☀️3 終章

快晴1

 ペットボトルの水の音は激しい音が立つ。茂吉は目をまん丸くして動揺を露わにしながら、かつて呼ばれた名を呼んだ彼女を見ていた。


「───……………………………………………………………はっ?」


 彼女はボトルが落ちたのに気付き、拾って渡す。


「はい、これ。落ちたよ」

「……ありがとう……いやそうじゃなくて、なんで!? なんで……俺を名前で呼んでんの!?」


 茂吉は受け取るが、後ろに数歩下がって聞く。

 彼はちゃんと記憶を消した。彼の仲間は人の記憶を出すことはできない。少女たちも手を出さないはずだ。澄は微笑みを消して答えた。


「何でって、自分で思い出したからさ。思い出したいと思ったから、思い出したんだ」


 彼は百年以上も前の記憶を思い出す。

 条件その三。もし本人が記憶を取り戻したい。欠けたものを取り戻したいと思い始める。強く思い出したいと願ったとき、全ての記憶は返却され、茂吉の誓約書も破棄される。

 茂吉は顔色を変えて、口を押さえた。


「っ……えっ……嘘。嘘だろ……? 思い出したいと思ったのかい!?」


 彼の反応に笑うのをやめて、澄は切なげに頷く。


「……うん。思ったよ。思い出した瞬間、あの人に電話した。……君のした誓約を全部聞いた」


 冷静になって、茂吉は視覚と状況から情報を整理し推理する。昨日の澄が黄泉平坂よもつひらさかに招かれた理由と直文の行動。彼女の身につけている勾玉まがたまのネックレス。

 全てが繋がり、茂吉は頭を掻いて舌打ちをした。


「……なるほど。あのクソ上司。思わせるように、促したのか。彼女に欠けたものを取り戻したいと」

「でも、あの人が促さなくても、いつかは思い出していた。それに、私が記憶を取り戻したのは君の為でもあるんだ。精神すらも消耗して消えようとする君を、あの人は放っておけなかった。消滅するなんて……私も嫌だと思った」


 澄は彼の瞳を見つめ、話し出す。


「茂吉くん。私の為なのは嬉しいけど、所々押し付けている。前の私の記憶を消した時もそうだ。あの時は口に出して「やめて」と言いたかった」


 斧で切った時の彼女の最後の心情がわかり、茂吉は目を逸らす。が、彼にも譲れない思いがあった。彼女の顔を見て、真顔となる。


「……それは君が何もかも重く捉えて逝こうとするからだ。俺はそれが嫌で、俺なりに動いただけ。君は人の平穏が似合う。その平穏な日常を送って生きてほしいからそうしただけだ」

「……確かに、私なりのけじめの付け方は良くなかった。でも、君が全部抱えて消えるのも良くない!」


 大きな声で宣言し、彼女は自分の胸に手を当てる。


「茂吉くん。もう苦しまなくていいよ。自裁せずに、私の罪は私なりに抱えていく。思いだすと怖いし苦しいけど、私なりに償いをしていく」


 彼女の発言に茂吉は顔をしかめた。

 思い出してしまったのは仕方ないが、また消せばいいと茂吉は考えている。破棄された誓約書を再び作るように上司に願い、襲われる前の状況に戻そうと算段を立てていた。

 しかし、長年の付き合いのある澄にはお見通し。

 

「茂吉くん。また私の記憶を消そうと考えているね?」


 不機嫌に指摘されて、茂吉は震えた。

 考えは表情や雰囲気に出してはいない。茂吉は引きつった笑みを浮かべ、口を押さえる。前の長い長いお付き合いの結果、互いの考えは手にとるようにわかっている。即ち茂吉にも言え、ゆっくりと後ろに下がる。


「……流石だ。でも、考えを当ててどうするんだい? 俺を拒絶したくせに求めるなんて愚かだね。俺がいるから、君は嫌な記憶を思い出す。記憶を消したほうがマシだよ?」

「でも、良い思い出もある。君を思い出せなくなるのはもう嫌だ。けど、拒絶したのは私の弱さが原因だ。本当に愚かなことをした。……本当にごめんなさい」


 頭を下げて謝り、澄は切なげに笑う。


「君が酷く言ったのは私の為だってわかってるよ。なんだか、おかしいよね。私は君を拒絶しても、君を大切に思う気持ちは強かったんだから。……あの機会を得て、私は茂吉くんと一緒に居たいと思えた」

 

 茂吉はなんとも言えない顔をして、後ろに下がる。居たいと言われて嬉しいが、彼は複雑な心境であるからだ。普通の人として生きていてほしいと願っている。しかし、普通じゃない自身と居たいのが澄の願いなのだ。

 彼女の願いはできる限り叶えたいが、茂吉は自身の願いも潰えたくない。


「俺なんかより、もっといい人いるよ。こんな面倒くさいやつ、付き合う方が疲れると思うけど?」

「そうかな? 茂吉くんは結構いい人だと思うよ。ふふっ、相変わらず君は自分を求められるのが弱くて苦手なんだね。あの時の小さい頃私が甘えてきたら甘やかしてくれたし、私の後輩の問題を裏から手伝ってくれて。本当に仲間思いで面倒見がいいよ」


 穏やかに微笑まれ、茂吉は言葉を詰まらせて頬を赤く染めた。澄の言葉がだいぶ効いたらしく、動揺を隠せなくなって揺すぶられる。

 焦りながら、茂吉は疑問をぶつけた。


「な、なんで、俺と居たいの!? 梅雨のあの日の時も昨日の時も、俺を追いかけてきたっぽいけど……なんで!?」

「わかっているくせに言うなんて、相変わらず意地悪だ。茂吉くん」


 拗ねた顔をしながら澄は一歩踏み込み、茂吉は首を何度も横に振る。


「いやいやいやいや、今意地悪なのどっちなのかなぁ!? 俺を追い詰めようとしているでしょう!? 精神的にも物理的にも!!」


 鈍い茂吉ではない。今までの話と問答は明らかに茂吉の精神を揺さぶるもの。澄は茂吉に近付こうとしている。近づくだけなら良い。なら何故、逃げるのか。それは紫陽花あじさいの少女が首に掛けているネックレスがその答えである。

 茂吉は澄のしている勾玉まがたまのネックレスを指差す。


「それ、何のネックレスか知っているの!? メリットあるけど、デメリット最悪だぞっ!?」

「うん、知ってる。どんなものなのかも説明書を見て知ってる。あと、これ茂吉くんの分」


 ポケットから同じネックレスが出され、茂吉はビクッと体を大きく震わせた。

 澄の持つネックレスは対となる。片方がつけている分には問題ないが、対となるネックレスを男女つけていると外れない。余程の相性が良くなければ外れない仕様であるため、普通の人には問題ない。

 しかし、茂吉と澄は凄まじく相性がよく、つけると外れない可能性が大いにある。しかも、半妖が外そうとすると電流が流れるというバラエティ番組みたいな機能がついている。

 一言で要約すると、首輪である。

 茂吉は表情を引くつかせながら聞く。


「き、君はその勾玉まがたまのネックレスがどんな条件で外れるか、詳細も知ってるの……?」


 聞かれた瞬間、澄は沈黙をした。次第に顔を赤くしていく。真っ赤な林檎りんごの色に染まりきると、彼女はゆっくりと首を縦に振る。


 ──茂吉はロケットスタートを決めて、その場を逃げていった。


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