第8話 帰路
一晩考えた結果、今の私に必要なのは移動のための足になるものだという結論に至った。
現状、住むところ以外のすべてが足りていないという気もするけれど、足りないものは都度買い足していくしかないだろう。
なので、屋敷から町まで買い出しに来るための足となるものが必要だという考えになったのだ。
まあ、そもそも物を買うためのお金が必要だろうという話だけど、そのお金を手に入れるためにも町に出てくる必要はあるだろうし。
というわけで、マリーさんに紹介してもらった貸馬屋へと馬の買い取り交渉に向かうことにした。
「おう、確かに」
予想以上にすんなりとまとまった買い取り交渉にほっとする。
貸馬屋である以上、本来であれば馬の売買はしていないのだが、どうにか交渉して売ってもらうことができた。
運よく怪我で引退する予定の馬がいたことも良かったのだろう。
とにかく、これで屋敷と町を行き来するための足を確保することができた。
そのせいで資金がほぼ尽きてしまったけれど。
「まあ、前任者にならって自給自足を目指せばどうにかなるでしょう。
これからよろしくね」
特に問題なく町の外門を抜け、森を目指しながら隣を歩く馬に話しかける。
せっかく馬を買ったのだから馬に乗って帰りたいところではあるけれど、その馬の背には荷物が載せられているので無理だ。
少女1人増えたところでと思わなくもないけど、怪我の程度がまだよくわかっていないので様子見している。
「うーん、考えてみるとこれから貴方と一緒に暮らすことになるのよね。
使用人の人たちも来ないらしいし、しばらくは貴方と2人きり。
いや、1人と1頭だけど。
なんにしても、名前を付けてあげないと可哀想よね。
これから家族になるのだから」
馬の体を優しく叩きながらそうつぶやくと、嬉しそうにヒヒンッという返事が返ってくる。
貸馬屋の店主が言っていた通り、本当に頭が良いみたいだ。
元は軍馬だから頭はいいし人の言うこともよく聞くという話だったけれど、正直盛っていると思っていた。
そんな馬がなぜこんな辺境にいるのかと、話半分に聞いていたのだけれど意外に本当のことだったのかもしれない。
となると、この馬の来歴も本当の話だったのだろうか。
戦場で乗せていた兵をかばって負傷し、その怪我がもとで引退を余儀なくされ。
けれど、助けた兵の懇願によって魔法による治療を受けることができたので、処分を免れて民間に払い下げられる。
それでも、次第に悪化していく古傷が原因で流れ流れて辺境にまでやってきた。
そして、とうとう引退するしかないというところまで来た結果、私みたいな少女に買われてしまった、と。
うん、なかなかの経歴の持ち主なんじゃないだろうか。
聞いた話だと4歳の馬だということだけれど、今世の私よりも若いくせになかなかに濃い人生、いや馬生を送ってきたみたいだ。
「まあ、これからはきっとのんびりできるよ」
根拠はないけど。
「それで、貴方の名前をどうしようかしら?」
森へ向かう道程を半分ほど進んだところで、思考を名前のことに戻す。
のんびりと散歩するように風景を楽しむのも悪くはないんだけれど、さすがにずっとそのままというのもね。
別に会話なしの時間が苦になるというわけではないけれど、たまには気分を変えてみるのも悪くない。
「で、何か希望はある?」
なんとなく無茶ぶりしてみると、ブルルッと音を出して首を振られた。
うん、やっぱり頭いいね。
「とりあえず、貸馬屋のやつはただの番号だったからありえないよね」
さすがに15番なんていう名前はない。
私も嫌だし、馬自身も嫌だろう。
普通の馬だと意味が分からないのかもしれないけれど、この子だとちゃんとただの番号だと理解していそうだし。
「となると、やっぱり見た目から名前を付ける感じかなー」
そう言って、隣を歩く馬を見上げる。
嘘か本当かわからないけど元軍馬というだけあって、その体躯はとても立派なものだ。
馬のことは詳しくないけれど、なんとなく前世の競走馬であるサラブレッドよりも立派な見た目をしている気がする。
全身が濃い茶色の毛で、そのたくましい足はとても力強くて速そう。
いや、実際に元気だったころは優秀や軍馬だったらしいので、速かったんだろうけど。
「うーん、競走馬の名前からって思ったけど、よく考えてみると全然名前を知らないや。
ディープ何とかっていうのも違う気がするし」
思わず立ち止まって考えていると、馬がこちらを覗き込むように見ていた。
「おぉ、綺麗な目」
こちらを覗き込むそのつぶらな目に引き込まれる。
黒く澄んだ瞳。
見る角度や光の加減にもよるのだろうけれど、その透き通るような黒の瞳はとても印象的だ。
なので、その瞳から連想した宝石の名前を付けることに決めた。
「うん、貴方の名前はオニキスよ」
そう告げると、オニキスはヒヒーンとひと際大きないななきを返してきた。
「それにしても、本当に誰もいないわね」
屋敷のある森が目前に迫ったところで、今まで思っていたことを口に出す。
町を出てからここまで、誰にも出会っていない。
一応、森というか屋敷へと続く道があるので、誰かしらはいてもいいのではないかとも思うのだけれど。
「もしかして、あの森ってラビウス侯爵家の私有地だったり?」
ふと思いついたことを口に出してみると、思いのほかしっくりときた。
冒険者が森で活動しているという話を聞いていたので、漠然と屋敷のある森にも冒険者は来るのだろうと思っていたけれど、ラビウス侯爵家の私有地であれば冒険者であっても来る者はいないのかもしれない。
それでも森を管理する人間すらいない環境であれば無視する人間もいそうだけれど、そんな人すらいないほどに魅力のない森なのだろうか。
まあ、屋敷がある一帯以外にも森は広がっているので、わざわざ侯爵家ににらまれる可能性のある場所に踏み入ろうとしないだけかもしれないけれど。
「ま、いっか。
変に知らない人にうろつかれるよりは誰も来ない方が落ち着けるだろうし」
他にも色々と不安も多いのでそんな風に軽く流すことにした。
まずは生活を安定させることが優先なのだから、それ以外の問題はひとまず先送りだ。
森の中に足を踏み入れて数分。
木々に囲まれた細い道の先に大きな屋敷の姿が見えてくる。
「あっ、屋敷が見えた。
あれが私たちの家だよ、オニキス」
隣を歩くオニキスにそう声をかけつつ、その様子を確認する。
町から帰ってくるのに1時間以上かかってしまったが、怪我が原因で売られたはずのオニキスも特に調子が悪くなっているということはなさそうだ。
一応売ってもらうときに過度な運動をさせなければ問題ないとは聞いていたけれど、どこからが過度な運動になるのかわからなかったので不安ではあったのだ。
でもこの様子であれば、屋敷と町を往復するための足として頑張ってもらうことはできそうだ。
「これからよろしくね」
オニキスと並んで屋敷の門を超える。
任せろとでもいうように、ブルルッという元気ないななきが返ってきた。
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