11 隠神刑部と紫陽花1

 茂吉を避けず対話をし、怖がる様子もない。充分に遠ざける出来事を起こして、不快感を抱かせ、記憶を消した。不快に思う出来事を忘れようが、対象に対する感情だけは残るはずだ。

 嫌悪感を一切ない様子に茂吉は動揺し、乾いた笑いをする。


「……何を……何を言っているんだ? 君は、普通の人として生きるんだ。ここから逃げれば君には充実した日々がやってくる。何も怖い目に遭わない。君には、優しい家族と友人、後輩も居るんだ。俺は君が生きているだけで充分に幸せだ。………生きたくないとか言うな!」

「そう言うのを押し付けて言うんだっ!」


 澄は高らかに反論して、茂吉を黙らせる。


「私は君と見て対面して話して……強く君を犠牲にしたくないと思った。君が犠牲になるなら、私は心から笑って生きられない。私は幸せになると思えない。……生きていたいとは思えない!」


 真っ直ぐと思いをぶつけられ、茂吉は動揺を隠せずにいた。嫌われるのはいい。拒絶されるのは良いが、求められるのは苦手であった。

 彼は最後の手段の彼女の嫌いなものを羅列する。


「……俺は、君の嫌いな人殺しをしている。人を殺しても何とも思わない。多くの人間の日常を奪ってきているし、酷い殺し方も見殺しにもしている。こぉんな最低なことをしてるのに、君は犠牲になるなっていうだろう? 見知らぬ人間なのに優しいよねぇ。愚かな優しさなのに、本当に怖いものに向き合えない」


 自身の掌を傷付け、手が血に濡れていくのを笑って見せる。澄はビクッとしてその血を流れるのを見た。


「俺はこんな風に汚れてる。君自身もこんな風に汚れている。残酷で余計な事を知ろうとしている。君はか弱い一般人でいた方が幸せのはずなのにさぁ? ふふっ、本当に怖いなら来ない方がいい。君には普通がお似合いさ。微力は帰りなよ」


 茂吉はわざと煽り不快感を引き出そうとする。

 手に濡れた赤い血を見て、澄は一瞬だけ自分の手が汚れているのが見えた。彼女は震えだそうとするが、両腕で体を抱きしめて震えを抑える。

 顔を上げて、彼女は目を丸くする。

 血に濡れた手を見せて、彼は不敵な笑みを保っていた。が、黄昏の色に染まる空と青々とした浜名湖。湖の周辺にある山々。湖の近くにある町並みは夕焼けに照らされ、茂吉も夕焼けの光に当てられている。

 この風景に、いや、現実に彼はいる。居なくなると考えると胸に穴が開く感覚があり、彼女は呟く。


「……そっか」


 夕焼けの空と風景と共にある茂吉を見て、彼女は一つ雫を流し理解する。


「私は……君が、いてほしい。私の側に、君が居てほしいんだ」


 澄は涙を拭い、茂吉に近付く。

 歩みはしっかりとしており、怯える様子はない。茂吉は笑うのをやめ、一歩ずつ後ろに下がり首を横に振る。


「駄目、見ないで。来ないで。俺に近付かないで──もう俺に関わるな」


 澄は首を横に振る。


「断る。見たい。来たい。君を知りたい。……隣に君がいてほしい。生きていてほしい」


 彼女の言葉に茂吉は笑いながらも、焦りを見せる。


「王道な主人公を気取らないでよ。似合わない」

「そう君が感じているなら、それでいいよ」


 ああ言うならばこう言う。澄は近づきていき、茂吉は後ろに下がる。羅列させて、想起そうきさせても、彼女は怯えず立ちすくまない。拒絶しても歩み寄ろうとする姿に、茂吉は胸が締まる思いを感じ胸を掴む。


[縺秘」ッ縺ッ縺ゥ縺薙□ぉぉぉぉ!]


 湖の陸地の近くから咆哮が響く。

 濁った声の魑魅魍魎ちみもうりょうの声に、二人は周囲を見回す。湖の下に落ちたが、足掻いて陸地まで泳いできたようだ。

 地を這う音が近づいてくる。魑魅魍魎ちみもうりょうは澄のいる場所に気付いて、やって来ようとしているのだ。言い合っている時間はなく茂吉は舌打ちをして、澄の記憶を消そうと手をかざす。彼女はバッグから大きめのハンカチを出して、茂吉の怪我をしている手を縛り、絆創膏ばんそうこう代わりにした。


「これで、よし。……ハンカチは返さなくていいよ」


 澄は傷付いた茂吉の手を優しく握りしめる。


「けど、お願いだから生きて。私の為に死のうとしないでほしい」


 手が放される。

 茂吉は呆然としたまま彼女を見つめ、ヘアバンドを下げて目を隠す。

 記憶を消しても、拒絶をしても、彼女は追いかけてくる。何もかも上手く行かない上に、彼女を裏から手を貸す人物もいる。彼はヘアバンドを外して、地面に投げ捨てた。


「……っあーっ、あ゛ぁぁぁ!! くそっ。くそっ!」


 ヘアバンドを踏みつけて、踏みにじる。


「何で、上手くいかないんだよ!? 何で、こんな時ばかりにあのクソ上司は動くんだよ!!

くそっ……邪魔さえなければ……君が俺を気にかけなければ……君は普通の人として穏やかに過ごせたのに!」


 何度も踏みつけて、ボロボロにした。もう一度踏みつけると、ヘアバンドは多くの木の葉と化して散る。ヘアバンドと彼のまとうもの全てが自体が彼の力で作られている。

 彼は荒く息をついていると、ペタペタと音がする。彼女は気づいて、真正面を見ると魑魅魍魎ちみもうりょうが顔を出して涎を垂らしていた。


[縺秘」ッ。ミツケタ]



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