第4話
鳥も虫もドラゴンもそして人間も、空を飛ぶ生物はすべて飛翔魔法を使用する。これは地面の上を歩くのと同様、空気を押して重力に逆らう魔法だ
しかしこれでは空気の存在しない宇宙空間にたどり着くことはできない。ゆえに有史以来万物の霊長と言われるドラゴンさえも宇宙空間に出ることはできなかった。
これを初めて解決し、史上初めて高度百キロである宇宙空間に無人装置、次いで犬を送り出したのがロシア統一帝国である。
その秘訣は魔力を高密度に圧縮して後方に噴射する新機軸の魔法であった。軍はこれを“噴射魔法”と呼んだ。空気がなくとも移動できる魔法であるが、ずば抜けた魔力量を誇る魔術師でないと使用できない欠点もあった。
『こちら司令部。ケードル、状況を報告せよ』
「現在高度百キロ。目標高度到達。魔力量、異常なし。フィールド内の空気濃度、正常。展開中の魔法、正常」
高度百キロ、宇宙空間にたどり着いたユーリは、視界の隅に表示されている各種データをチェックし、また自分の四肢をチェックして問題ないことを確認すると、ようやくその意識を目の前に広がる風景にうつすことができた。
「
そして身体を半回転させ、下方向……地球の方を見たとき、息を呑んだ。
「
ユーリの感嘆が地上にも届いたのだろうか。コマンダーがそれに応えるように話しかけてきた。
『そうか……。それは人類で貴官だけが見ることのできる光景だ。しっかり記憶に刻み込んでいくといい』
それは、普段の氷のようなコマンダーからは想像できないような優しい声色だった。
『ケードル、もう少しで地球の裏側――念話不能領域にさしかかる。再び念話が可能になるまでの間、この景色は君だけのものだ』
「ケードル、了解」
『ケードル……いや、ユーリ。君の崇高なる献身を無駄にはしない。これを糧に次こそは必ず成功させる。人類の――魔術の発展のために……いや、違うな。われわれは米帝に一歩先んじるためだけに君を死地へと送り込んだ。否定できない事実だ。許してくれ、とは言えない。ただ一言……』
雑音の中、コマンダーの言葉は途切れた。
そして訪れる完全なる静寂。
地表から百キロメートル。ここにはいかなる生命も存在しない。
そう考えると心がすぅっと軽くなった。結果的に置き去りにしてしまった妻には悪いが、おそらく、ここに来るために自分は生まれてきたんだろうと今なら思える。
目の前の風景を見る。
暗黒の
そうするとさしずめ背後の大きな青い星は巨大なベッドといったところだろうか。
星空に手を伸ばした。手が届きそうだった。伸ばした手を握りしめる。まるでこの世の全てを手に入れたようだった。
「ああ、ヴァレンチナ……君にも見せてやりたかった。この景色……」
ユーリの瞳からこぼれた涙は呼吸のために空気を留めているフィールドを越え粒となって宇宙空間に散らばっていった。
次の瞬間、激しい衝撃とともにユーリの意識は闇に落ちていった。
夢を見た。
ヴァレンチナとあの花畑に行った夢だ。
あの頃の若くてかわいらしい妻でなく、今の落ち着いた美しい妻だったから、あの頃を思い出しているわけではないのだろう。
妻は今日別れたときの悲しい沈んだ顔ではなく、あの頃のように花畑ではしゃいでいた。そのことにユーリは安堵した。
妻は一面の青い花の絨毯の上でくるくる回りながら笑っている。空は一面の星空だが、夜のような寒々しさはなかった。季節を問わずロシアの夜は寒い。
一面の星空の元、妻が立っている青い花の絨毯はまるで地球のようだった。そしてその星空の中で一際目立つ大きな青い月――
「…………!?」
一瞬で頭脳が覚醒した。妻はここにはおらず、眼下に広がるのは青い花畑ではなく太陽光をよく反射した青い地球だ。空が暗く星がよく見えるのは当たり前だ。何故ならここは宇宙空間なのだから。
だとするとあの青い月は一体何だ?
その青くて丸いモノはそれだけでそこにあるのではなかった。周囲は白い領域で囲われており、その白い領域の外側には細長い何かが突き出ていた。突き出ているというよりは、生えていると言った方が適切かもしれない。あれは、まるで――
その時、青くて丸いモノがじろりとこちらを見た。
「うわ――――っ!!」
ユーリはどのようなときにも落ち着いて対処できるよう訓練されていた軍人だったが、そのあまりにも異常な光景に声が出た。ここが戦場ならば味方全員の命に関わる失態だ。
――いや、ここが戦場でないと誰が保証してくれる?
今自分は宇宙空間にいるはずだ。人類で最初の宇宙飛行師であり、ドラゴンであろうとジャイアントであろうとここにやって来られるはずがない。
ならば、目の前のこの存在はなんだ?
ユーリは青い瞳を刺激しないよう、ゆっくりと周囲を見渡してみた。
ユーリが想像したとおり、青い瞳は青い瞳だけで存在しているのではなく、その向こうに想像を絶するほど巨大な身体を有していた。
頭と胴体が一体化した流線型。四肢は見当たらず。代わりにひれのようなモノが身体の各所に着いている。鯨みたいだ、とユーリは思った。
――わぁ、生き返ったみたい!
「……!?」
突然、頭の中に言葉が沸いて出た。念話による通信とは違う。自分の内から沸いて出た言葉でもない。頭の中に直接語りかけてくる感覚。
――この星の知的生命体が初めて星の海に出ると聞いて見に来たんだけど、近づき過ぎちゃって、うっかりぶつけちゃったんだ。
――バラバラになった身体は修復したし、分離した魂もちゃんと身体に戻しておいたんだけど、どうかな? どこか痛いところはない?
驚きすぎて声も出なかった。完全に固まっている。軍人としては明らかに失格だ。
――ここまで大急ぎでやってきて、間に合わないかなーと思ったんだけど、ちょうど君が上がってくるところで、いいところに来たなーラッキーって興奮しちゃったんだよね。
おそらく鯨のものだろうその声は、しゃべり方も相まってどこか子供のように感じられた。
――あれ? なんだっけ? あ、そうだ。おかしな所はない? ボクの声、聞こえてる? もしかして、言葉が理解できない? おかしいな、ちゃんと調整したはずなんだけどな。
ユーリの頭の中にマシンガンのように沸いてくるその声にユーリは混乱し、自分は狂ったのではないかと思えてきた。
――待て。そなたが喋りすぎるから、彼は混乱しているではないか。
――えー? でも、このあと記憶は消しちゃうんだからどうでもいいじゃーん。
――そういう問題ではないワイ。
――そもそも、現地の生物に情報を与えるのは協約に違反しているのではござらんか?
――だーかーらー! 記憶は消すから大丈夫なんだってば!
ユーリの頭の中で老若男女さまざまな声が論争――という名の口げんか――を始めた。それはユーリが耳を塞いでも止むことはなく、ユーリは本気で気が狂いそうになった。
「あああああああぁぁっ……!」
ユーリは叫びながら頭をかきむしった。その時見えてしまった。鯨だけではない。ユーリの、地球の周囲に数多くの巨大な生物の影を。
ドラゴンのようなもの、巨大な人型のもの、紫の月のような――しかし、月より遥かに大きな丸いもの、蛇のように細長いもの、無数の棘が出ている不定形のもの。
いずれも、眼下に広がる地球と同じ、もしくはそれ以上に巨大だった。
そして、それらの背後に不自然に広がる星のない真っ暗な空間。あれももしかして――
そこでユーリの意識は再び暗転した。
――だからそれは……って、あれ? また寝ちゃったよ。
――ほれ、言わんことか。おそらく、こやつの脳が情報を処理しきれずに危機回避のためにシャットダウンしたのじゃろう。まあ、我らが一斉に話し始めれば慣れぬ者にはきつかろう。
――ま、まあ……今のうちに記憶を消すよ。それでいいでしょ?
――ついでに彼を母星に送り返してやろう。おそらく、この者は母星に変える手段を持たぬ。
――えーっ、そうなの? でもそれって協約とやらに反してないの?
――文明を代表してあたし達の世界に出てきたのよ。それくらいならいーんじゃないかしら。敬意ってヤツよ。
――ふうん。ま、いっか。じゃあやるよ。それー!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます