第86話 残り58日 勇者、王都の窮状を知る

 勇者アキヒコは、薄暗い建物の中で目覚めた。


「ああ、よかった。もう目が覚めないかと思いました」


 アキヒコは、軋む音で騒々しいベッドに寝かせられていた。アキヒコに寄り添って寝ていた、絵に描いたような美女が体を起こした。


「……あなたは?」

「覚えていない? お兄ちゃん」


 ロンディーニャとの最初の一夜を思い出し、冷や汗を掻いた勇者アキヒコだが、アキヒコを『お兄ちゃん』と呼んでいた存在がいたことを思い出す。

 整いすぎる顔立ちの女は、肉感的な体をアキヒコに巻きつけてきた。


「……セレスか? 突然成長したんだな」

「お兄ちゃんが、たくさん力をくれたから」


 少女だったセレスが、幼い姿だった時と同じように笑う。アキヒコは、セレスの笑い方で同一人物だと確信した。


「どうなったんだ? 僕は……意識を失ったみたいだ。ここは……カバデールなのかい?」

「うん。お兄ちゃんは、みんなを守って、ゴーレムの集団に身体中を刺されたんだよ。血をたくさん流して……死ぬところだった。私がいなければ……」


「……そうか。女神様だものね……僕が、力をあげたって、どういう事だい? 助けてくれたのは、セレスだろう?」

「力のある人の、力がこもった血がたくさん流れて……私に力を分けてくれたのよ。だから、お兄ちゃんを助けられたんだよ」


 セレスは甘えた声で体をすり寄せた。アキヒコの血を受けてセレスは成長し、成長した故に、アキヒコを助ける力を得たのだろう。女神が勇者の血で成長することにアキヒコも疑問を感じたが、アキヒコが助けられたのは事実なのだ。


「……そうか。ペコとギンタ……それに、冒険者もいたと思うけど……」

「下の階で休んでいるよ。お兄ちゃんのお陰で町に逃げ込めたけど……街角に武装したゾンビが待ち構えていて、ちょっと怪我をしたみたい」

「どこにいるんだい?」


 アキヒコは体を起こそうとした。だが、胴体のあちこちが痛んだ。止血はされていない。セレスの能力で血は止められたのかもしれないが、包帯を巻くことなど考えなかったのだろう。


「お兄ちゃん、動いちゃだめ。本当に死んじゃうよ。あの人たちは大丈夫だから」

「……うん。わかった。セレスもいるんだし……3人は大丈夫なんだろう。ちょっと……僕の荷物から、姿見を出してくれる?」

「えっと……これね。どうするの? おしゃれをするなら、体調がいいときにした方がいいと思うわ」


 セレスがベッドを下り、アキヒコに気を使いながら愁いの写しを渡した。グリフィンに奪われて奪い返した一件依頼、使用していなかった。


 ずっと山の中に居たこともあるし、聖剣が重過ぎたこともある。

 久しぶりに、アキヒコは愁いの写しに意識を集中させた。

 金属製の姿の中に、両手を組み合わせて祈る華奢な女性が見えた。


「ロンディーニャかい?」

『あっ……アキヒコ、よかった……祈りが通じたのね。貴方と話したかったの。そこにいるのは誰? ペコじゃないわね?』


 アキヒコを押しのけるように愁いの写しを覗き込んだセレスに、ロンディーニャが棘のある物言いをした。


「聖剣に封印されていた女神様だよ。セレスって言って、進化と豊穣を司るんだ。僕も力をもらった。だから……心配しなくていい。それよりロンディーニャ、どうしたんだい?」

『……そう。女神セレスなのね……アキヒコはどこにいるの?』


「平原の町カバデールだよ。今日かな? いや……昨日か。着いたばかりなんだ」

『アキヒコ……カバデールの様子はどう? 魔王に支配されているはずだけど、人間が虐待されていない?』


「まだ、町は見ていないんだ。昨日……ちょっと死にかけた。心配しなくていい。セレスも付いているんだから」


 ロンディーニャは、アキヒコが死にかけたと聞いて目を丸くした。拳を固めて膝においている。その手が、震えていた。


『アキヒコ……こんなこと言っちゃいけないことはわかっているの。アキヒコは、魔王を倒すために、必死に強くなろうとしていことはわかっているのよ。でも……魔王は……恐ろしいものを王都に放ったわ。この世に、決して生まれてはいけない存在……ダークロードが率いる闇の軍勢が、王都の目の前まで迫っているの。お願い……王を……あなたの子どもを……助けて……』


 ロンディーニャの大きな目が霞み、涙が溢れた。一度溢れると止まらないようだ。次々に涙がこぼれ落ちる。


「わかった。すぐに戻るよ。ペガサスを使う」

『……ごめんなさい』


 アキヒコを引き返させることに謝罪して、ロンディーニャの姿は消えた。


「あれ……アキヒコのいい人?」


 女神を名乗るセレスは、アキヒコの肌に触れるように手を伸ばした。

 その時、アキヒコが意識を向けず、何も写していないはずの愁いの写しに、先ほどとは全く異なる像が浮かび上がった。

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