4 カミルとリボンとオランジェット

 カミルの休みが明けて、一週間が過ぎた。


 彼女は今、城の書庫でレネと二人、ファナを待っているところだった。


 週に二度二時間、ファナの座学の時間にレネが講師役を務める時があって、今日はその日なのだった。


「なんで君がいるの……?」


 いつもはレネとファナ、二人で静かに勉強するのに。


 机の端に今日使う予定の本を積み上げて遊んでいたレネに問われ、カミルは半眼で相手を見返す。


「ヴォルフガング様に頼まれたんですよ。

『またレネおじさんがファナちゃんにいかがわしいことするかもしれないから、側にいて見張ってて! 本当は僕が行きたいけど、お仕事で行けないからお願いね!』って」


 ヴォルフの口調の物真似が、妙に上手かった。


「またって何だよ! 風評被害だ!」

「知りませんよ、もう……」


 溜め息一つついて、カミルは長い髪を背中に払う。

 今日はハーフアップに、黒いリボンを飾っていた。


 あの休日から、彼女は毎日リボンをしている。


「……それ、誰かのプレゼント?」

「え?」


 上目に聞いてくるレネの声がずいぶんと強張っていたので、カミルは驚いて一瞬動きを止めた。

 だがすぐにうっとりと、胸の前で手を組むと、


「違いますけど、ファナ様がね、言って下さったんです。

『カミルちゃんは黒が似合うわね』って!

『肌の白さも目の赤さも際だって見えて、私とっても好きよ』って!!」

「ふぅぅ~ん……!」


 唇を尖らせ不服そうに言うレネの表情に、カミルは気がつかなかった。


 代わりにちょっと声を落す。


「……でも最近、何だかファナ様に避けられてる気がするんです」


 サービスワゴンの上、お茶の蒸らし時間を懐中時計で計りつつ、カミルは小さくため息をついた。


「はあ?」


 不満げな表情のまま手持ち無沙汰に万年筆を弄んでいたレネが、片眉を上げてこちらを見た。


「そんなことある?」

「だっ、だってだって、ここ数日ランチの後はお喋りもなしで、食べ終わったらすぐにどこかへ行っちゃうし、昨日なんか『書庫で調べたいことがあるから』って、午後のお茶の時間が無かったんですよ!」

「……書庫で調べたいことがあったんだろう?」

「それが、追いかけて行ったら書庫にはいなかったんです!

 あたし何か嫌われるようなことしちゃったかなぁ……」


 しょんぼりするカミルを見て、レネは(この二人、同じ様なことで悩んでるな)と内心独りごちた。


 と、同時にどうしてその相手が自分ではないのだろう、と思う。


 ――もっと自分のことを考えればいい。

 自分のことで、はしゃいだり悩んだり喜んだり落込んだり、動揺したりすればいいのに――。


「…………カミル」


 スッと立ち上がったレネに、カミルが顔を上げた。


 何だかレネの瞳が怒っているような気がして、彼女は首をかしげる。


「はい?」

「……カミル、頬にまつげが付いているよ」

「え、ホントですか」


 レネに指さされたところを右手で擦るも、彼は首を振って一歩こちらに近づく。


「取れてない」

「えぇぇ~……?」

「早くしないとファナティアスが来るよ。ほら」


 手を伸ばされて、カミルは素直に動きを止めて目を閉じた。


 まぶた越しに、黒い影が差すのを感じる。


 頬に細い指がそっと当たる。

 指はそのまま耳を掠め髪に触れた。


 ふわり、と。


 自分のとは違う石鹸の香りがして。


 ――――一瞬。額に柔らかいものが触れた。


(……え……?)


 思わず目を開けると、思ったよりずっと近くにレネの顔があった。


「へ……? え……?」


 両手でおでこを、前髪を押さえるカミル。


 レネは体を離すその前に、しゅるりと彼女の髪の黒いリボンを解いた。


 同時に反対の手で、自分の髪を束ねていた黄色いリボンを外す。


 頭に当てたままのカミルの手を取って、そこに自分のリボンを握らせる。


「――君には、黄色も似合うと思うけど」


 囁き声。きらりと緑の瞳がイタズラっぽく光った。


「え? え? え?」


 ぼんっ! と音を立てそうな勢いで、カミルの顔が赤く染まる。


 かと思ったら、動揺のあまり人化の術が解けて、獣人ティーヴァルテイルの姿に戻ってしまった。


 ヘビの尻尾が机に積んであった本に当たって、床の上にバラバラと落す。


「え? わっ、わっ、あわわわ……!」


 わたわた動いて本を拾おうとするカミル。


 それにくるりと背を向けると、レネは書庫を出て行った。




       ☆




 小走りに城の廊下を書庫に向かっていたファナは、前からやって来るレネに気がついて慌てて走るのをやめた。


 両手で大事に抱えていた小箱をぎゅっと握り、息を整える。


(まだお約束の時間には間があったはずだけれど……)


 お行儀良く歩みを進めつつも、内心焦る。


(私が遅いので怒ってしまわれたかしら……?)


 近づいて、声を掛けようとして、彼の様子がおかしいのに気がついた。


 いつもはリボンで束ねている髪の毛が、今日は下ろしたままになっていたのだ。


「あ、あのレネ様?」


 名前を呼ぶと、はっと顔を上げて黒髪の少年はこちらを見た。


 その耳が何故か真っ赤になっているので、ファナは小首を傾げる。


「あの……具合でもお悪いのでしょうか? お熱があるみたい……」


 心配して眉を下げると、レネは気まずそうに視線を逸らして頬を掻いた。


「えー、あー、うん……そう、そうなんだよね。だから今日の座学は自習にしてもらっても良いかな?」

「それはかまいませんけれども……。大丈夫ですか? あ。カミルちゃんを呼びましょうか?」

「いや! いい! それはいい! ただの寝不足だから! 寝れば直るから!」

「そ、そうですか?」


 思った以上の強い拒否に、ファナは頭の上にハテナマークをいっぱい浮かべつつも大人しく引き下がる。


「あ。カミルと言えば、」


 立ち去り際に振り返って、レネがニヤリといたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「急いで書庫に向かうといいよ。面白い物が見られるから」


 謎謎のような言葉を残して手を振り去っていく彼を見送って。

 ファナは素直にまた小走りで書庫に向かった。


 はたして。


 書庫の扉を開けると、そこにいたのはグレーの毛を持つ二足歩行の羊だった。


 羊は何故か黄色いリボンを握りしめたまま、床に散らばる本をせっせと拾い集めている。


 大きなツノに鱗の生えたシッポ。

 ただその赤い眼と、黒いメイド服にファナは見覚えがあった。


「……もしかして、カミルちゃん?」


 声を掛ければ羊はびくりと振り返り、


「あ、あ、あ、」


 わなわなと震えたかと思うと、わっと床に突っ伏した。


「ファナ様に見られたぁ! ファナ様に嫌われちゃうぅ! うわあぁぁん! もう生きていけないぃ~!」


 泣き出した羊の声が間違いなくカミルのものだったので、ファナは脅かさないようにそっと近づいて隣にしゃがんだ。


「嫌いになんかならないわ。カミルちゃんすごく素敵よ。だってカミルちゃん、とってもとっても――……、」


 ファナはキラキラした眼差しをカミルに向けた。


「とってもモコモコだわ!」

「…………はい?」


 予想外の単語にカミルが顔を上げる。涙も引っ込んだようだ。


 見れば彼女の主は、にこにこしながら自分を見詰めているではないか。


「カミルちゃん、その、あの、イヤだったら断ってくれてかまわないのだけれど……」

「……触ってみます?」


 先読みして許可を出せば、ファナの顔がぱぁっと輝く。


 遠慮がちにそっと、ファナはカミルの背中を撫でた。


「うふふ……」


 実に嬉しそうなファナの声を聞いて、カミルは肩すかしを食らった気分だった。


(なんだ、ぜんぜん……ぜんぜん大丈夫じゃない。そりゃあ、そうよね。ファナ様が人を見かけで判断するわけ無いものね)


 自分が恐れていた事を、カミルは都合良く無かったことにする。


 やがてファナは満足したのか撫でるのをやめて言った。


「ありがとう、カミルちゃん。それでね、あの、これお礼って訳じゃないんだけれど――……」


 今まで大事に膝の上に載せていた小さな箱をカミルに差し出す。


「メイド長さんに、カミルちゃんがマーマレードが好きって聞いたから、こういうのも好きかなって思って」


 受け取って開けると、中にはキラキラと輝くオランジェットが並んでいた。


「え、もしかしてこれ――……」

「うん、そう、作ったの」


 にっこり笑うファナに、カミルは全てを覚った。


 オランジェットは、工程は単純だが手間のかかるお菓子だ。

 輪切りにしたオレンジを、何日も掛けてシロップで煮詰めていく。

 じっくりとあくを抜き、砂糖漬けにしたそれを、オーブンで乾燥させてチョコレートでコーティングしたのが、オランジェットだ。


 最近すれ違っていたのは、こっそりこれを作っていたから、という事なのだろう。


(ファナ様が、あたしのために……!? お……推しの手作りお菓子……!)


「うわあぁぁん! ファナさまぁぁ~!」


 感極まってカミルはファナに抱きついた。


「よしよし」


 もこもこのもふもふを、ファナはにこにこしながら撫でた。





 それから三年後。


 結婚式の後で、ファナはブーケをカミルに渡した。


 はにかんでそれを受け取る彼女の胸元には、レネの瞳と同じ緑色の『誓いの宝玉オーブ』がブローチになって輝いていた。

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虐げられてきた吸魔の姫君は 年下オオカミ王子に溺愛されて獣人の国で幸せに暮らす ~虐めてきた妹の国はクーデターで大変だが誰も姫には教えない~ 馳倉ななみ/でこぽん @773_decopon

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