【第7話】

 どこかで扉が閉ざされる音がして、エルドは目を覚ました。



「ん――」



 瞼を開けると、まだ世界は暗い。深夜ぐらいだろうか。

 重い瞼を擦りながら起き上がろうとするが、何故か妙に身体が重い。見れば自分の胸元に白い塊が乗っかっている。ポカポカと温かいので兵装を使用しているのだろうか。


 そこにはエルドに抱きついて瞼を閉じるユーバ・アインスの姿があった。寝る時はまだ離れていたはずなのに。



「アインス」


「【報告】現在の時刻は午前2時38分だ。【疑問】エルド、寝ないのか?」


「誰かが出て行ったような音がしただろ」



 パッと瞼を持ち上げて銀灰色ぎんかいしょくの双眸で見上げてくるユーバ・アインスは、



「【報告】ユーバ・ドライがいない」


「いねえだと?」


「【補足】外出したのか、約束通り次の日になったから出て行ったのか不明だ。彼女は気まぐれな性格を入力された機体だから」


「まずいな」



 リーヴェ帝国から逃げ出したとはいえ、元々は敵機だった自立型魔導兵器『レガリア』である。単独で外を歩かせれば他の戦闘要員も快く思わないだろう。団長のレジーナを殺害されたら傭兵団『黎明の咆哮』も終わりだ。

 何をしでかすか分からない以上、誰かしらの監視は必要である。その監視に最適なのは同じユーバシリーズであり、高い防御力と幅広い戦術を有するユーバ・アインスぐらいのものだろう。この世にユーバシリーズの監視に適した改造人間なんていない。


 エルドは「仕方がねえ」と言い、



「追いかけるぞ」


「【了解】その命令を受諾する。【疑問】エルド、戦闘用外装は?」


「必要ねえよ、追いかけるだけだろ」



 戦闘用外装を未装着の状態であるエルドの右腕は、その鍛えられた鋼の肉体に不釣り合いなほど痩せ細っていた。指先1つ動かすことは出来ず、神経が壊死してしまっているのだ。もうだいぶ長い付き合いである。

 幸いにも左側は同じぐらいに鍛えられており腕も丸太の如く太いのだが、戦闘用外装がなくても量産型レガリア程度なら撃破できそうである。それにエルドにはユーバ・アインスがついているので、よほどのことがない限りは大丈夫だろう。


 スッと起き上がったユーバ・アインスは「【納得】そうか」と頷き、



「【回答】それならエルドの判断を信じる」


「早く行くぞ」


「【応答】ああ」



 そう言って、エルドはユーバ・アインスを連れて夜中に外を歩き回るユーバ・ドライを追いかけた。



 ☆



 ユーバ・ドライがいたのは、彼女と最初に出会ったハルフゥンより少し離れた開けた平原だった。


 紺碧の空にはポッカリと大きな月が浮かび、青白い光をシンシンと地上に落としている。静かな夜の世界に佇む銀髪碧眼のレガリアは、そこにいるだけで1枚の絵になるほど綺麗だった。

 静かに月を見上げていたユーバ・ドライは、エルドとユーバ・アインスの存在に気づいて振り返る。それから片手を上げて挨拶してきた。



「【挨拶】よう兄貴、義兄さんも」


「【忠告】早急に建物内へ戻れ。貴殿はもとより危険な存在だ」


「【理解】分かってるよ、兄貴。リーヴェ帝国で戦ってきたんだからな」



 ユーバ・ドライは肩を竦め、



「【指摘】兄貴は変わったな」


「【否定】当機に変わった箇所はない」


「【肯定】変わったさ、だってよく笑うようになった。【補足】せっかく親父が設計してくれたのに、笑わなきゃもったいないっての」



 どこか寂しそうにユーバ・ドライは言う。



「【安堵】本当に、義兄さんと出会えてよかったと思うよ。義兄さんはリーヴェ帝国の連中なんかと違っていい奴だし、当機らをお人形らしく扱わない。真っ向からぶつかってくれるから、当機は結構お似合いだと思ってるけどな」


「おいだから早く家に戻れって」


「【告白】義兄さん、当機はどうしたって自立型魔導兵器『レガリア』なんだよ」



 夜の冷たい風が、エルドたちの間を通り抜けていく。


 ユーバ・ドライの銀髪が夜風に撫でられて揺れる。銀色の輝きが月明かりを受けて幻想的に見えた。

 彼女の表情は何かを堪えているようにも窺えた。手を開いたり、閉じたり、落ち着きがない。



「【報告】楽しかったし嬉しかった。義兄さんと兄貴が当機のことを匿ってくれて本当に感謝しているよ」


「何言って」


「【否定】でも、もうダメだ。ダメなんだよ」



 ユーバ・ドライは軽く右手を掲げた。

 青色の粒子が彼女の手に集まると、虚空から出現したのは身の丈を超える大太刀である。艶のある黒い鞘に納められたそれを握り、ユーバ・ドライの手が柄にかけられる。


 青い瞳の奥は外部から何かの機能が働いているのか、数字が高速で流れていく。それに抗うようにして、彼女の瞳からは透明な涙が溢れて頬を伝い落ちた。



「【謝罪】ごめん、兄貴。もう抑えられない」



 それは、彼女の心の底からの謝罪だった。


 ユーバ・ドライの瞳から完全に光が消える。それから彼女の足が強く踏み込まれ、一瞬にしてエルドとの距離を詰めてきた。

 反応するのも遅く、ユーバ・ドライの握る大太刀が黒鞘から滑り出てくる。煌めく薄青の刀身が視界の端に映り込んだ。



「【展開】疾風ノ陣」



 身体が軽くなる。


 投げ飛ばされた訳ではない、ちゃんとエルドの両足は地面についている。異様に軽くなったのは右腕の部分だけだ。

 エルドの視線が右腕に移る。そこにあるべきものがない。綺麗な切断面から真っ赤な液体が滴り落ちており、その足元にはやけに肉付きの悪い人間の腕が転がっていた。


 エルドの右腕が、切り落とされていた。



「あ、ぁあああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!?!!」



 襲いかかる激痛に、エルドは堪らず絶叫していた。

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