第3話

『Tマイナス六百。最終チェックに入れ』


 ユーリの立つ飛翔視点ゼロポイントから数キロメートル離れた位置にある司令室より〈念話〉が届いた。

 〈念話〉とは、音声を魔力の波に変換して特定の相手に届ける魔術である。使用するには相手の脳波を登録しておく必要があり、それは『念話番号』と言われる。


「ケードル、了解」

 ユーリが答えた。『ケードル』とはユーリのコールサインだ。


 そのユーリの後ろで機器の接続を行っていたゲルマンが立ち上がる。

「設置は終わった。接続をしろ」


 言われたとおり、ユーリは腰に取り付けられた四つの箱からそれぞれ伸びたケーブルを伸ばして首元のアタッチメントにセットする。

 セットしてから少しすると頭がクリアになっていく感触がある。〈副脳〉をセットしたとき特有の感覚だ。


「副脳……接続確認。初期設定……完了。副脳チェック……」


 〈副脳〉とは、五大魔術のひとつ錬金術による成果で、使用者の細胞を培養して作りだしたもうひとつの脳である。その技術には人造人間ホムンクルス開発の成果がフィードバックされている。接続に外科手術が必要であること、培養に時間がかかること、多額の資金がかかること、重量がかさむことなどの問題はあるが、拒否反応なしに使用できる魔法の容量を増やすことができるので、近年、帝国のみならず各国の軍を中心に利用が広まっている。


 人類最初の宇宙飛行を目指すユーリにはこの副脳のケースが四個腰に取り付けられていた。先ほどからゲルマンが設置を行っていたのはこの副脳である。

 帝国空軍では士官学校に入学したときに全員が予備を含めて二個の副脳を作成する。ユーリら“ボストーク計画”の候補はその時点でさらに三個の副脳培養をはじめ、そのうち生育良好な二個が追加で装備に加えられた。


 しかし、副脳の培養は数年でできるものではなく、追加された二個の副脳はあくまで副次的な役割でしかない。


「副脳1、2、3……問題なし。副脳4……問題なし」

 ユーリの報告を受けて傍らのゲルマンが司令部に報告を行う。

「最終チェック、終了。サポートチームはこれより撤収する」


 ゲルマンの報告にあわせて周囲でゲルマンとともにセットアップを行っていた軍服姿の男達がユーリの軍服に取り付けられていた各種情報を計測するためのケーブルを取り外し、撤収を開始する。


『Tマイナス百二十。最終カウントダウン開始。百十六、百十五……』

「補助魔法陣の構築を行う」

 最後に残ったゲルマンがしゃがみ込んで懐からペンを取り出した。ユーリの足元に構築されている未完成の魔法陣に最後の一筆を加えて活性化させるのだ。


『待て。お前らなんだ。ここは……』

 不明瞭な念話通信が届いたかと思うと、続いて念話越しに何回かの軽い破裂音、引き続いて重い爆発音。やや遅れてそれは地面の揺れとしてユーリ達にも感じられた。


「司令部、どうした? 不明瞭な念話は慎め」

『こ、こちら司令部……カウントダウンは中止。繰り返す。カウント……ダウンは……ちゅ……』

「司令部! 司令部! 応答せよ!」


 ただ事ではない何かが起こっていることは確かだった。しかし情報の全てを司令部との念話に依存している飛翔視点ゼロポイントのメンバー達には何が起こっているのか全くわからなかった。


「くそっ、何が起こっているんだ!」

 しかし、状況の変化が起こっているのが司令部だけだったのはほんのひとときだけのことだった。撤収を開始していた周囲のスタッフ達がざわめき出す。


「おい、あれを見ろ!」

 見渡す限りの草原で見晴らしが良かったことが幸いだったのか。遥か彼方のなだらかな丘の向こうから幾つかの小さな点がまっすぐこちらに飛翔してくるのが見えた。


「こっちに来る。……速い!」

 スタッフ達が慌てだした。彼らが右往左往している間にも点はみるみる大きくなっていき、それはすぐに箒にまたがった魔術師ローブを纏った人影だとわかった。その数、五。おそらく、魔導レーダーの探知をかいくぐるように低空で飛翔してきたのだろう。


「くそっ、米帝か? 原理主義者か?」

 帝国には敵が多い。表だって対立しているのはアメリカ連合王国を筆頭とする西側諸国だが、その他に魔術の進化を是としない原理主義者や、帝国からの分離独立派、果ては粛正されたはずの共産主義者もどういうわけか残っている。


「くそっ、やらせるか!」

 ゲルマンが素早くユーリの前に躍り出て腰の剣を抜く。同じくユーリも剣を抜いた。その他のスタッフ達は散り散りに逃げていった。彼らは軍事訓練を受けていない技術者だ。責めるわけにはいかない。


「お前は装備で動きが重い。俺に任せろ! それに……!」

 敵のすれ違いざま、ゲルマンは二体の敵にダメージを与えた。高速で飛翔してきた敵はそのままあさっての方向に飛んでいき墜落した。

「うわぁ!」


 しかし、討ち漏らした三体は散り散りに逃げていく技術者達をまるで雑草を刈るように討ち取っていく。敵はそのまま過ぎ去っていくかと思われたが、大きな弧を描くようにしてこちらに戻ってくる。


「ちっ、やはりこいつユーリが目的か」

 ゲルマンが舌打ちした。


「こちらから迎撃するぞ。おれは右のやつをやる」

「なら俺は左だな」


 ユーリはゲルマンとタイミングを合わせて呪文を唱え始めた。そして――

炎よпламя!」「炎よпламя!」


 手のひらで生成された人の頭ほどもある高密度の炎の塊が勢いよく射出される。炎の攻撃魔法ファイアーボールだ。軍人は優れた剣士であると同時に、優れた魔法使いでなければならない。


 しかしそれは相手も同様であったようだ。相手目がけて追尾するように飛んでいった炎の弾はしかし、いずれも相手に命中することなく箒の上の人物に斬り払われた。


「くそっ、奴ら訓練された兵士だ!」

 接近する間にもう二発の火炎弾を発射したがやはり命中しない。そして再びの接触。


「死ねっ!」

 三体の敵が同時にユーリだけを目がけて飛んでくる。ユーリが剣を構えて防御態勢に入る。


 その時、彼の前面にゲルマンがまろび出た。

「ゲルマン! 危険だ!」

「装備が重いといった! それに、剣術でも俺の方が成績は上だ!」


 言うなり、二体の敵をすれ違いざまに切っていた。

 残る敵は一人。高速で飛び去った敵は再び大きな弧を描きこちらに照準を合わせてくる。


 その時、どさっという物音がした。


 音の方を見るとゲルマンが倒れていた。戦士であり魔術師でもある証の軍服は脇腹からにじみ出る血でどす黒く染まっていた。


「ゲルマン!」

 ユーリがゲルマンの所へ駆け寄ろうとした。しかしゲルマンは鬼の形相でユーリを制する。


「来るな! あいつは俺がなんとかする。お前は打ち上げだけに集中しろ!」

「馬鹿な!? 作戦は今日じゃなくてもいい。今は敵を討ち取ることを優先させるんだ!」


「いいか、よく聞け。あいつらの目的は作戦の阻止だ。お前が宇宙に行っちまえばその目的は永遠に叶わない。だが今ここであいつを討ち取ってもほかにまだ敵はいるかもしれん。今夜、お前の家に火をつけるかもしれんぞ!」


 ヴァレンチナの顔が脳裏をよぎった。ユーリのために本気で泣いてくれたあの女性をこれ以上の悲劇に晒すわけには行かない。


「わかった」

 ユーリは頷いた。もうゲルマンの方も敵の方も見ていない。彼は魔法によって視界に表示されている各種データに意識を集中した。


 カウントダウンは続いている。残り三十秒。必要な手順を進める。副脳1、2の詠唱を開始。3と4は魔力の供給を優先。

 ユーリの周囲に空気の流れが生じ始めた。空気を押し出して飛ぶ、飛翔魔法の出力が上がっていく。


 十、九、八……。

 空気抵抗からユーリを守る防御魔法を展開する。同時に周囲の音が聞こえにくくなってきた。


 七、六……。

 視界の隅で大きな影が動いた。ゲルマンが飛んでくる最後の敵に飛びかかったのだ。もつれ合う二人。戦いがどうなったのかはよくわからない。


 五、四……。

 発射四秒前。副脳四から警告が発せられた。魔力不足。


「……!?」

 ユーリは警告の原因に気づいた。足元の魔法陣だ。


 宇宙に飛び立つには巨大なパワーで地球よりもたらされる重力の魔法を振り切らねばならない。しかしそれを行うには現代の魔法技術をもってしても不可能だ。

 それを補うための魔法陣がユーリの足元にある魔法陣だ。地下に貯蔵されている魔力タンクより発射の瞬間にだけ魔力が供給される仕組みになっているが、事故を防ぐために起動キーである魔法陣は発車直前まで未完成状態になっていた。


 それを本来ならゲルマンが最後の一筆を入れるはずだったのだが――


 三、二……。

 ユーリは魔法陣の欠けている部分を見た。そこに腕が伸びてきた。血まみれのゲルマンの手だ。


「行け、ユーリ。その目にまだ誰も見たことのない光景を焼き付けてこい」


 ゲルマンの手が伸びた。魔法陣に最後の一筆が加えられた。魔法陣の構築に使用される魔法ペンよりも遥かに魔力を通す物質、血によって。

 魔法陣がまばゆく輝く。同時に、大地そのものから力が流れてくるような感覚をユーリは味わった。


 視界に表示されている全てのチェック項目が緑色の『OK』の文字で満たされた。

さあ行こうПоехали!」


 直後、爆発的な力がユーリの身体を上方へと押し出した。


 視界の隅に魔法で表示されている高度計の数値がぐんぐん増していく中、ユーリは下を見た。もつれ合った二つの影はいつの間にか離れ、そのうち魔法陣に手のかかった方の影が動くのが見えた。さらにその向こうからは数多くの陸軍兵達がやってくるのが見えた。おそらく、ゲルマンは大丈夫だろう。そう信じる。


 そうしている間にも高度はぐんぐん上がっていく。千メートルを超え、さらに加速していく。全てあらかじめ入力された手順に従って副脳が制御しているので、緊急時以外ユーリにすることはなかった。


『こちらコマンダー。ケードル、聞こえるか?』

 ノイズ混じりに声が聞こえてきた。聞き慣れたコマンダーの声だ。

「こちらケードル。聞こえます」


『状況は?』

「予定通り打ち上げを敢行。現在、高度二千二百、二千四百」

『よし。こちらは賊の制圧を完了した。現在、司令部は秩序を取り戻しつつあるが、しばらくは混乱状態だ。ここからは貴官の判断によってミッションを続行せよ』

「ケードル、了解」


『頼んだぞ、ユーリ少佐』

「少佐……?」

『そうだ。昇進だ。奥さんに楽をさせてやれ』

「は」


 二階級特進……軍はユーリの帰還を想定していないという宣言だったが、ユーリは晴れやかな気分だった。このあとはゲルマンが継いでくれる。


 そう。主席であるゲルマンはこのあと予定されている二度目の打ち上げでのパイロットに内定しているとユーリにだけ告げられていた。

 帝国の魔法技術は日進月歩だ。今日できなかったことでもユーリのデータをもとに必ず成功させてくれるという確信があった。世界最初の宇宙到達者の称号はユーリであるが、世界最初の宇宙帰還者の称号はゲルマンのものとなるだろう。


 そうしている間にもユーリは上昇を続け、ついに高度百キロメートルに達した。

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