4 ファナの婚約

 ヴォルフと出会い別れてから、七年が過ぎた。


 ファナは、月の光のような長い銀髪と、ラベンダー色の瞳を持つ、綺麗な娘に成長した。


 地下室に閉じ込められていたこともあって、肌は病弱に見えるほど白く、肢体は細すぎるきらいもあったが、それすらも神秘的だと思えるほどに美しい。


 そんな彼女に縁談話が来た。


 相手は隣国の男爵で、若い頃に銀鉱山で一山当て、金で男爵の地位を買ったという男だった。

『若い頃』といったのは、実はその男、ファナとは三十も歳が離れていて、彼女の父王より年上だった。


「わたくし、初めてお姉様がいらして良かったと思いましたわ」


 妹のカロリーナが、扉の外から心底嬉しそうに告げた。


 彼女は、今も昔もファナのことを気味悪がって、決して部屋の中には入ってこない。

 カロリーナ曰く「部屋の中に入っただけで『呪い』で気分が悪くなる」そうだ。


 男はパーティの席で、フィンガーボウル一杯の銀を結納金として支払うと約束したそうで、カロリーナはそれを元手に新しいドレスを作るつもりのようだ。


 未だ婚約どころか、酒の席の口約束レベルの話であるのに、「ドレスが欲しいから早く出て行け」と罵るカロリーナに、ファナは小さくため息をついた。


 この妹には何を言っても無駄である。

 それはこの十七年間で骨身に染みて分かっている。


 やがて、ひとしきり自分の要望を述べて満足したのだろう、カロリーナは地上へと戻っていった。


 静かになった部屋で、ファナはベッドに腰掛け頬杖を付いて考えた。


 メイド達も「かわいそう」だと噂しているし、確かに思い描いた結婚とはずいぶん違う。


 だが、この地下から堂々と出て『家族』を持つ望みがあるのならば、それほど不幸なことでは無いのではないか。

 ……たとえ、相手が愛ではなく『大公との繋がり』欲しさに、男爵の地位と同じように自分を金で買おうとしていても。


 そこまで考えて、ふと思う。

『大公との繋がり』さえ手に入れてしまえば、自分は用済み――それどころか『吸魔』の力で邪魔な存在でしかない。


 ここではないどこかの地下に、また閉じ込められるかもしれない。


 そうなったら、深夜のお散歩すら出来なくなる。


 ぞっとして、ぶんぶん頭を振って最悪なその考えを追い出す。


(……駄目ね。ずっと地下に閉じこもっていたから、卑屈になっているみたい。本にも『お日様の光りは健康に良い』って書いてあったもの)


 ファナは立ち上がり机の引きだしから宝物入れを取りだした。


 地味で小さな木箱の中には、三つのものしか入っていない。


 押し花にした四つ葉のクローバー。

 母親の形見のアメジストの指輪――高価なものではなかったが、幼い頃にカロリーナに欲しいと駄々をこねられて、危うく取られかけて以来、着けた事はない。


 そしてヴォルフのたてがみ。

 黄色いリボンは色あせてしまったけれど、あの日のことが夢ではないと思わせてくれる唯一の物だから、大切だ。


 思い出すと嬉しくなる、温かい気持ちになる思い出は、ファナにはこれしかない。


(あの子は元気かしら……)


 眠る前の祈りに、母親と国のことと、それにヴォルフが健やかに暮らせるようにと追加されてから、もうずいぶん経つ。


(本当に『およめさん』になれると思ってたわけじゃないけれど……)


 ちくりと、胸が痛んだ。


 嘘を吐いた。


 特に幼かった頃は、あの子犬と一緒に暮らせたらどんなに楽しいだろうと夢想することもあった。

 実際それで、今日一日を生きる希望が貰えたこともあったのだ。


 たてがみを取り出し、そっと撫でる。


 その時。


 にわかに扉の外が騒がしくなった。


 いつものメイド達の声の他に、男性の声がする。


 珍しい。地下にはめったに男の人は来ないのに。


 そう思ったのも束の間、


「ファナちゃん? ファナちゃん、そこにいるの?」


 その『男の人の声』が彼女の名を呼んで扉をドンドンノックした。


「え、だ、誰……!?」


 ぎょっとして上擦った声が出る。


 こちらの問いかけを肯定の返事として受け取ったのか、


「開けるよ!」


 一応の断りがあった後、扉が開かれた。


 立っていたのは、ファナより頭一つ分は大きい青年。


 歳はファナと同じくらいだろうか。


 赤毛の短髪、キラキラとしたチョコレートの色の瞳。がっしりとした体躯を、髪に合わせたのだろう、暗いえんじ色の服で包んでいた。


 服にも、肩から垂らしたショート・マントにも、腰に差した短剣の鞘にも、派手ではないが精緻な刺繍が施されている。


 礼装したどこかの貴族、といった風体だった。


「だ、え、ど、どなたですか……!?」


 動揺しつつも敬語を使った自分を褒めたい、とファナは思った。


「ファナちゃん!? ファナちゃんでしょ!?」


 ぱぁぁっと顔を輝かせる青年。


 どうやら相手は自分のことを知っているようだ。


(男の人の知り合いなんていない……でも、声はどこかで聞いたような気もするけれど……)


 赤毛の青年は、ファナの握りしめているたてがみを見つけると、


「それ、まだ持っててくれたんだね……!」


 ふにゃぁっと表情を蕩けさせる。


 この宝物のことは、誰にも話したことはない。(話す相手がいなかったせいだが)


 知っているのは、ファナとあの満月の夜森にいたドラゴンと――……、


「――――ヴォルフ……」


 こちらの呟きに、赤毛の青年はぴたりと動きを止めた。

 かと思ったら、その瞳にじんわりと涙が浮かぶ。


「うん……うん……!」


 大きく頷きながら、袖でぐしぐし乱暴に目を拭う。

 赤くなった目尻で泣き笑いの表情を作ると、その場にひざまずいてこちらに手を伸ばした。


「迎えにきたよ……! 僕のお嫁さんになってくれる?」

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