契約奴隷。~優しく美しく香るラナンキュラスの花の様に。

梅鶯時光

第1話 大草原を彷徨うピーター・ラビット。


 その日、私は葬列の中に居ました。

 

 主人の最愛の友であり、私のクライアントでも有った佐藤康孝氏との別れの儀式。

 

 何故、あんなにも激しく私の魂に楔を打ち込み燃え上がらせたのか。

 

 そして、何も言わず去って行ってしまったのか


 私には知る由もない。



――半年前


 私は何不自由無く暮らす非凡な主婦でした。


 私は美大を出てVMD(Visual Merchandising)ディレクターとして、大手百貨店のウィンドウ・ディスプレイのデザインと施工監理や店内演出など、視覚的なデザインを行う仕事で高い評価を得ていました。収入も人並み以上に有り、主人も開業医なので経済的には満足していました。


 主人とは、お互いに仕事の事や、プライベートな事には干渉しない約束でした。結婚当初は、それで上手く行っていましたが、子供が生まれて暫くすると次第に距離が出来てしまい、求め合う事も無くなり、今は完全なセックスレスです。


 私は仕事に生き甲斐を感じています。ですから、セックスレスでも日々が平和ならそれで充分満足でした。都内に良いお家が有り子供が居て、仕事場には流行の最先端の洋服を着て高級車で通勤していましたので、子供の送り迎えの時など、世間の方からはとても羨ましがられたりしましたが、ハイ・ブランドの洋服もアクセサリーも仕事の関係で安く手に入れる事が出来たと云うだけなのです。


 コロナ禍になって、友人とお茶をしたり食事をしたりする機会が無くなり、仕事も激減しました。お家時間が増えて退屈していた時に、親友の愛美から連絡が有り、非常事態宣言も解除されるので、たまには皆で会って食事をして、お酒を楽しもうと云う事になりました。


「美穂! 久しぶり、元気そうね。待った?」


「うぅん。今来たところ。愛美も元気そうじゃない。他のメンバーは?」


「それが、出ちゃったんだって。陽性反応が」


「えっ、本当? じゃぁ、今日は私達だけって事?」


「そう云う事。殺しても死なない厚子と、馬鹿は風邪を引かない元気印の有紀がまさか陽性で欠席とは……皮肉よねぇ」


「アハハ! 酷い言われ様ねぇ」


「でも、お骨になって帰って来たんじゃ泣いても泣き切れないよ…」


「本当よねぇ……」


 他愛のない会話でも心が救われて、コロナ禍以前の気持ちを取り戻しているのが分かりました。嬉しくて饒舌になり、お酒も進み、少し酔って来た頃でした。愛美が火遊びをしていると告白して来たのです。私はバレたら身の破滅だから直ぐに止める様に諭しましたが聞いてくれませんでした。そして、笑いながら私に言いました。


「美穂、週に何回してる?」


「えっ、何よ、そんな事こんな所で言えないわよ。愛美、飲み過ぎじゃない?」


「良いじゃない、その位の事。私は週一が二週間に一回になった時に悟ったの。彼はもう、私には女を感じていないってね。そして三週から月一になるのは……時間の問題よ」


「時間の問題も何も……私達夫婦は既にセックスレスよ」


「えっ、美穂……それで良いの?」


「別に良いよ。愛美、今日から私の事をレス先輩って呼びなさい! ウフフフッ」


「笑えないよ、美穂。そんなのダメよ! それじゃぁ、女の人生を生きているって言えないよ? 私達、旦那にとっては、もう、女じゃないのよ……家族でしかないの。そんなの悲し過ぎるよ。でも、他人にとっては女なの、魅力ある女性なのよ。火遊びをして良く分かったの……」


「そう。でも、私は平和な日常の方が居心地が良いの。男の人と違って仕事は裏切らないし。淋しいとか悲しいとか、感じた事が無いから理解出来無いのよ。セックス自体にそれほど興味が無いし、見知らぬ人とホテルに行くなんて怖くて出来ないもの」


「アハハ! 美穂は何も知らないのね。私の使っているマッチングアプリを使って見れば分かるよ」


「マッチングアプリ? よしなさいよ、出会い系みたいな、そんなの使うの……」


 私は少し軽蔑して、そう言いましたが、愛美はニンマリと笑うとスマホの画面を差し出しました。


「ウフフッ、見て見て、私をお気に入り登録しているメンズがこんなに沢山居るのよ。ハンドルネームで気に入った人とトークして、気が合って会いたくなったらお互いのプロフィールを公開して会うのが正式なルールなんだけど……つまり、不倫は非公開のまま会うの。お互いの事を何も知らない方が都合が良いし、ボロが出ないでしょ? ブラインドデートだと思えば良いのよ。気に入らなければ断れば良いだけ。簡単でしょ?」


 愛美の奨めるマッチングアプリに登録してしまったのは、きっと、酔っていたからだと思います。五十代後半の男性のねちっこいセックスに全身がとろけそうだったとか、年下の味を知ったら病みつきになり最近は童貞専門だとか、私は仕事や子供の教育に関心が有りましたから、お盛んな親友の猥談に辟易としました。でも、満たされない何かが、何時も何かを待っている気持ちが……私の心の中にも有る事に気付かされたせいなのかも知れません。


  

 久しぶりに親友と食事をしたり、お酒を飲んで楽しい時間を過ごしたのでストレスの発散にはなりましたが、コロナ禍で激減した仕事の先行きを考えると暗くなりました。そして、数ヶ月が経ち、マッチングアプリに登録した事もすっかり忘れていました。


「美穂、スマホのチャイムが鳴っていたよ。こんな所に置きっ放しで、見る訳にも触る訳にも行かないから、困るよ」


「御免なさい、浩一さん。仕事の連絡も無いし、家にいる間はそこに置いておくのが習慣になってしまったの。気を付けます」


「僕は良いけど子供が騒ぐからね、お願いね」


「はい。お風呂入りましたから、お先にどうぞ」


「ありがとう。そうするよ」


 主人が入浴中にスマホをチェックすると、驚いた事にマッチングアプリに複数の男性から会話の申し込みが有りました。目を通すとピンと来ないハンドルネームと品の無いサムネイルが並んでいましたが、ひとつだけ気になるサムネイルが有りました。ピーターと名乗るその男性のサムネイルを確認すると、それは、美しい草原で人参を食むピーター・ラビットの絵画でした。私はその水彩画に見入ってしまい、気になってコメントを読んでしまいました。


「初めまして、アリスさん。僕はピーター。よろしければ不思議の国にご一緒しませんか? でも、あなたが『不思議の国のアリス』では無いのなら、それには及びません。僕を不思議の国に連れて行ってくれる人を、この大草原の中を探し続けます」



 私は、胸の高鳴りに戸惑いました。






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 opening theme Bryan Ferry - Slave To Love




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 次回もお楽しみに。

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