているものだけれど、ここではちゃんと手入れがされているようですぐにでも出航できそうに見えた。手すりに肘を乗せて体重を預け、街並みを見下ろす。帆船を中心に資料館のようなものが整備されていて、その向こうに水路を挟んで例のホイールが見える。中央に時計が表示され、ホイールのスポーク部分が点灯して時を刻んでいる。本当に時計だ。よく見ると外周部分にゴンドラがあり、回転していた。資料で知っているかつての姿が目の前にあった。しばしそのホイールに見とれてから周囲を見回す。左手には大きなビル街。見慣れた景色ではあるけれど、人がいるだけでかなり明るく見える。右手側はぼくがさっき歩いてきた方で、デッキの端から広場に降り、その向こうに駅がある。


 きれいな町だと思った。みらいという名の町。ここは人々が未来を手に入れようとして作った町なのだろうか。それとも来るべき未来のために用意したものなのだろうか。ある時人は増えるのをやめ、ゆっくりと、しかし確実にその数を減らした。溢れかえる人口を許容するための町はその巨体をもてあました。この町にみらいという名前をつけた人々は、やがて来るその未来で大幅に人口が減少するという可能性をまるで視野に入れなかったのだろうか。この町の他にも、この国のメガロポリスと呼ばれた帯状のエリアはおしなべて似たような末路をたどった。今では自律稼働のロボットだけが町の維持のために動き回っている。おかげで朽ちて廃墟になることもなく、町は無人のままひっそりと生き続けている。人のタイムスケールとは比較にならないほど長い時をゆっくりと呼吸しているのだ。


 町を見回したぼくの目は、再び巨大なホイールのところへ落ち着く。そこから手前の水路をなぞるように視線を移動すると水路の上に遊歩道が通っている。ところどころ浮島のようになっていて、間を鉄橋でつながれていた。外の世界ではこの鉄橋部分はなくなっていて、必要最小限の柵がついているだけだ。ぼくはさしあたりその遊歩道の方へ向かった。


 遊歩道の入り口にさしかかって足元を見ると鼓動が速くなった。線路だ。木のデッキになっている遊歩道に線路が埋まっていた。しゃがみ込んで触れてみる。線路に見える部分だけ金属で、他の部分は木で埋められている。ぼくはしゃがみ込んだまま目でレールを撫でるように視線を移動した。レールは鉄橋を抜けてさらに先へと続いていた。


 立ち上がったぼくは見えないものに引っ張られるようにして小走りになった。鉄橋を渡り、遊歩道がカーブにさしかかる。目の前に門のような形の建物が建ち、遊歩道をまたいでいる。遊歩道は建物が作り出す四角い穴の中をくぐっていた。


 窓だ。かつて線路だった遊歩道が四角い窓に吸い込まれている。そのはるか向こうには建物が見えた。速度を上げるとウッドデッキを蹴るぼくの足音が他の人々の足音を塗りつぶしていった。ぼくを目で追う人もいたけれど、そのまま興味を持ち続ける人はいなかった。遊歩道をまたいで建っている建物の下にさしかかって立ち止まった。真下から見上げると遠くから見た印象よりも大きかった。前方に見えている建物まではまだ少し距離があった。


 窓の向こうに見えていた建物に近づいてみると、それはレンガ造りでかなり古そうなものだった。多くの人がいて賑わっている。ぼくは並んだ二つの建物を見比べ、なんとなく人の少ない方へ向かった。建物に入ると左手には土産物屋などがあって賑わっていて、反対側にはひっそりと階段があった。しばらく眺めていたけれど階段をのぼっていく人も降りてくる人もいなかった。ぼくは階段をのぼった。


 二階はひっそりとしていて人の気配がなかった。階下のざわめきも遠ざかり、気温も少し低く感じる。歩を進めると広い部屋に出た。天井には消灯した照明設備があり、非常灯だけが空間を照らしていた。壁際に展示ケースが一つあるだけで他にはなにもない。その部屋は使われていないようだった。

「空白の部屋…」

 ぼくは声に出して呟いた。古い線路が四角い窓を通り、その窓の向こうに見えていた建物の中で使われていない部屋を見つけた。ぼくは自分が正しい道を進んでいることを確信した。


 展示ケースはステンレスのような光沢を放つ金属の直方体で、その上にガラスケースが乗っていた。ケースの中央には黒っぽい金属のような板状のものがあった。これを取り出せということだろうか。暗がりの中でガラスケースに顔を近づけて目を凝らすと、ケースの中がフワリと明るくなった。ぼくは思わず一歩退いた。何度かまばたきをしながらもう一度近づく。光源らしいものがないのに、ガラスの内側は白い光で満たされていた。


 中央に板状のものがあり、その周囲を取り巻くように三つの模様が黒く浮かび上がっていた。どうやらケースの床面が全面ライトになっていて、三つの模様はその光を遮ることで黒く浮かび上がっているようだ。模様は黒い箱の四隅のうち三つのそばに描かれていて、残る一つにはない。ぼくはその意味に思い当たってポケットから端末を取り出した。表面に触れるとカメラが起動して向こう側が画面に表示された。それをガラスケースに向けてみる。案の定、三つの模様が認識され、画面上に緑色のマーカーが表示された。ゴーグルのエクステンドモードのように実際の景色の中に情報を表示する際、三点を特定できれば空間の中に平面を張ることができ、視点を動かしても本当にそこにあるかのように情報を表示することができる。


 画面の中のガラスケースには、表面に番号の書かれたボタンのようなものが表示された。ガラスケースの底面を除く五つの面に、1から7までの四角に囲まれた数字が描かれている。一つの面に二つの数字が描かれている面もある。ぼくは画面を覗きながら、画面の外に存在している方のガラスケースの表面に触れていった。画面で番号の表示されている部分に1から順番に触れ、7まで触れ終えるとシュッという空気の抜けるような音がして、ゆっくりとガラスケースが開いた。

「おめでとう、レイト君」

 開いたガラスケースの中から声がしてぼくは跳び上がった。

「きみはわたしの課題をクリアした。その先の道へ進む資格があると認めよう。もしきみがこの先へ進みたいと思うならそのプレートに手を置きたまえ。それが意思表示となる。きみが進む意思を見せないのであれば、ゲイトのことは忘れていい。きみはもうこの世界へ入ることはないだろう。先へ進む意思を示すならば、次にきみがこの世界へ来たとき、先へ進むための試練を与えよう」

「あなたはいったい誰です?」

 ぼくは質問を投げた。でも返答はなく、声は「よく考えて決断してくれたまえ」とだけ言って沈黙した。


 この音声は一方通行なのだろうか。録音されたものをただ再生しているだけなのだろうか。イマース型のゲームでありながら人工知能ですらないということがあり得るだろうか。課題をクリアしたと言われたけれど、ぼくの疑問は増えるばかりだった。


 ぼくはケースの中央に置かれたプレートを眺めた。どういう仕組みで光っているかわからない光に照らされて黒光りするプレートは艶のない滑らかな表面を持っていて、確かに手を広げて乗せるのにちょうど良さそうな大きさだった。ぼくは右手を広げてゆっくりとそのプレートの表面に置いた。ひんやりとした金属面が感じられると同時にプレート上に青い光が走り、小さく電子音が鳴った。掌が走査されたようだった。

「きみの意思は確認した。きみがわたしのもとへたどり着くのを願っている」と再び声がした。ぼくはそのまま何も起こらないことを確認してから手を離し、何事もないと知りながら手を裏返して確認した。思った通り、手にはなんの変化もなかった。ぼくが手をひらひら振っているとプレートの表面が光って文字が表示された。ぼくは引き寄せられるように覗き込んだ。


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ぞうとであったくじらのせにのれ

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「ぞうとであったくじらのせにのれ、ぞうとであったくじらのせにのれ」

 何度か声に出してくりかえした。全部ひらがなになっているとどこで区切れるのかがわかりにくい。はじめは〈ぞうとであった〉というのを〈ぞうとで、あった〉だと思い、「ぞうとってなんだ憎都か、なんだそれは」などとしばし迷い込んだ。しばらく考えて〈ゾウと出会った〉だと気づいた。ゾウと出会ったクジラの背に乗れ。

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