2 赤毛の子犬

「……『アレ』って、結局どうしたの?」


 翌日。

 タライの中で湯浴みしていると、衝立の向こうからメイドの会話が聞こえてきた。


「地下牢に閉じ込めたらしいわ。恐ろしいったらないよ……はやく始末してしまえばいいのに……!」


 今日はメイド達が妙にソワソワしていた。


(何かあったのかしら?

『アレ』って一体なんだろう)


 一人で首を傾げるが、もちろんファナに答えてくれる者はいない。


 湯浴みを終えて質素な木綿の寝間着に着替え、ベッドの中に潜り込む。


 その間に後片付けを終えたメイド達が地上へ戻っていく。


 地下室にはしんとした静けさが満ちた。


 いつもと同じ夜。いつもと同じ孤独。


 だが今日は違った。


 どこからともなくシクシクと、子供のすすり泣く声が聞こえてきたのだ。


 はっとしてファナはベッドから身を起こした。


 最近読んだ本の中に、子供の幽霊が出てくる怪談話があったのだ。


 城の地下。子供の泣き声。きっとお化けに違いない。


 そうだとしたらぜひともお目にかかりたいものだ。

 それに死んだ人間なら、自分と楽しくおしゃべりしてくれるかもしれない。


 そう思って、ファナはさっそく部屋の鍵を裁縫用の針でこじ開けた。

 毎晩の事だから、慣れたものである。


 廊下の突き当たり、石造りの床の一部が綺麗に外れ、下へと伸びる階段が現れる。

 隠し通路の入り口だ。


 ロウソク一本を灯した燭台を手に、通路を進む。


 耳をそばだて、泣き声のする方向へ。


 途中で途切れたり遠くなったりしながらも、ファナははっきりとすすり泣きの聞こえるところまでやって来た。


 それは今は使われて居ないはずの、地下牢が並んだ場所だった。


「……ううぅ……ふ……ひっく……」


 一つ一つ鉄格子の奥をロウソクで照らしていくと、三つ目で闇に蠢く小さな影を捕らえた。


「……まぁ、子犬だわ」


 思わず声が漏れる。


 長い赤毛の小さな犬が、人の子の声で泣きながら、牢の隅で丸まっていたのだ。


(獣人……さん、かしら。本で読んだことしかないけれど。それにしたってまだ子供じゃない)


 恐ろしいと言っていたメイドの顔が浮かぶ。


 恐い生き物には思えない。

 むしろ可愛く思えたし、可哀相でもあった。


「……おねぇちゃん……だぁれ……?」


 声とロウソクの明かりに子犬が顔を上げる。

 チョコレート色のその瞳には、涙がいっぱいに溜まっていた。


「……ぼく、ここから出たいの……ママに会いたい……」


 右の後ろ足を引きずりながらこちらに近づいてくる。


「怪我をしているの?」


 尋ねると子犬はこっくりと頷いた。


「わながあったの……歩いていただけなのにわながあったの……」


 べそ……っと子犬の顔が歪む。


「いたいよぅ……ママぁ……」


 この近くで罠を仕掛けている様な場所は、城の裏手の森しかない。

 それも人の通る獣道には置かないから、この子犬は藪の中を走り回って引っ掛かったのかもしれなかった。


 とにかくここから出して手当てをしよう。


 いくら見た目がちがうからと言って、こんな小さな生き物を、怪我をしたままこんな暗い場所に閉じ込めておくなんて間違っている。


 いつも読んでいる物語のヒーローやプリンセスも、きっと自分と同じ事をするはずだ。


 そう決めるとファナは地下牢の鍵に触れた。


 蛍のように淡く輝いていた魔力ロックが、彼女が触れるのと同時にその光を失う。


 さらにスカートの裏に留めていた裁縫用の針でつついてやると、鍵は簡単に開いた。


「おねぇちゃんすごい……!」


 助けてくれる人だと理解したのだろうか。

 子犬は目を輝かせて尻尾を振った。


 地下牢の格子戸を押し開き、子犬を抱き上げる。


「ごめんね、私が触ると気持ち悪くなっちゃうかも……」


『吸魔』の力のせいで、ファナに触れられた人間は目眩に似た症状を訴えることがある。

 命に別状はないのだが、不愉快だったり気味悪がられたりすることは彼女にも理解できた。


 だが、子犬はぱちぱち目を瞬くと、


「ぜんぜんへーきだよ!」


 そう言って犬歯を見せて笑った。


(獣人には、魔力が無いのかもしれないわ)


 元々吸い取れる物が無ければ、ファナの力も無害だ。


 子犬はふわふわして温かく、草原の匂いがした。

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