魔術的掌編集

松本玲佳

琥珀色の龍

「琥珀色の龍のあざなんて見たことがない」

 聖が最初に口にした言葉だった。

 娘の由架が悲鳴をあげる度に聖は、ゆらゆらと揺れる暖炉の炎に薪をくべながら、「またか」と溜め息を吐く。もうこれで何度目になるだろう。由架がまだ赤子の頃、妻を病で亡くした聖は、男手ひとつで子育てをする大変さを日々かみしめていた。

 四歳となった由架は、いつもひとりで人形遊びをしていたのだが、時々家中に響き渡るほどの大声で「背中痛あい! 背中痛あい!」と泣き喚くのだった。

 その度に聖は町外れにある病院に電話をし、駆けつけた医者に由架の背中を診てもらった。

「異常ありませんね」

「いやしかし、激しく痛がってるじゃないですか! それに見たんですよ……娘の背中に琥珀色の龍のあざがあるのを!」

 医者は神妙な面持ちで聖の顔を眺めた。まるで、可笑しいのはあなたの方ですよ、とでも言わんばかりに。確かに医者が由架の背中を覗き込んでいる時は、龍のあざなんて何処にも見当たらなかった。聖は自分の気がちがったのかと頭を抱える。

 しかし、ひとりになった後再び見るのだ。由架の背中に琥珀色の龍が、泳いでいるように、はっきりと——。

 ある晩、不思議な夢を見た。聖が湖畔を静かに歩いていると、不意に湖の水位が上昇し、激しい耳鳴りが彼を襲った。水面を凝視すると、突然、神々しく輝く龍が現れたのである。

 ——我は警告しにやってきた。お主は常日頃から不必要な殺生を繰り返しているだろう。今すぐやめなければお主の来世に業となって現れる。それがこの世の理というものだ。

 妙なる声を聞いた聖の全身に鳥肌が立ちはじめる。龍を悪魔の使いと見なし猟銃を構える。厭な予感がしたのだが、もはや自分を止められなかった。龍の頭部に照準を合わせ、何度も何度も引き金を引いた。頭を撃ち抜かれた龍はざぶうんと大きな音を立てて湖の底へと沈んでいった。

 汗だくになって飛び起きた聖は、己の身体をまじまじと眺めた。さっきまでの夢があまりにもリアルだったので、息をつく間もなく心臓が激しく鼓動するのを感じた。手の中に握り締めていた猟銃の感触がまだ残り、龍を撃ち殺した瞬間の衝撃や罪悪感が今も鮮明に胸に迫るようだった。

 まだ夜中だったが、聖は家を飛び出し、龍神を祀る神社に足を踏み入れた。静寂が場を支配する中、社に向かって土下座をし、すがるように祈った。

 ——きっと私は前世で龍を殺しました……もうむやみに生き物を殺生したりいたしません……本当に申し訳ありませんでした……

 どれくらい時間が経過したのか分からない。気づけば周囲は陽の光に照らされ、鳥たちの囀りが朝を告げていた。

 その日から由架は泣き喚かなくなった。背中の痛みを訴えることもなく、無邪気に笑いながら人形遊びにふけっている。恐る恐る由架の上着を捲ってみると、琥珀色の龍のあざは完全に消えていた。聖はほっと胸を撫で下ろす。

「パパ、あたしママと話したの」唐突に由架が言った。

「ママと? 何を話したんだい?」

「ママは昔、龍だったんだって。かっこいいよね。あたしもいつか龍になりたい」

 由架のあどけない笑顔を見た聖は苦笑いをする。

 ふと仏壇に気配を感じたので、視線を妻の遺影に向けると、夢の中で見た龍の顔が重なっていた。

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