冒険者ギルド職員はいそがしい

日野玄冬

第1章 冒険者ギルド職員は、忙しい

第1話 プロローグ

+++

 「こいつが、我が国を恐怖に陥れた大罪人だ! 民よ。怯え、苦痛に苛まれる日も多くあっただろう。しかし、そんな脅威にも屈せず、国の為に皆が戦ったからこそ戦争に打ち勝った! ついては勝利に導いた英雄によって、この男を断罪しようではないか!」


 観衆が湧き上がった。拍手で讃える者。泣いて喜びの声を上げる者。賞賛の仕方は様々だ。


 断頭台に首を押しつけられながら、はたして英雄とは何だろうかと考えてみた。かつて俺自身を形容する為に、今は別の誰かにふさわしいと付けられた名前。


 時代とともに移り変わる正義の名前。その称号を欲するが為に研鑽を積む者だって少なくない。


 しかし、あえて善悪で喩えるならば、確実に悪だろう。


 現にこうして非難に曝されている方が、戦場にいたよりもずっと良いと思ってしまったからである。


 ふと頭を上げると、ごった返した市井の中にかつて戦場で共に戦った者を見つけた。


 頬は痩せこけ、土で汚れた衣服を着た、見窄らしい姿だった。更には頑丈そうな首輪を付けられて獣人がそれを引っ張っている。


 「やれ」


 一頻り話した後、呼吸を整えた王様が頷く。


 傍に控えていた兵士が、王様に頷きを返し慣れた様子で剣を掲げる。


 兵士の目に俺は映っていないように感じた。おそらく彼は将来を見据えているのだろう。これから待っている至上の待遇に目を輝かせているといった方が正しいかも知れない。


 何にせよ緊張感は全く感じないが、握った剣は確かに俺の首を狙って振り下ろされた。


 そして――肉を裂く音を最後に俺の意識は徐々に暗くなっていく。


 視界が薄れていく中、俺を恨めしそうに睨む奴隷の姿がいつまでも目に残った。

 


 「邪魔だ!」


 そんな幻聴が聞こえたのはいつだったか。


 まだ定まっていない焦点とは裏腹に俺の体はびくりと動いた。


 目を覚ますと、そこは喧騒に包まれた人の往来、そのど真ん中であった。


 両端に建物や屋台が並び、その中央を向かってくる人、追い越す人が目まぐるしく入れ替わる。


 「……ん?」


 疑問を感じた。ゆっくり下を見る。土、足、腹、手。夕暮れの陰影が普段より立体感、ひいては現実味を帯びさせた。


 どうした訳か、何故か生きているようだ。全く知らない街で。


 「……すみません」

 「ちょっと忙しいから。ごめんね」


 どうした訳か、何故か会話ができるようだ。全く知らない街で。


 感動を覚えたのも束の間、続々と疑問が出てくる。


 ここはどこで何をすれば良いのか等々。


 ……よく分からないが、明日にでも考えるとしよう。野営や自給自足の生活には慣れている。金銭も何もないが、今までそんな状況でも何とかなってきた。


 そうだ、今日は残飯でも失敬しようか。


 俺は通りを外れた場所に足を向けた。


 

 +++

 裏路地に向かって3日。俺は人とまともに話せない姿格好になっていた。

 

 完全に失念していた。人は普通に生活するだけで汚れていくのだ。


 汚れを濯ぐには設備とお金がいるのだ。

 

 「あいつやべえよ……憲兵と外出したいとかで一日中揉めたらしいぜ」

 「装備もろくにしてないし、魔物に食われたいんじゃないか?」

 

 更には同じような格好をした者たちにも爪弾きにされてしまった。

 

 外に出られれば手頃な動物を狩って生計を立てられると思い至り憲兵に相談したのだが、どうやら外出には通行証なるものが必要なようで取り合ってもらえなかった。

 

 「なあ、いつ雨が降るか分かるか? 水を浴びたい」

 「知らねえよ!」

 

 同じ境遇の仲間だ。是非とも輪に入れてもらいたかったのだが。

 

 「ほら、なんか毎日話しかけてくんだよ……」

 「関わらないでおこうぜ」

 

 こちらに聞こえるように、牽制するような二人組の会話が始まる。流石にこれではとりつく島もない。

 

 場所を変えるか。

 

 俺は息抜きがてら、陽を浴びに広場へ向かった。

 

 

 歩くと程なくして、石垣で囲まれた大きな噴水が目立つ広場が見える。周辺にはまばらに木製のベンチが点在しており、俺はその一つに腰を落ち着けた。

 

 次々と湧き出る水が陽光を受けて鮮やかに光り輝きながら登ってゆき、重力に従って地面を打つ。すると心地よい水音とともに透明な水飛沫が辺りを舞う。とても癒される光景である。

 

 「ふぅ……」

 

 一息つくと、俺は今後について考えを巡らせる。

 

 言葉は通じるが、お金がない。そもそも知らない国で身元の保証さえできないホームレスがお金を工面できる手立てなんてあるのだろうか。

 

 まあ、仕様のないことか。

 

 そうして暫し呆然としていると――

 

 「なあ、兄ちゃん」

 

 ぎしりと音を立てて、誰かが俺の隣に座った。

 

 「昨日憲兵と揉めたってのは本当か?」

 

 視線を送れば、そこにはまるで獅子を思わせる茶色の短髪に鋭い目つき、手入れの行き届いたキュイラスを着た男がこちらを見ていた。警備兵だろうか。

 

 「はい。通行証とやらを持っていなくて困っているところです」

 

 こういう手合いに噛み付くと後々が面倒なので、持てる限りの語彙を使って返答した。

 

 捕まると当面の生活は今より安定するだろうが、後がない。身元不十分ともなれば知らぬうちにやっていない罪を被る羽目にもなってしまう。

 

 ここは正直に今置かれている状況を伝えよう。

 

 「胡散臭い話し方はやめてくれ。オレは騎士じゃねえんだ、すぐとっ捕まえて連行する訳じゃない」

 「……なるほど。分かった」

 

 警備兵でも騎士でもなかったら何者なのだろうか。皆目見当がつかない。もし彼の個人的な趣味だったら逃げよう。

 

 「兄ちゃん、名前は? 前は何してたヤツだ?」

 「ヒサギ。気づいたらここにいた。だから今も昔も流浪人だ」

 「つまり浮浪人か」

 「そうともいう」

 

 敗戦国の戦犯で処刑されて死んだと思ったらここにいた。なんて言ったら気が狂ってるやつだと思われかねないな。事実はそうなんだが。本当に面倒くさい経緯である。

 

 さてどうしたものかと考えていると、男は豪快に笑った。

 

 「がははは! 面白い兄ちゃんだな! そうだ、オレはこの街で冒険者ギルドのギルドマスターをやってる、レオってもんだ!」

 「……どうも」

 

 名前はそのままだった。そんなことより冒険者ギルドってなんだ?

 

 「ヒサギよ。お前望んでホームレスになったんじゃねえだろ?」

 「完全に成り行きではある」

 「だったら話は早え! ――冒険者になったらどうだ?」

 

 するとレオは懐から金色に輝く一枚のカード取り出した。

 

 「冒険者カードだ。これなら身元の保証から街の外での狩りまで、何でもできるぞ!」

 

 冒険者とやらは万能の職業なのか! これは天職の予感がする。とりわけ狩った動物を商人に卸すというのが本業なんだろう。

 

 そんな俺の反応を見てか、レオはさらに続ける。

 

 「冒険者は、依頼に応じて魔物や動物を狩ったり街の清掃やったり――まあ便利屋みたいなやりがいのある仕事だぞ!」

 

 ……先程から予測が外れてばかりである。言葉は同じでも母国とは文化がまるきり違う。レオが話し掛けてくれなければ、今後の生活が危ぶまれていただろう程に。

 

 「なるほど、便利屋とは確かに興味を惹かれるな。だが――」

 

 今すぐに始めるべきなのは分かる。

 

 しかし、俺には一つ引っ掛かった単語があった。

 

 「魔物ってなんだ?」

 

 俺はそれを知っている。文化が違うはずの母国にもあった、脅威の代名詞。

 

 だが、魔物は、母国周辺には存在しない、半ば空想で作られた存在であった。

 

 「ああ、それはな――ここ10年ぐらい前かな、魔王ってのが現れて生み出された、獣の形をした敵だ」

 

 そうか。魔王が動いたのか。ゆっくり時間を掛け、準備を整えて。

 

 そうなるとこの世界は、俺が生きていた時代の数十年先なのか。

 

 少なくとも俺の時代にいた魔王は鳴りを潜めていた。魔族という存在の大半がこの世から姿を消したからだ。だからこそ人間同士での戦争が苛烈を極めた。

 

 それを踏まえて、できる回答は一つである。

 

 「動物は狩れるが魔物は狩れる自信がないな。……すまない、折角いいチャンスをくれたのに」

 

 今更魔王を脅かそうとは思わなかった。そもそも昔の人間が、おいそれと簡単に現代の事情に首を突っ込んでいいはずがない。

 

 「そうか。ところで話は変わるんだけどよ」

 

 俺の回答を聞いたギルドマスターは、特に驚くこともなく、笑みを浮かべたまま続けた。

 

 なんだこの人。とてもいい人ではないか。

 

 「そんななんでもしてくれる冒険者には、国も当然死んでほしくない訳だな。冒険者側も望んじゃいないし、なんなら使い勝手がいいやつだとも思われたくないのが本音だ」

 「確かに」

 

 街の便利屋、冒険者という制度には穴がある。それは誰も彼もが世のため人の為に働く者ばかりではないということだ。

 

 報酬面や安全面、少なくとももし今の俺ではなく何のしがらみもない立場で考えれば、やろうとするだろうか。

 

 「そんな貴重な人材をサポート、報酬の吟味だったり、冒険者自身が死んだ後の家族を支えたりする仕事が国から任されてるんだ」

 「それが冒険者ギルドか」

 「おうよ。話が早くて助かるな!」

 

 なるほど、よくできた社会だ。

 

 疑問なのはこの話を持ち掛けても何の旨味もない俺に、なぜそんな誰もが知っている常識を丁寧に語ってくれるのかということである。

 

 「まあ便利屋なんて普通はなりたかねえよな。でも、男ってのは英雄に憧れんだ。雑用こなして、魔物を狩りまくって、いつかは魔王も……ってな」

 「話が戻ってるような気がする」

 「戻ってねえよ。国からウチを介して金が貰えてんだ。冒険者はやったらやるだけ稼げて、ガキも夢見る立派な職業。対してサポートするだけの安全志向の塊みてえな冒険者ギルド職員はな……」

 

 先程まで快活だったレオのトーンが徐々に低くなる。

 

 なるほど。やっと分かった。話の全貌を理解したぞ。

 

 「軟弱者集団というところか」

 「……おうよ。引退した連中も学校の講師はしてくれんだが、職員自体は金払いも冒険者に比べりゃよくねえし、何より世間からのイメージと本人のプライドがな……」

 

 今まで散々下に見ていた職に就くのは抵抗があるだろう。理には適ってるが、中々に残酷な内部事情である。

 

 「それで俺に話をしてくれたと」

 「ああ。でもな! 男に比べて女の職員は多いんだぜ! それこそ冒険者よりもな!」

 

 唯一であろう利点は少し考えれば欠点になり得ることが分かる。

 

 立ち上げ当初は女好きな一般人なら「もしかしたら、ハーレム!?」と息を巻いて入っていたかも知れない。ただ、制度が確立されていることから何年も続いているであろう冒険者ギルド。現状が変わらないことを鑑みるに、その実態は見ずとも分かる。

 

 「職ないんだろう? 飯食べたいんだろう? なあ?」

 

 顔に渋ったのが出ていたのか、レオはテイストを180度変えて俺に詰め寄った。

 

 曰く、ここまでしたんだからな、と。言外の声なき声が鼓膜を震わせた。

 

 「……俺は金も生活できるところもない」

 「最初は前払いにするぜ! 部屋はヤロウの住み込み用に何室か作ってあるが、どこも空いてる!」

 「身元も保証できない」

 「オレだって腐ってもギルドの運営を任されてんだ。人を見る目はあるぜ! ちなみに職員は全員最初にギルドカードを作らされる!」

 

 レオ、こいつは悪人だ。

 

 おそらく冒険者に乗り気になったところで、生活の軌道に乗る為には簡単な依頼だけでは難しいとかなんとか難癖をつけて職員へと誘うつもりだったのだろう。

 

 何故分かるのか。今のレオの顔に、それはそれは克明に描かれているからだ。

 

 こんなやつに目をつけられるとは、俺も運がないのかも知れない。

 

 だが。 

 

 「……乗った。何も分からない新人だが、どうか使ってやってくれ」

 「おうよ!」

 

 こんな人物を、俺は目覚めた時、いや、もっと以前から求めていたのかも知れない。


 ―― 斯くして俺はよく分からないホームレス、改め新人ギルド職員(試用期間中)として冒険者ギルド・ウィスタリア支部へと転職を果たしたのであった。

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