9 八一と奈央

 揺らめく九本の狐の尾を見て、奈央は涙が止まらなかった。


「──や、いち、さん」


 彼女は思い出す。江戸時代で助けてくれて、お世話になって、帰すために夜久無を足止めして亡くなった。組織の決まりで記憶を消されたはずなのに、思い出している現象。思い出して、一気に情報と現状が襲いかかってきており、情報の処理が追いつかない。


「──八一、さん!」


 それでも、奈央は彼の名前を呼ぶ。


「奈央。そう必死に呼ぶと声が枯れてしまうよ」


 振り返りざまに微笑む。江戸時代で見た時と同じ微笑みであり、奈央は何度も頷く。


「っふふ、やっぱりいい反応だな。待っていた甲斐があったものだ」


 彼女の反応に八一はうれしそうに笑っていた。

 間違いなく、あの時の八一だ。その彼は夜久無に目線を戻す。

 彼は一歩ずつ歩みだす。八一が近付いているのを見て一瞬だけ表情をゆがませる。しかし、彼の生えている尾の数を見て呆然とした。予想以上に自身の尾の数より多かったのだろう。

 すぐに起き上がって背を向けたまま走り出す。逃げようとする姿に、八一は顔をしかめて手を勢いよく振るう。


「っ!?」


 夜久無の足首に何かが巻き付いて転ばせた。相手の足首には太い革の紐。八一の手の中には鞭があり、夜久無を捕らえていた。

 鞭を解こうとする夜久無に、八一は不敵に笑う。


来火らいか


 鞭に電流が宿り、紐を辿って夜久無に当たった。バチバチと音を鳴らしながら夜久無は悲鳴を上げた。激しい痛みが襲ってきているのだろう。

 しばらくもがき苦しむ。八一が電流を消すと、びくっと体を痙攣けいれんさせた。八一は鞭の紐を引っ張り、ニコニコと夜久無をたぐり寄せる。近くに来ると、八一は夜久無を縄で縛り上げた。手と胴体、足にも紐を縛り付ける。

 しばらくして夜久無が我に返った。目の前に八一がしゃがんでいる。彼は息を呑み、ガタガタと体を震わせた。


「な、なっ、な……!?」

「Hey 元気にしてたか? 私はこうして元気でいるぞー?」


 発音良く声をかけて八一は怖いほどの笑顔でいる。当然だが心の底から笑ってはいない。夜久無は逃げようにも逃げられない。力を使おうとしたのだろう。目を丸くして、ジタバタとしている。滑稽な様子に八一は笑う。


「あっはっはっ、妖怪の力を使えるわけないだろ。その紐は魔を封ずる効果がある。物理も無理だしな」

「っ、あっ、な、何故……何故……稲成空狐いなりくうこと同等の力であることを隠していたのですかっ!? 何故、生きているのですかっ! 八一様!」


 自分より格上であり、立ち向かっても勝てないと判断して敬語に戻っている。変に高いプライドも彼の前では形無し。小物感に八一は呆れた。


「能ある鷹は爪を隠すってことわざ知っているだろ。それに、私達が完全にその力を使いこなすには、誰かのバックアップ、もしくは長い時間の修行が必要だ。

私は死んだあと地獄で上司にしごいてもらったから力を容易に使いこなせるんだけどね。稲成空狐の半妖だからその半分しか力がないだろうって思っただろう。けど、組織の半妖はそのままその妖怪の力を受け継ぐ。警戒されすぎるのも良くないから、力を隠してたってだけだ」


 教えたあとに立ち上がって、夜久無の腹を踏みつけた。ドスッと音がするほど強い蹴り。夜久無は苦しそうに声を上げる。意地悪く笑い、瞳の奥では殺意の刃を研いでいた。


「けど、私ばかり話すのはちょっと不公平だなぁ~。……どうやって、前世を思い出したのかを話せ。そうしたら、お前を生かしてやろう」


 今までの行動を奈央は見てきたが悪役そのものである。

 江戸時代の時の八一と変わらず悪役のようで、安心するような、隠しきれない殺意にドン引くような。向日葵の少女は何とも言えぬ気持ちになった。生かしてくれると聞いて、夜久無は一筋の希望を見出したらしい。体を起こして話しだした。


「僕は協会からの任務で、一人で妖怪退治に出向いていたんだ。退治されるはずの妖怪は強くて、命乞いしたんだ。その妖怪は僕に力を与えて、従うようにいった。それで、僕は僕を思い出したんだ……!」

「へぇー? で、力をもらったってことは名前も聞いたんだろ? その名前は?」

「──……!」


 夜久無は大きくを見開かせた。

 八一は息を呑む。奈央は夜久無の中で渦巻く黒いもやのようなものが見えた。八一は大きく下がり、声を上げた。

 

「奈央。下がってろっ!」


 険しい声にあげると、夜久無は急にうめき声を上げる。


「──ぁあああああっ!」


 声が上がり、夜久無の全身に黒い煙のようなものが吹き出る。奈央は驚いて後ろに下がっていく。黒いもやが何なのか、頭の中で教えられる。

 悪霊を食ったときに出ているもや。負の思い、瘴気しょうきであると。

 麹葉の知識で間違いない。見ていて気持ちが悪いほどの量だ。もやに触れた植物は枯れていき、地面の草花もしおれて茶色になって行く。公園中に溢れ出てしまえば、人々に危害が及ぶ。八一は舌打ちをして、奈央の前に立っていんをきる。彼の周囲に白い光がきらめく。


渾渾こんこんと、古今ここんと、変わらぬ芽吹めぶきの力。天まで届け」


 彼の言葉に反応して夜久無の周囲にも白い蛍が出てくる。蛍は夜久無の中心に集まっていき、八一は言霊を吐いた。


「弾けよ! 三狐遙々みくじようよう!」


 ぱちんと指を鳴らす。

 白い力は夜久無中心に爆発を起こして、黒いもやを燃え消していく。公園からから出ようてしていた黒いもやは炎を伝って消えていく。黒いもやは空に上っていく。八一が逃すはずもなく、白い炎を操って燃やされる。

 夜久無から溢れ出ている全てのもやは白の炎によって消えていった。


 白い炎が消え、八一は夜久無のいた場所を見る。


 彼がいた場所には黒く焦げたあとしかない。八一は険しい表情でいると、近くに依乃を抱えた直文が着地してきた。直文がやってきたのを見て、八一はうれしそうに笑う。


直文なおぶみサン。ご協力ありがとうございます」

「知らない仲じゃないんだからやめろ。八一」

「あっはっはっ、悪い悪い。けど、本当にありがとう。直文」

「……まったくだよ」


 呆れて笑う彼に、依乃は奈央に駆け寄った。


「奈央ちゃん!」


 友の声に反応して、あだ名を呼ぼうとする前に彼女を抱き締められる。奈央は驚き、依乃は潤んだ瞳を向けて安心した表情を見せた。


「……奈央ちゃん。無事で良かった……良かったよ」


 再び強く抱き締められて、奈央は改めて思う。奈央にとって依乃はあの日からずっと大切な親友なのだと。向日葵の少女は彼女を強く抱き締めて温かみを感じる。


「……はなびちゃん。ありがとう」

「うん、こっちこそ、いつもありがとう……!」


 友人から与えられた愛称に、依乃はうれしそうに笑ってみせた。二人の少女の様子を見て、八一は満足そうに微笑むと変化へんげを解いた。

 狐の耳と尻尾、ファーはなくなり、レーシングスーツも普通になる。彼の手にはヘルメットがあり、ゴーグルをヘルメットにつけ直した。

 彼がバイクに近づいていく前に、奈央は声をかけた。


「八一さん……!」


 八一は足を止めて、奈央に振り返る。彼の胸に勢いよく向日葵の少女が突撃した。彼は受け止めると、顔を上げて上目遣いで奈央は尋ねた。


「八一さん。八一さんなんだよね!?

生きてる? なんで生きてるの? どうして、私の記憶を戻してくれたの?

一年前に助けてくれたライダーと夏祭りに参加してのは、貴方なんだよね?

……八一さん。一切合切いっさいがっさい、全部教えて!!」


 まくし立てられて八一は困惑しつつ頷いた。


「あー……わかった。わかったから……簡単に教えるけど少し長くなるからな」


 彼は咳払いをして、奈央に話す。


「──あの時の私は既に死んでいるよ」


 奈央は言葉を失い、八一は「いいから聞け」と奈央のひたいを小突いて話を聞かせた。

 聞かされたのは、組織の半妖の成り立ちであった。

 桜花の半妖は地獄の罪人であり、リデュース、リユース、リサイクルされて転生して半妖としてここにいる。組織の半妖として生きることは刑罰であり、現世の獄卒としている。組織の半妖は死んでも、ありのままの己として転生する権利を持っている。死んだ時の記憶もまんまに今世に持ち込めるのだと。

 八一はこれを永遠の隷属れいぞくだといった。一度死んだあと、八一は地獄で修行をして現世に転生をしたらしい。今は人の年齢として生きているらしい。人のまま生きることもできるが彼は半妖に戻り、奈央を助ける機会を待っていた。


 桜花の半妖が己のままで輪廻転生するのを依乃は知っている。また八一の件については、奈央がさらわれる前に全部聞いている。


 話を聞き終えて、向日葵少女はぽかんとした。

 簡単な説明と言っても情報量が多く、処理しきれていない。硬直こうちょくしている少女に、八一はウインクをする。


「つまり、私はここで生きているんだよ。お嬢さん。

Do you understand?」


 発音の良い英語で問われて、奈央は我に返って頷く。


「……えっ、あっ、い、イエス! あ、あれ? あってる?」


 英語や英会話に不安がある彼女に、八一は楽しそうに笑う。


「ナイスリアクション。けど、もうちょいほしいな」


 わざと日本語の発音にし、判定を下す。奈央はしょんぼりとするが、すぐに彼の話した仕組みに気づいて聞く。


「ねぇ、待って。八一さん。あなたの言う仕組みって……自身が使い勝手のいい道具って言っているようなものじゃあ……!」


 罪人から生まれ変わり、良いように扱き使われている。そう言う風に解釈もでき、頭をかいたあと八一は何事もないように話す。


「そうだなー……。でも、それもまた私たちの存在意義の中の一つ。私達はつぐなわなくてはならない今世の獄卒であり生まれ変わった罪人。だが、上司は私達を道具として扱うのではなく、すじを通すように教えられてきた」


 彼女の顔を見つめて微笑む。


「自分のことは道具だとは思ってない。安心してくれ。お嬢さん」

「……」


 不安げに彼を見つめていると、彼から名を呼ばれた。


「奈央」

「……はい……?」

「私はここにいるよ。約束を果たす為にここにいる」


 稲穂の色を思わせる暖かな笑みに優しい一言。

 向日葵の少女を安心させるには十分であり、八一に勢いよく抱きつく。彼は力強く抱き締められて、申し訳なさそうに笑う。抱きしめ返す八一の姿を見て、依乃と直文は微笑ましく見守っていた。


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