北果ての野良聖女

こばやしぺれこ

第1話

 見渡す限り純白の雪の原を、エリーシャは歩いている。露出した頬や鼻は感覚が薄れるほどに冷たいが、厚着の上に毛皮を重ねた身体は燃えそうなほどに熱い。

 一歩踏み出す。後頭部で結った麦の穂色の髪が跳ねる。後毛がうなじをくすぐる。

 一歩踏み出す。吐く息が白くけぶる。腰に下げた手斧が鳴る。見上げた空は底抜けに青い。

 一歩踏み出す。足の裏で雪が鳴く。雪原は静かだ。エリーシャと犬たちの呼吸する音が響く。

 また一歩踏み出した時、エリーシャについて回る犬たちが一斉に駆け出した。

 犬たちの向かう先。黒々とした木々の茂る森から、今まさに姿を現した人影がある。

 背が高く逞しい体躯。頭の上に獣の耳が立っている。その姿は何も知らなければ狼男にでも見えただろう。

 異形のシルエットは、オオカミの毛皮を防寒のため頭から纏っているせいだ。エリーシャはそれをよく知っている。

 その影もまた、複数の犬を連れている。犬の吠え声が重なる。

「ハンナーーーー!」

 エリーシャは叫ぶ。ミトンをつけた両手を顔に添えて、声の限り。空気を震わせた喉がびりびりと痺れる。

 そうして駆け出した。降り積もった雪は重く、長い間歩き続けた足は容易にもつれる。転び掛け、なんとか立て直し、なお走る。

「エリーシャ! ゆっくりでいいよ!」

 大柄な姿に見合わぬ軽やかな発声。その声は遮るものの無い雪原によく通る。聞こえた声を無視して、エリーシャはなお走った。雪を蹴り上げ、力の限り。

 人影は被っていた毛皮を頭だけ脱いだ。癖のある短い髪が寒風に揺れる。濃い夕焼けに似た赤は、日の光を受けより鮮やかに見える。

 人影──ハンナは、駆けるエリーシャに向かい両腕を広げた。その広い胸の真ん中目がけ、エリーシャは走る勢いのまま飛び込んだ。

 全力でぶつかってもハンナの体躯は揺るがない。着膨れた腕がエリーシャをしっかりと抱き止める。顔を埋めた胸は重ねた服越しでも柔らかい。エリーシャは冷えた顔をハンナの胸で温める。

「おかえりエリーシャ。みんなもお疲れ様!」

 犬たちが吠える。じゃれているのだろう、雪の上を飛び回る気配がある。ハンナの胸で塞がる視界の中、エリーシャは音だけを聞いている。

 お互いの存在を確認するような、ただ抱きしめ合う数瞬があった。エリーシャは力の限りハンナを抱きしめ、ハンナの大きな手のひらに頭を撫でられる感触を享受する。

「鹿が獲れたよ、エリーシャ」

「そうなのハンナ!」

 勢いよく顔を上げエリーシャは叫ぶ。大慌てで背嚢を下ろし、目当てのものをハンナへ示す。

 ピンと立った長い耳にふかふかの白い毛皮。その首筋には真一文字の傷がある。

「兎だ! エリーシャが獲ったの?」

「そう!」

「すごい!」

 今度はエリーシャがハンナに抱きしめられた。頑丈な腕は全力でエリーシャの胴を締め付けるが、その苦しさがエリーシャは心地よかった。

 その白ウサギは、エリーシャが初めて一人で獲った獣だった。





 エリーシャルト・ラブラドライト──愛称エリーシャは太陽神と大地母神を崇める王国に生まれ育った。

 麦の穂色の素直な髪は父親似で、空色の澄んだ瞳は母親似だ。

 父は王国の財政を預かる財務大臣、母は現国王の姉だった。

 父と国王とは幼少からの友人であり、信頼も厚く、将来はお互いの子同士──エリーシャと王子を結婚させようとしていたらしい。


 エリーシャの十六歳の誕生日、父は死んだ。薄曇りの春の日だった。書斎で毒を飲み自殺した。

 遺書によれば、父は長年血税を横領し私腹を肥やしていたのだそうだ。民への、そして国王への裏切りが露呈したため毒を飲む。そう書かれていた。

 エリーシャには信じられなかった。エリーシャの父は真面目な人だった。いつだって民のことを考えて、エリーシャと幼い弟を大切にしてくれていた。責任をとって死ぬ、なんて無責任なことはしないはずだった。

 父の自死を受け入れられないまま、エリーシャは一人国王の下へ引き立てられた。

 母と弟はいなかった。母は、ひと月前に父と離縁し、弟だけを連れて王城の離れへ帰っていた、と知らされた。

 父が死ぬ前の日まで、エリーシャと同じ屋敷で暮らしていたはずなのに。

 国王と側近、そして地位の高い貴族たちが顔を揃える中、エリーシャは告発を受けた。

「偉大なる国王さま、お聞きください。

 この者は癒しの力を持たぬ身でありながら聖女を騙りました。

 わたくしを身代わりとしたのです」

 エリーシャに人差し指を向けたのは、税務官である子爵の娘だった。

 その名前を思い出すのにエリーシャは苦労した。弾劾の場である緊張もあったが、本当に彼女との関わりが薄かったのだ。園遊会や舞踏会で幾度か顔を合わせたくらいだろうか。相手の家に招かれたこともなければ、エリーシャが招いたこともない。

 なのになぜ、エリーシャを告発するのだろうか。


 この国に生まれた女性の中には癒しの力を持つ者がいる。傷を癒し、病を消すその力は大地母神の祝福を受けた証だと言われる。

 力には優劣がある。どんな傷も触れるだけで痕すら残さず消せる者がいれば、切り傷の治りを少し早くするだけの者もいる。

 ちぎれかけた手足すら一瞬で治し、消せぬ病などない強い癒しの力──大地母神の厚い加護を得た女性が、聖女と呼ばれる。

 この国では聖女が次期国王──第一王子と婚姻する習わしになっている。とはいえ、強い癒しの力を持つ者は貴族階級に多く、大々的に国中の女性を調べることなどしないため、その習わしはほぼ形骸化していた。


 エリーシャは聖女と呼ばれていた。強い癒しの力を持っているからだ。

 初めて人を癒したのは記憶にないほど幼い頃。転んだ小さなエリーシャを抱き止めた乳母が庭木でざっくりと手の甲を切った。その手に触れるだけでエリーシャは傷を治したのだ。

 乳母から報告を受けた父は喜んだ。形骸化しているとはいえ、強い癒しの力を持つ女子であれば王子との婚姻を成しやすい。王家との血縁を結んでいるラブラドライト家であればなおさらだ。

 その日からラブラドライト家には怪我人や病人が絶えず訪れるようになった。領地や交友関係のある他貴族、貴賤は関係なく求められればエリーシャとの面会が叶った。

 ラブラドライト家当主は情の厚い方だ、と誰しもが言った。確かにそうなのかもしれない。だがそれだけでもない。怪我や病をエリーシャに癒された人づてにエリーシャの癒しの力の強さは広まる。ラブラドライト家当主ははしたなく公言する事を避け、エリーシャが聖女であると広めたのだ。

 たちまちにエリーシャは聖女として崇められた。幼いエリーシャはその期待に応えた。常に淑女らしく立ち振る舞い、誰にでも優しく接した。

 そうすると父が喜んだからだ。誰に感謝されるよりも、贈り物をされるのよりも、父に褒められるのがエリーシャは何よりも嬉しかった。


 弾劾の場にはかつてエリーシャが病を癒した貴族たちもいた。彼らは確かにエリーシャ本人が病を癒したと知っているはずだ。

 だが誰も子爵令嬢の言葉を否定しなかった。

 今のエリーシャには何の後ろ盾も無いからだ。エリーシャの父である侯爵は不正を行い自死した。エリーシャの母である国王の姉はエリーシャの父と離縁した。エリーシャの弟だけを連れて屋敷を出た事実から、エリーシャと絶縁したことは明らかだ。

 今のエリーシャを助けても、政治的な旨味は無い。

 エリーシャが助けを乞えば、もしかすれば誰かの善意は動いたのかもしれない。

 けれどエリーシャは黙っていた。黙って俯いて、浴びせられる子爵令嬢の嘘を聞いていた。

 それが母の教えだったからだ。


「どんな時でも、求められるまでは黙っているのが淑女というもの」

「正しい行いをしていれば大地母神さまは貴女を助けてくれる」

「助けが無いのであれば、それは貴女が間違った行いをしていただけのこと」

「言い訳はやめなさいエリーシャ、はしたない」

「泣くのをやめなさいエリーシャ、汚らしい」

「母の言うことを聞いていれば間違いは無いのよ」


 エリーシャはひたすらに耐えた。間違いです、と声を上げたくとも口をつぐんだ。どうして酷い嘘を、と泣き出したくとも目を瞠って耐えた。そして祈った。

(私は今日まで父のため母のため民のため生きてきました。これが正しい行いであったのならば、大地母神さまどうか私をお助けください)

 否定も肯定もせず、表情を凍らせ告発を聞くエリーシャは、何も知らない貴族たちの目にどう写っただろうか。


 国王はエリーシャに証言を求めなかった。

 おそらく国王は疲れ果てていたのだ。

 近年王国は隣接する砂漠の国と緊張状態にあった。どうにか争いに発展せぬよう、国王主導の下交渉が続けられている。だが国民や貴族の中では王国の強さを示すべきだとの声が上がっている。争いは民も土地も荒らす。国王はそれを望んでいない。

 そこに畳み掛けられた、国王の親友の裏切りと死だ。国王はエリーシャの父を長年、それこそ物心ついた時からずっと信頼していたのだ。

 だから親友と同じくらい信用している親族──姉であるエリーシャの母と、彼女に証言を任せられた子爵令嬢の発言だけを認めた。

 エリーシャに言い渡されたのは「冬の追放刑」だった。


 貴族階級に死刑は適用されない。過去、そう定められた。よって貴族へ科される一番重い刑罰は国外追放になる。人が人を裁くのではなく、最終判断を大地母神──自然に任せるのだ。かつてエリーシャはそのことを倫理的だと思っていた。

 それは違った。

 追放にも二種類あり、「夏の追放刑」と「冬の追放刑」がある。

 追放を言い渡された者は、まず王国の最北端にある監獄へ送られる。そして季節を待って国外へ追い出されるのだ。

 王国の最北端、その先に広がるのは手付かずの森と山だ。一年のほとんどを雪に閉ざされ、ごく短い夏には獰猛な獣が跋扈する。

 夏だろうが冬だろうが、そんな場所へ放り出された人が生きていけるわけがない。


 エリーシャは追放を言い渡されたその場で髪を切り落とされ、着の身着のままで監獄へ送られた。

 季節は春の終わり。それでも最北端の監獄には雪が残っていた。石造りの牢は冷たく、与えられた寝具でようやく暖を取れるほどだった。

 夏は良かった。北の果てでは暑さに苦しむことはない。

 北端の夏はひと月と続かなかった。朝晩に冷え込むようになり、寒さは一日中エリーシャを苛むようになった。

 着替えも防寒着も与えられず、食事は粗末。どうしてか苦役は免除されていたが、話し相手もましてや娯楽もなく。聞こえるのは別の牢に入れられた囚人の啜り泣きだけ。そんな生活の中、それでもエリーシャは祈り続けた。

(私は正しいことを行なってきました。私が間違っていたのでないのなら、どうかお助けください)


 牢の小窓から見える空は雪を落とし始め、昼も夜も広がるのは曇天ばかりになった頃。

 エリーシャは祈るのを止めていた。

 日々、エリーシャは小さな寝台の上で膝を抱え震えていた。祈りも恨み言もなく、ただ「寒い」という感覚だけがエリーシャの思考を支配していた。

 北の果ての寒さは、エリーシャの魂をも凍らせたのだ。


 エリーシャが牢から出されたのは、十日ほど続いた雪がようやく降り止んだ朝だった。迎えに来たのは北端の監獄を治める男。エリーシャの父親と同じくらいの年齢であろう、監獄長だった。

 監獄長はエリーシャの追放が執行されることを告げ、エリーシャを外へ連れ出し馬橇(ばそり)に乗せた。雪は止み、風もほとんどなかったが、空気は身を切るように冷たい。エリーシャは薄い毛布を身体にきつく巻きつけ、馬橇に揺られた。

 馬橇は監獄の門を抜け、見渡す限り純白の雪原をのろのろと進んだ。御者と馬の背中の向こうには雪をかぶってなお黒々とした森が広がり、そのまた向こうには雲に覆われた山が見えた。監獄長は厚い防寒着を身につけ、一人黒馬に乗り同行していた。


 日が傾きかける頃。馬橇は森の入り口に到達した。下草は無く、背の高い針葉樹が立ち尽くす森は獣道すら見えない。監獄長に促され、エリーシャは森の前に立った。森はただ静かにそこにあり、風の音も獣の気配もない。凍りついたような静寂だけがある。

「エリーシャルト。貴女をこの森へ置き去りにすることで私の仕事は完了する」

 監獄長が厳かに告げた。振り向いたエリーシャは馬橇を背にした監獄長を見た。馬橇の轍はどこまでも真っ直ぐに続いている。その先には真っ白な地平線しか見えない。収監された当時、あれほど巨大に立ちはだかって見えた監獄の壁は、影も形も無い。

「今後貴女は王国領へ立ち入ることを許されない。徒歩で我が監獄へ戻ろうとも、再び収監されることは無い。──それが可能だとは思えないが」

 馬の足で半日をかけたのだ。人の足で──エリーシャのような少女の足で、監獄まで戻るのに、どれだけかかるのだろうか。何もない、吹曝しの雪の野を。

「貴女の追放は今執行される。ああ、だが」

 望洋とした思いで立ち尽くすエリーシャに、監獄長は微笑みを見せた。

「貴女の若く美しい柔肌が獣どもに食い荒らされるのが惜しくて堪らない」

 笑みとは、人を安心させるものだとエリーシャは思っていた。だが今監獄長が見せたその微笑みは。飢えた獣が獲物に向けて見せる舌なめずりのような、己の欲望を隠そうともしないひどく醜悪なものに見えた。

 自分に向けられる笑顔がこれほど恐ろしく思えたのは、この瞬間が初めてだ。

「エリーシャルト、跪いて私に慈悲を乞いなさい。生涯私に尽くし、私に愛を捧げると。

 我が屋敷は貴女を迎える準備がある。温かい食事も清潔なベッドもある。

 妻として表に出すわけにはいかないが、我が愛人として望みはなんでも叶えよう。

 私の愛を受け入れるなら」

 己へ向けられる剥き出しの欲望が恐ろしくとも。エリーシャは立ち尽くしている。


 逃げたくとも、どこへ逃げれば良いのかエリーシャにはわからない。背後に広がるのはどこまでも続く森。その先にあるのは凍えるか本当の獣に襲われるかの二択だ。

 逃げずに監獄長へ従えば、生きられるだろう。生きられるが、それはエリーシャの生ではない。死ぬまで、あるいはこの男が飽きるまで貪られ続ける、家畜の生だ。

 そのどちらもエリーシャは選べない。選びたいなどと思えない。

「エリーシャルト、貴女が生きる道は私に縋るしかないのだよ」

 震えることも泣き喚くこともできないエリーシャへ、監獄長は手を伸ばした。


 その時エリーシャは羽ばたきを聞いた。

 正確には、何かが軽やかに空を切る、鳥が羽ばたくような音だ。

 その音はエリーシャの髪を揺らし、通り過ぎた。

 それは文字通り瞬く合間の出来事だった。


「あ、?」


 監獄長の額に深々と斧が突き刺さっていた。

 ぐらり、と監獄長がのけぞる。

 エリーシャの傍らをいくつもの影が駆け抜ける。背後の森から音もなく迫っていた影だ。

 狼? エリーシャは五匹の獣をそう判じた。彼らは逞しい四足を持ち、太い吠え声と大きな身体を持っている。

 距離を空け待機していた馬橇の御者が遅れて悲鳴を上げた。監獄長の黒馬が、馬橇の馬が嘶く。

 狼はまず馬橇の御者に飛びかかった。噛みつき、馬橇から引き摺り落とし、群がる。

 馬橇に繋がれたままの馬は素早く行動できない。森に背をむけ逃走しようとして、狂乱の末転倒する。立ち上る雪煙。

 監獄長の黒馬は自由だ。無情にも監獄長を置いて走り去る。だが逃走は叶わなかった。

 またエリーシャの傍らを通り抜ける羽音。それは過(あやま)たず黒馬の後ろ脚に突き刺さった。

 斧。それは監獄長の額を割ったものと同じだ。黒馬が悲痛な声を上げる。

 狼たちが黒馬に群がる。彼らの動きは統率が取れ、弱った黒馬を逃さない。

 そこでようやくエリーシャは気付いた。その獣はエリーシャが知る狼ではない。エリーシャは耳の垂れた狼を知らない。巻き尾の狼も知らない。それは犬が持つ特徴だ。ただその犬たちは、エリーシャが知る猟犬や愛玩犬、馬車犬たちの誰よりも大きかった。ゆえにエリーシャは彼らを狼だと判じたのだ。

「え? あれ?」

 額に斧が刺さったまま、監獄長は虚空を掻いていた。自身に何が起きたのか、未だ理解が及んでいないのだろう。

 それはエリーシャも同じだ。エリーシャは、ただ瞬きの合間に起きた出来事を呆然と見ているだけにすぎない。

 エリーシャの背後、森からまた現れた影があった。

 大柄な体躯。黒に近い灰褐色の毛皮。ぴんと立った三角の耳。

 それは、エリーシャには二足で歩む狼──人狼に見えた。

 人狼は革手袋の左手に斧を、右手に大ぶりな鉈を下げている。どちらも良く磨がれた鋭い刃をしている。

「あ」

 人狼は何を問うこともなく。監獄長の首へ鉈を振り下ろした。

 ぱ、と鮮烈な赤が飛び散る。斧が刺さったままの首が雪の上に落ちる。監獄長はきっと最後まで自分がなぜ死ぬのか理解できていなかっただろう。そんな顔をしていた。

 森の入り口は静かだった。それまで聞こえていた御者の悲鳴も、馬の嘶きもない。

 気付けばエリーシャは雪の上にへたり込んでいた。頭は痺れたように凍り、思考が止まっている。エリーシャはただ、監獄長の頭から斧を引き抜く人狼を見ている。

 血まみれの犬が一頭、斧を咥えて駆け寄る。黒馬に投擲されたものだろう。人狼が斧を受け取る。そのついで、人狼は犬の頭を撫でた。その手つきは柔らかで、犬は心地よさそうに目を細め尾を振っていた。

 人狼は斧と鉈についた血を監獄長の服で拭う。馬と御者の息の根を止めた犬たちが人狼の足元に集う。

 人狼が雪を踏む音は重い。エリーシャはこちらへ歩み寄る人狼を見上げている。

 人狼は大ぶりな鉈を腰に下げた鞘に収める。手斧は投擲された二本の他にも複数あり、腰のベルトへそのまま挟まれていた。

 強い風が吹いてエリーシャの薄い毛布を攫った。その行先をエリーシャは見ない。

 エリーシャは人狼の目を見ていた。灰褐色の毛皮から覗く、若草色の瞳を。

 人狼がエリーシャの目の前で膝をつく。視線の高さが合う。人狼もまたエリーシャを見据えている。その目はエリーシャが知る誰のものよりも優しい色をしていた。

 人狼が革手袋の背を噛み、外した。毛皮の下から覗くのは人間の頬と顎だ。そして手袋の下から現れたのも人間の手だ。そこでようやく、人狼は狼の毛皮を頭から被った人間であるとエリーシャは気付いた。

「おいで」

 柔らかな声とともに差し出された手は、エリーシャのものよりも一回り以上大きく、そして温かかった。

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