何事も無く戻れるように
@ppi-natu
第1話 何も無ければよしとする
栗川アルは日曜の真昼にブロック塀に挟まれた道を歩く。体をじっと締め付ける冗長な暇が彼女をそうさせた。何かが自分をせっつくような感覚がこのころ頻繁に襲ってくるのだ。アルはこの現象を心の防衛機構の一種なのだろうと推測を立てている。人はストレスに晒されると心身ともに不調に見舞われてしまう、しかしゼロストレスというのもそれはそれでよろしくない。つまり、クーラが効いた部屋で、フカフカのクッションに横たわって、手元にはお菓子とジュース、この環境を維持し続けることが害悪になるらしい。
だから、これまでにこの引きこもりが積み上げた負債を外出という反作用で打ち消してやろうと思ったのだろう。脳が。手栗からしてみればいい迷惑だがさりとて反論しようにも方法がない。最初はじっとりと嫌だなぁ、だったのに。最終的に家でじっとする行為そのものが耐え難く、迂遠せざるを得なくなってしまったのだ。
なにもそこまでしなくても、なんて泣き言は通用しなかった。絶対なる家主に逆らい続けた結果は強制退出、あるいは虐待的指導。まさか脳にもサディストがいるのだなぁとアルは己の見聞の浅さを思い知った。
そうなると、後は這う這うの体で外までの3つのドアをガチャリ、ガチャリ、ガチャリ。そうするともう目の前にアルを遮るものは無い。しかし気が進まない、この世に他人に強制されてやらされること屈辱的かつ不本意なものは無いのだ。今回は自身の一部の要請だったので前者の屈辱については感じようがないが、それでも不本意ではある。
そもそも、こいつはなんなのだ、とアリは憤る。私という宿主に向かって態度が悪い。忠臣を気取っているのか、暴君に諌言を繰り出しす自分に気持ちよくでもなっているのだろう。いいさ、好きなだけドーパミンやらインスリンやらを垂れ流していると良い。
一通り、毒づいた後周りを見回す。特に予定を持たずにぶらりと、さりとて大した距離を行かないようにしていたのに。やはりというべきか、周囲はそのままだったそのまま。
「ここはどこなのだろう?」とびっくりしたのが数分前、コンクリートジャングルのつまらない灰色に侵された街中をひょこひょこ歩いていた漂流人はいつしか左右をブロック塀で遮られた一本道に迷い込んでいたのだ。最初は公共の福祉に唾を吐き捨てている都市設計に驚き、写真に撮ってネット上に挙げてやろうと息巻いたのだ。そして、満足のいく成果を得た後、踵を返しもと来た道へと戻ったが戻っていない。つまるところ、アルは先ほどから無限ループらしきものを体験していた。
しかし、もういいだろう。いたずら歩くのをやめて、道の先に目を凝らしてみてみる。こんなに歩いてもまだ延々と続いているように見えるのは私の目が逝かれているからだろう。アルはそう思う、やっぱり脳みたいな粘着ピンク野郎と視神経でつながっている奴はダメだな。そもそも、こんな終わりが見えない道はアルの常識に反している。ついでに、物理にも。
そこで、いくつもポッケがついているジャージの右上右のポッケからスマホをとりだす。備え付きAIに聞いてみることが、現在身体の2部位から反逆されている人間がとるべきベストだろう。信頼すべきは人工物が司る電子の脳だ。
「現在位置を教えてくれ、次いで家までナビしてくれないか」「すみません、分かりません。それと、貴方様はもう少し身体を労わったほうがよろしいです。まずは、エナジードリンクなる毒物をお控えなさっては。今日の諌言でした」
分からないらしい。ダメ押しにブロック塀を蹴って足を痛めたアルはここで一つの現実を理解した。私の第5感は正常である、そしてこの場は正常ではない。進んで考えてみよう。「いつの間にか」「ぱっと見の出口無し」「スマホがエラーを吐いている」
おそらく、アルはたまたま外出した際に攫われるというお間抜けを発揮した非捕食者という立場に立ったのだ。人外が私の肉を狙っているぞ!そんな現実がアルのスイッチを切り替えた。今までに経験したことのない感覚。戯言から始まった現実逃避は終わった。アルはこの場において生に足掻く窮鼠となった。
「まずは、観察。そして検証。これが賢こい」ただ続くコンクリの道は恐らく危なくはない。2m程度のブロック塀は先ほど蹴ったが物言わず、突っ立っている、これも危なくはない。空、青にちょちょ切れた白が混じっている。快晴がこれまでに危険だったことは無いのでこれも大丈夫。
しかし、こうしてみると不安になる要素はどこにも無い。どこにでもあるようなものがただあるだけだ。しかし、この場は道の形をした狩りのスポットであることは疑いようがない。AIの衛星追跡に舌を向いた時点で虚飾のベールは剝がれているのだ。
「せめて、コイツの音声を偽造でもしていれば私は無警戒のままだったろうに。なぁ」「おっしゃる通りでございます。この力任せの手法を見た限り、相手方にはオツムが足りていない様子。とはいえ、仮に偽装を思いついたとしてもティオカンパニーの製品であるワタクシを模倣することなど不可能ですが」なかなか大きいことを言うAIだ。しかしアルはそんなパートナーの調子に心強さを感じた。
「よし、片端から見ていって隙があればそこを突く」「わかりました。最大限サポートさせて頂きます」
こうして、アルは探索を開始した。
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