第2話 龍は霧に鳴く
「暇です」
ソフィアは手すりに寄りかかりながら呟いた。
目の前に広がるのは青い空、そしてどこまでの続く広い森。
空を飛ぶ船『
服装は灰色の服に黒いスカート。その上に真っ白な白衣を
「やっ!」
イスが倒れた音と女の子の声が響いた。
そちらを向けば倒れたイスと小さな女の子。イスの近くには黒い学生服の青年が二人立っていた。
ソフィアの記憶によれば、学生たちは二人ではしゃいでいたはず。
ふざけていたはずみで女の子の座っていたイスを倒したのだろう。
「大丈夫ですか?」
ソフィアは女の子に走り寄る。
特に怪我などはないようだが。
「あまりはしゃぐと危ないですよ。この子に謝ってください」
こういう時はあまり責めてはいけない。
ソフィアはさとすように学生たちに言った。
だが学生たちは気に入らなかったようだ。
「はぁ!? なんか文句あんのか!」
「そんなところにいる、ガキが悪いんだろうが!」
怒り出す学生たち。
手には酒瓶。体からアルコールの匂いがする。
酔っ払いか。
年齢は15歳ていど。別に飲酒が制限されている年齢ではないが。
こんな昼間から飲むのはいかがだろうか。
「あなたたち酔ってるんですか? 一度酔いをさました方が――」
「うるせぇ!」
学生が腰に掛けていた剣を引き抜き、振り上げる。
次の瞬間。
キン!
学生の剣が弾き飛ばされる。
床から伸びた氷柱のような結晶に。
そしていつの間にか、ソフィアの手に水晶のようなもので作られた拳銃が。
それを学生の眉間に突き付けている。
慌てふためく学生。
「ま、まて、待ってくれ」
「
ソフィアはゆっくりと、その引き金を引いた。
ポン!
かわいらしい音が鳴ると、拳銃から球が飛び出しぺチリと学生の眉間に当たった。
まさか撃ちぬくわけないだろう。
ソフィアはいたずらが成功して笑う。
「ふふ、本当に撃つわけがないじゃないですか」
「そ、そうだよな」
「は、はは」
安堵したように笑う学生たち。
ソフィアだって流血沙汰なんて起こしたくない。
まぁ、それはそれとして、
「その酒瓶、もらえますか?」
「あ、ああ」
茫然としていた学生は、つい酒瓶を渡す。
ソフィアはそれを船の外に放り投げた。
「あ、おい!」
ズバン!
ソフィアが構えた拳銃から爆音が響き、酒瓶は砕け散った。
そう、撃とうと思えば撃てた。
眉間を撃ち抜く威力で。
その事実に気づいた学生たちの顔が真っ青になっていく。
酔いもさめただろう。
「「す、すいませんでしたぁ!」」
声をそろえて叫ぶと、ドタバタと逃げていった。
そしてソフィアの手元にあった拳銃と、床から伸びた結晶の柱が空気に溶けていく。
「……ちょっと驚かせるだけのつもりだったのに」
予想外に怖がらせてしまった。
アレではトラウマになっただろう。
まぁ彼らは放っておいていい。ソフィアはしゃがんで女の子に話しかけた。
「痛いところはありませんか?」
「うん。大丈夫だよ……あっ」
女の子は落ちていたおもちゃの杖を拾う。
それはボタンを押せば音や光が出る魔道具なのだが。
ボタンを押しても反応がない。
「わたしの杖、こわれちゃった」
女の子の目じりに涙が浮かび、すすり泣く。
自慢じゃないが、ソフィアに子供をあやした経験などない。
子供が泣いたときの対処法など分からない。
困った。
「ああ、泣かないでください。えっと、そうだ私が直してあげますから」
直してあげる。
そう言うと女の子は泣き止んで、うるんだ瞳でソフィアを見つめた。
「おねえちゃん。直せるの?」
「私も、一応は魔導師ですから。少し見せてくださいね」
ソフィアはおもちゃの杖を受け取る。
軽い木材で作られているようだ。
ソフィアは白衣のポケットに手を入れる。
そのポケットには何の膨らみもなかったが、手を出すと水晶のようなもので作られた工具を持っていた。
「きれい!」
「ありがとうございます」
工具を使って杖を半分に開ける。
そこには小指ほどの小瓶と、そこから黒い紐のようなものが伸びていた。
それを女の子はキラキラと目を光らせながらのぞき込む。
魔法に興味があるのだろうか。
「この小瓶に竜の体液が入っています。これから出る
ソフィアは杖の中身を指さして、女の子に説明する。
「そしてこの黒い紐、これは竜の筋肉で龍素を運んでくれるんです」
そして黒い紐をたどっていくと、杖の外側に付いている小さな宝石のようなものに行きつく。
「そしてこの石。これは触媒と呼ばれて、龍素を流すことで様々な魔法を起こしてくれるんです。今回は石ですけど、水っぽいものとかいろいろな触媒があるんですよ」
「わたしの杖ってこんなっだんだ!」
どうやら説明が気に入って貰えたようだ。
ちなみに魔法は龍素と触媒によってのみ発現するものだ
不思議な呪文を唱えて炎を生み出す。そんなことはできない。
そしてソフィアはドコが悪いのか見る。
幸いどこかが壊れているわけではなく、小瓶と紐の接触が悪かっただけ。少し金具を締めなおせば直る。
「はい、これで直りましたよ」
ソフィアは杖を元に戻して女の子に差し出す。
女の子がボタンを押すと、シャラシャラと音を立てて杖は光る。
「ありがとう、おねえちゃん!」
女の子の笑顔を見て、ソフィアはホッと息を吐く。
泣かれるより笑顔でいて欲しい。
すると若い女性が近づいてきた。
「あら、ごめんなさい。この子が何かしましたか?」
「おかーさん!」
どうやら、女の子の母親のようだ。
もしかして子供に近づく不審者だと思われただろうか。
ソフィアは不安に思いながら言い訳をする。
「いえ、この子が学生とトラブルになっていて――」
ソフィアが簡単に説明すると、母親は頭を下げる。
「ありがとうございます。おもちゃまで直していただいて」
「これぐらいは簡単なことですから。あの、余計なことかもしれませんが、あまり目を離さないであげてください。この船には学生が多いですし……」
「そうですね。自室で大人しくしておきます。ありがとうございました」
そう言って、母親が女の子と離れようとしたとき。
女の子がソフィアに抱きつく。
「わたしね、おねえちゃんみたいな、まどうしさんになるんだ!」
女の子はソフィアを見上げながら、元気に叫んだ。
ソフィアは幼い頃を思い出す。
自分も母に抱き着いて、同じようなことを言っていた。
(お母さんは確か――)
ソフィアがおずおずと女の子の頭をなでると、女の子はにへらと笑う。
「きっとなれますよ」
そして、女の子は杖を光らせながら去っていく。
楽しそうに母親に話しかけて。
ソフィアは、ほんの少しでも女の子を幸せにできたのだ。
「私も、少しはお母さんみたいな魔導師になれてますかね?」
☆
そうして、ソフィアが女の子と分かれた直後。
「さすがですな。魔導師殿」
「ああ、船長さんですか」
そこにやってきたのはこの船の船長。
筋肉のついた大きな体、ひげを生やした初老の男性だ。
今回の依頼者でもある。
「今回はご依頼ありがとうございました。まさか、船の臨時魔導師をやるとは思いませんでしたけど」
先日、ソフィアの元にやってきた依頼は船の臨時の魔導師。
と言っても仕事は出航前のメンテナンスがほとんど。現在はトラブルがあった時のために同乗しているだけだが。
「雇っている魔導師が整備中にケガをしましてな。緊急でとなると、なかなか見つからず」
「それでもよく私に依頼しようと思いましたね。自分で言うのもなんですけど、まだ15歳の子供ですよ?」
「いや正直、初めてソフィア殿にあった時は不安でしたが。今は依頼してよかったと思っていますよ」
ソフィアは船長と話しながら周りを見る。
それにしても学生が多い。
全員が同じ制服ではなく、三種類ほどの制服を着ている。
「たしか、
黒焔重工は世界最大と名高い重工業メーカーだ。
そこは毎年、学生を対象とした実地研修を行っている。
「ええ、そちらに参加する学生が乗って居ます。少し手を焼いていますがな」
船長が少し困ったように眼を上に向ける。
そこには船につけられたテラス席。
そこから大音量の音楽と、学生たちの、はっきり言って品のない笑い声が響いている。
あの様子では先ほどのソフィアの件も気づいていないだろう。
正直、ソフィアはああ言った集団に苦手意識がある。
なぜなら陰キャだから。
船長はトーンを一つ落として話す。
「今回の研修は優秀な学生を対象とした、いわば囲い込みに近い物ですから、はしゃぐ気持ちは分からなくはないですが」
この研修に参加できることは、実質的な内定に近い。
黒焔重工は魔導師にとっては理想的な就職先。同じくらいの就職先があるとしたら国に仕える宮廷魔導師くらいだろうか。
そこに就職が決まり、後の学生生活はゆるく過ごせるとなったら嬉しいものなのだろう。
ソフィアは学校に通っていないため、あくまでも想像だが。
「それにしても、もう少し品位のある行動を心がけて欲しい物ですがな。この船には黒焔重工の方も乗っていると言うのに……」
すると、船長は何かに気づく。
「そういえば。ソフィア殿に依頼したのは黒焔重工の方からの
「少し前までお世話になっていた人です。久しぶりにあいさつに行きたいですね」
「それでしたら部屋番号は――」
そうして、ソフィアは知り合いに会うために船長と別れた。
☆
そして、すぐに変化は起こった。
「霧ですか?」
うっすらと霧がかかる。
その霧はドンドンと濃くなっていき、あっという間に数メートル先も見えなくなる。
なんだこれは。
「……霧が出るような気候じゃなかったのに」
あまりにも不自然な現象。
世界には居る。異常気象を引き起こし、天地を割り、世界を都合がいいように捻じ曲げる存在が。
霧の奥に感じる。圧倒的な存在感を。
「まさか――」
キュオオオン。とガラスをこするような音が響いた。
そして、
「あれは山? いや、動いていますね」
山と見間違えるような巨大な影。
それはその巨体をゆっくりと動かしている。
しかし、次の瞬間。
「消えた!?」
巨大な影は霧に溶けるように消え失せる。
あのような巨体が消えるはずがない。しかしジッと霧の奥を見つめても影は出てこない。
ふと、船の先頭を見る。
「ぶつかる!?」
そこに巨大な影。
ぶつかると思った。だが船は影をすり抜けて何事もなく進んでいく。
「実体が無い?」
しばらくの間、ガラスをこするような鳴き声と巨大な影が出たり消えたりしていた。
もはやその現象にも慣れたころ。
「霧が晴れていく。竜から離れたんですか?」
むしろ逆だった。
完全に視界が開けたとき。
目に入ったのは巨大な水槽だ。
まるで海を切り抜いたように深い青。そこには沢山の魚や竜が泳いでいる。底からは
それを背負って歩いているのは亀のような巨竜。
甲羅の様なドーム状の水槽。長く伸びた首。ずっしりとした太い足。水槽以外は金属質なうろこに
そしてお腹のあたりから大量の蒸気を噴き出し、それは霧のようにあたりに広がる。
こんな竜は見たことが無い。聞いたこともない。
全く未知の竜。
これは――
天才たちの遺品。
最も古き龍。
大自然を征服した古代技術の
「古龍」
どきどきと胸が高鳴る。
自然と笑みがこぼれる。
目の前の未知に心がおどる。
「ときめきますね」
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