Episode7.1 再会
トイシュンの花はサンクチュアリが売買権を独占する特別な花。市場には滅多に出回らないため、一般市民が手に入れられることはほとんどないはずだ。だからソルティアは躊躇いなくその提案を口にした。
「あぁー……、なるほど。薬師らしい望みだな」
苦笑いを浮かべるプラトンはトスに目配せした。彼らの微妙な態度がすでに答えを示しているが、敢えてソルティアはすっとぼけて答えを待った。空気を読むなんていう忖度をソルティアがするわけがない。
「大変申し訳ありませんが、トイシュンの花に関しては我々の一存ではどうにもできません。支部の方へ確認したのちでも構いませんか」
申し訳なさそうに、だがきっぱりと一線を引いたトスは優秀な隊員のように見えた。適当で豪快なプラトンと真面目で丁寧なトスという組み合わせはバランスが良さそうだ。
予想通りの言葉に、ソルティアは首を横に振った。これ以上、サンクチュアリの人間と関わるなんてごめんだ。よって、“お礼”などという親切の押し売りを断る。
「なら、結構です。他に望むものもありませんし……いえ、いつになったらこの街を出られますか」
聞いた直後、地面から突き上げるような大きな揺れが起きた。一瞬遅れて、空気が震える衝撃が街全体を襲う。
「うわっ!? 何だっ!?」
「結界に何かあったのかもしれません! 確認しますっ」
迅速に反応したトスとプラトンは慌ただしくテントを出た。
「次から次へと面倒ですね……」
ソルティアは小さくそう呟いた。
先ほどの一瞬で、街を囲うように蠢いていた魔物たちが街のすぐ傍に転移してきたのだ。魔力の揺れを感じて、それを察知したソルティアは思わず『いつ出られるのか』と本音を漏らした。もちろん、プラトンもトスもそんな言葉などすでに忘れているだろう。
テントの外に出ると、結界に張り付く様々な魔物たちの姿が目に飛び込んできた。平凡な生活を送っていた住民たちにはさぞ地獄絵のように見えていることだろう。子供だけでなく大人にとってもトラウマものだ。
「こんだけの魔物が一瞬でっ……!? どうなってやがる!?」
「副隊長!」
広場に走ってやってきた長身の男が血相変えてプラトンを呼んだ。その慌てようにプラトンは顔色を変える。
「どうした、ショウ」
「結界がもちませんっ! 今すぐ住民を広場に集めて下さいッ」
「ッ! くそっ」
純度の高い結界ですら壊されてしまうほどの魔物の襲撃。それがただの自然災害なわけがない。何者かが意図的に魔物を率いて街を襲っているのだ。そしてそれは確実に魔法使いだろう。
「フェン! 隊員総出で住民たちを集めろッ」
「は、はい!」
「トス! ショウは1班を引き連れて麻痺薬をアリサーたちに届けろ!」
「了解!」
プラトンは焦りつつも的確に指示を出していく。目まぐるしいほどに動き回る隊員たちと、それを嘲笑うかのように確実に亀裂が入っていく結界を見上げて、ソルティアは魔力の動きを探った。
「街の壊滅はただの余興……なら、目的は……?」
最初に街を襲った時点で、一気に攻め込んできていれば時間もかからず街を壊滅状態にできたはずだ。それをわざわざ夜になるまで待って、正面から魔物をけしかける相手の意図は何か。
ソルティアの周りでは避難を促す隊員たちの大声と、不安を煽る子供の泣き声や状況を理解して絶望する大人たちの嘆きが広場に響いていた。しかし、魔力に集中するソルティアにはそれらの音は分厚い壁の向こう側の雑音。足早に駆ける隊員たちの動きも全て重い何かに引っ張られるようにゆっくりとした動きに映る。
「魔力が、ショーン川の畔近くに――ッ!?」
唐突に禍々しい金色の瞳がソルティアを捉えた。弾かれるようにソルティアは瞳を開けて、後ずさる。どくどくと心臓が脈打ち、浅い呼吸を繰り返す。ぶわっと全身の毛が立ったような感覚に頭の上から足の先まで燃えるように熱くなった。
「ぁ……? なん、で」
無意識に出た音葉に、ソルティアは口元を覆った。込み上げてくる締め付けるような感情は、様々なものが複雑に絡んですぐに判断することができない。
ただ、この場から逃げても無駄だということだけはわかった。
「あっ!? おい、嬢ちゃんッ!?」
突然、広場を飛び出したソルティアに気づきプラトンが驚きの声をあげた。だがソルティアは一切スピードを緩めることなく、集まる住民や隊員たちの間をぬって、ショーン川の畔を目指して駆けた。
◇
目の前に広がるのは純白の花畑。
毒消しと魔力の相殺効果を持つ特別な花、トイシュンだ。月光に照らされていればさぞ美しい輝きを放っていたことだろう。だが、結界にひしめく魔物によって月の光は届かない。そして花畑の中心には人影がひとつあった。マントで姿を隠すこともせず、堂々と素顔を晒す長髪の女に、ソルティアは見覚えがない。だから余計に訝しみの視線を送る。
「あら? あんた、誰? 魔法使いのようだけど」
ソルティアに気づいて、蛇のような薄ら笑いを浮かべる女は首を傾げた。夕日色に輝く女の瞳が魔力に反応していることは明らかだ。
「まあ、いいや。あたしの邪魔だけはしないでくれる?」
そう言うと、女は懐から手のひらサイズの細長い角張った水晶を取り出した。海の底のように深く空のように澄んだ蒼色のそれを見て、ソルティアは全身から血の気が引いていくのがわかった。
「なに、を……」
いけ好かない薄ら笑いをより深く刻んだ女は、水晶をトイシュンの花畑に無造作に投げ入れた。水晶は綺麗な弧を描いて落ちていく。地面に触れた瞬間、突然現れた蒼い炎がトイシュンの花畑を包んだ。
轟々と燃え盛る炎を瞳に映したソルティアの耳には、数多の人間の悲鳴がよみがえった。
「ぁ……」
脳裏に刻まれた『あの日』の光景が全ての思考を奪い去っていく。家屋が燃える匂い、人間の肉が焼ける異臭、人の命が消えていく感覚でソルティアは包まれる。
「あははははっ! なんて綺麗なのっ!?」
息をするのさえ忘れて蒼い炎の海を前に棒立ちしていると、ソルティアの後ろで声がした。
「蒼い炎だとッ!?」
驚きに満ちた中低音の声は、ソルティアを追ってやってきたプラトンのものだ。その横で部下のトスも驚きの声をあげた。
「まさかっ……!
「冗談じゃねぇッ」
吐き捨てるように言葉を放ったプラトンを見て、蒼い炎に焼き尽くされるトイシュンの花畑に佇む女は顔をほころばせた。
「あれは世界の慶事よ。喜びを感じられないなんて愚かな人間たちね」
「なんだとッ!? あの日、いったい何人が犠牲になったと思ってんだッ」
怒りに震えた叫びがソルティアの心を抉って、奮い立たせた。
「っ!」
瞬間、固まっていた体に温かな血が通っていく感覚がした。何のために生きているのか、どれだけの血でこの手を染めたのか。心の奥底に押し潰していた記憶の蓋が、こじ開けられた。
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