第7話 地方での一日

 地方の町で長期に滞在することとなり、朝と夕に魔物へ食事を運んでやっては時間を持て余す日が続いた。

 手持ちの金には余裕があるし、足りないならば役場から引き出せる。そのため遊ぼうと思えば遊べるものの、博打には興味が薄く賭場の賑やかな空気も嫌いで、朝から飲もうとすればコノエが止めるし、持ってきていた本で大人しく魔術の勉強をしつつ、式神で戯れるくらいしかすることがない。

 洛外での俺の長期滞在はいつもそんな感じである。


 朝、コノエが外で剣を振りに出て一人となった宿の一室で、上位の式神を行使出来ないものかと試みては失敗していると、ノックの音。エレナ達だろうか。日に一度は茶に誘われる。口には出さないが彼女もまた退屈しているのかもしれない。

 出てみたところ、そこには宿の従業員と、廊下の少し離れた場所に佇んでこちらを窺う知らない人物。若い男女で、女は赤子を抱いている。

 それで用件は察せられた。


「あちらの夫妻が貴方にお会いしたいと」


「分かった」と短く答えて、そのまま訪問者達に歩み寄った。


「魔力を確かめたいのかい?」


 旦那の方が答える。


「はい。一昨日生まれたばかりで。高名な先生が滞在してると聞いたものですから、是非お手を触れて確かめて頂きたいと。勿論、謝礼の方はこの通り」


 男が金の入っているのだろう巾着を差し出す。


「金は結構ですよ。ただ触れるだけですから」


 俺が高名だなどとどこで聞いたのか知らないが、その部分に一々謙遜するのも面倒なので反応はしないでおく。

 そのまま女の抱いている赤子に手を伸ばし、指先で頬に触れた。

 これで向こうに素質があれば魔力が伝わってくるし、赤ん坊も俺の魔力に不快感を示して泣き出すものだが、今回は至って静かなものである。


「普通の子ですね。魔力はありません」


「やはりそうですか。ありがとうございます。お礼の方は本当に、宜しいんですか?」


「ええ、構いません」


 そう告げると重ねて礼を言われ、そのまま夫妻は去っていった。元より大した期待はしていなかったのだろう。

 国は積極的に魔術の才能を持つ者を発掘しているわけではなく、大体はあのようにして親や本人が魔術師へ確認してもらいに行くことで発覚するらしい。どうして片っ端から新生児を調べて回らないのかと疑問に思い、シキへ尋ねた経験があるのだが、魔力があるとなれば強制的に都へ移住させられる法がある以上、魔力の有無まで強制的に調べて回るのは酷だという考えがあるらしい。才能の有無を知らないまま、地元で人生を終える選択肢も認めているそうだ。魔術を扱える人物が国の管理の外に存在するのを許せないこととの兼ね合いだろう。


 それに、もしそんなことをして人員の数へ劇的な変化があると、予算にも大きな影響が出てしまうといった危惧もあるそうだ。

 部屋に戻り、ソファに腰掛けて、再び式神の練習に戻る。

 それから昼頃になるとコノエが戻ってきて、一緒に食事へ出掛けることに。

 まだ足を踏み入れたことがなかった飯屋で食事。俺は兎に角肉の豊富なものが好みで、反対にコノエは小麦を使ったものや野菜の豊富な食事を好んでいた。これが洛中や沿岸部の町であれば、二人揃って海のものを食べることになる。

 濃い目の味付けで甘辛く仕上げられた料理を口にしていると、傍らから袖を引かれた。西洋系の子供が二人、俺を見上げている。見たところ姉妹らしい。妹の方はカゲヨシとそう変わらない年齢だろうか。


「どうした?」


 食事の手を止めないまま尋ねる。

 妹の方はじっと姉を見つめていて、俺の袖を引いたその姉の方は緊張しているのか、中々上手く言葉を紡げない様子だった。


「魔術でも見たいのかい?」


 まず思い当たるところを確かめる。滞在先で市井の子供から魔術を見せてと頼まれるのは珍しくない。

 ところが彼女は首を振る。


「あのね、わたしたちが魔法を仕えるか、確かめて欲しいの」


「ああ、成程」


 日に二度も立て続けというのは多くない。そもそも魔力の有無を確かめたければ医療など何かしらの役割のため町に駐在している魔術師に当たれば済むからだ。このくらいの規模の町であれば数人、そうした魔術師が期限付きで代わる代わる派遣されているはずである。

 先程の夫婦がそうした方面でなく俺を訪ねてきたのは単に、折角だからといった程度の話だろう。魔力のない人々からすると腕の立つ魔術師の方が、より確かな診断を下してくれるのではないかという思いがあるのは理解している。


「お父さんとお母さんは、どうせお金の無駄だから必要ないって言うの。でも……」


「金は要らないよ。さ、二人共手を出してご覧」


 素養を確かめてもらうにも謝礼を払うものと世間では認知されている。ただ触れるだけで分かるものを、せこい話と言いたくなるが、幸いにして色々と恵まれ、初期から比較的高給取りだった俺が他の魔術師達の金稼ぎを卑しむのも高慢過ぎるだろう。


「んー……残念だけど、二人共、魔術師は無理そうかな」


「……どうしても?」


「魔力がないと無理だね。魔術師になりたかったかい?」


「うん。都に行きたかった」


「魔術師以外でも手段はあるさ。そっちのお兄さんは魔剣士になって都に出てきた口だから、色々聞いてみたらどうだい?」


「まけんし?」


「俺みたいな魔術師と一緒に戦う人だよ」


 魔剣士は魔術師程には目立たない存在なので、五つにもならないだろう目の前の子供は知らなかったようだ。コノエへ彼女らを押し付けて俺自身は食事を続ける。

 姉の方は彼の説明を受けているうちにどんどん関心を強めていったようで熱心に聞いていたが、妹はそこまで関心がなかったか、話を良く理解出来なかったのか退屈そうにし始めて、こっそり姉の傍らを離れて俺の方に戻ってくる。

 それから子供らしく魔術が見たいとこっそりせびってきた。


 食事の手を少しだけ止めて、懐から依代を一つ取り出し、魔力を込めて手渡す。なんだろうといった様子で少女が紙を見つめているところで術を行使し、手の中のそれをずんぐりとした栗色の小動物へと変えてみせた。

 重さと驚きで、彼女はそれを取り落とす。取り落とされた不細工な小動物はいそいそと彼女の足下へ縋り付く。

「かわいい!」と、少女は喜びの声を上げた。

 周りの席で食事をしていた他の客も物珍しそうにそれを見ている。


 獣を操って店の内外を歩き回らせ、それにつられて少女もその後を付いていく。その姿を眺めながら俺はのんびりと食事を平らげ、少女はそのうち、鼻息を荒くした姉に手を引かれてこの町にある社へと向かっていった。

 コノエの話を聞いて触発され、まずは神様に祈るところから、となったらしい。

 俺が術を使うところを見ていなかったので、妹が遊んでいた獣はただ町に迷い込んだだけのものとしか思わなかった様子。妹自身はまたねとご機嫌でこちらに手を振っていた。


 食事が終わるとコノエに頼まれて稽古の相手。町外れに行き、俺が独力で使える最高の式神達を木剣の彼と戦わせ、昼下がりを過ごす。良くあることではあったが、食べた側からあれだけ動いて良く平気なものだといつも思う。

 いつの間にか子供を中心に町民が見物に立っており、そのうちにこの時間、俺達がここにいるだろうと把握しているエレナが訪れ、茶に誘われて稽古は幕を下ろした。

 彼女と彼女の魔剣士を交え茶と菓子を味わってから、役場へ行って食料を受け取り、狼の魔物へとそれを届ける。役人へ任せても良いのだが、何となく俺自身の手で続けている。魔物は大人しいものだった。


 それから宿に戻ってコノエと共に少し寛ぎ、夕飯の時間を迎える。利用しているのは町で一番の旅館であり、朝と夜は外に出ることなく食事を済ませていた。

 終わると俺は風呂場へ。コノエはどうしても人前で脱ぐことに抵抗があるようで、湯を貰って室内で身体を拭うだけにしている。

 のんびりと湯に浸かってから部屋に戻ると客人の姿があった。

 少女とその母親といったところか。どちらも金髪に青い瞳をしている。面識はない。身形はあまり良くないように見える。


「お客人です。先程お見えになって、娘の魔力を見て欲しいというので中でお待ち頂きました。宜しかったでしょうか」


 近寄ると、コノエが立ち上がってそう確認した。


「ああ、構わないが……」


「昼間は忙しかったようです」


 話を聞いて訝しげにした俺へと彼はそう補足するが、だからといって娘と二人だけでこんな時間に態々訪問するだろうか。明日以降でも良いだろうし、町には他にも駐在している魔術師がいるのに。


「お初にお目に掛かります、サコン様」


 ソファに腰を下ろしてコノエと並んで座ると、対面の母親らしき女が頭を下げて挨拶した。


「ご高名は予予聞き及んでおりました」


「そんな大層な者ではありませんが」


「お顔の左に傷のある、大層お強い魔術師がいらっしゃり、各地の恐ろしい魔物を次々に退治していると評判です」


 どうやら傷痕の特徴のせいで噂が立ちやすいようだ。簡単な風貌程度の情報から、容易に同一人物と特定出来てしまう。悪いことではないけれど。それにしても一介の町民にまで知られているのは意外だった。


「まあ、良いでしょう。用件は魔力の確認ですね?」


「はい。本人がきちんと自分の意志で決められるようになるまではと、これまで確認は控えてきたのですけれど、そろそろ良いかと思いまして。娘も、出来ることなら都に上りたいと言うものですから」


「こういう話は今日三度目ですね。ここの魔術師では頼りになりませんでしたか」


「いえ、滅相もございません。他の方々のことは存じませんけれど、私としましては折角の機会ですから、名のある方に見てもらいたい、と」


「成程。じゃあ、手を出して。金は要りませんからね」


 それまで黙っていた娘の方にそう呼び掛けて、差し出された手を取る。今回も何も伝わってこない。


「至って普通の人間ですね。魔力はありません」


 俺としては、この話はこれで終わりと思ったのだが、母親は意外な形で食い下がってきた。


「娘は、どうにか都へ上がれませんか?」


「魔力がないのですから、魔術師は無理でしょう」


「ああ、では、もう私のようにこの土地で貧苦に喘ぎながら暮らすしかないのですね……」


「それを俺に言われても」


「主人が病でこの世を去り、身をひさぎながら女手一つでこの子を育てて参りましたが、それが結局私のような人生を歩むのかと思うと」


 おい、何か様子が変だぞこのババアと、部屋に招き入れた本人を横目に窺うと、こちらは女の話を正面から受け止めて沈痛な表情になっているようだった。

 俺からするとただただ不審なのだが。

 貧困を嘆いて空涙を流されても、俺に出来る取り計らいなどない。


「少し大袈裟ではないですか? 娘さんは随分美人なようですし、とても若い。どこかの良い男を捕まえて、普通に嫁げば良いでしょう」


 止めてくれないかなと思って娘の方を見たが、本人は只管俯いてしまっていて、期待出来そうになかった。


「それも難しいのです。裕福な家など自分達で縁戚を結んでいて、私共のような貧民の割って入る隙きはありませんし、そこらの若い男では……。この町の若者は貧しいです。年々、貧しくなっているように思います。職にあぶれる者は少しずつ増えていて、治安も悪化するばかりです。普通の男と結ばれてこの町で暮らしたのではもう、私は娘の行く末に安心出来ません」


「……つまり、何がお望みなのですか? 俺は空涙よりも真っ黒な本音をぶつけられる方が好きですよ?」


 すると、女の動きがぴたりと止まる。おずおずと様子を窺うように俺を見て、どうやら本当に単刀直入な申し出をした方が良さそうだと判断したのか、簡潔な要求を口にする。


「娘を差し上げます。愛人でも都合の良い使用人でも構いません。何でもさせます。ご用命であれば私も働きます。代わりに私共を都に連れ出して、生活の面倒を見て頂けませんか? 私の稼ぎも年々悪くなるばかりですし、娘に同じ仕事をさせたくもないのですが、何より貧乏が嫌なのです」


 中々興味深い話題になってきたなと、娘の顔を覗き込む。いつかタダツグが話していた「私を都に連れてって」の亜種か。まさか町中で意図して女性に近寄るでもなく、宿泊している宿の一室まで唐突に乗り込んでくるとは思いもしなかった。


「我が子ながら顔立ちも整っていますし、この通り大人しくて従順な娘です。どうでしょうか?」


「……悪くない話な気もしますけど」


「娘はまだ全くの手付かずですし、側に置くには悪くないと思うのです。どうか、貧しい庶民を助けるおつもりで」


 貧乏が我慢ならないので、娘を、何なら自分まで俺に売りつけてでも都に出て、生活を保証されたい。

 こういう親もいるのだな。


「お二人の名前は?」


「娘はメリア、私はデニスと申します」


「メリアさんも納得してる? 面白そうな話だし、それなら引き受けようと思うんだけど」


 娘が頷き、頼りない声で返事をしたことで、この降って湧いた興味深い交渉は纏まった。

 人を買うというのは中々、面白い感覚である。癖になるかもしれない。


「ああ、ありがとうございます! 長らく抱えてきた不安から解放されるようです!」


 デニスが安堵して喜ぶ一方、俺の横ではコノエが何とも言えない表情になってしまっている。


「そろそろまともな屋敷を構えようかと思ってたところなんだ。子供も増えるしね。その使用人に地方の若い女を連れてきたってバチは当たらないだろう?」


「仰っしゃる通りかと思います」


「何かあるなら率直に言ってくれて構わない。別に君がこうした取り引きを好ましく思わないというのなら、俺は取り下げても良いんだ」


「異論があるわけではないのです。ただ、市井の貧困について少々、考えてしまっただけで」


「君は真面目だな。俺は他人の不運まで考える気にはなれないよ」


 むしろ今回のように、自分が相対的に有利に立ち回れると嬉しく感じる部分がないでもない。

 メリアを殊更酷く扱うつもりもないし、先程コノエに話した通り、マヤとその子供達を連れて洛中の少し広い屋敷にでも引っ越し、二人にはその使用人として働いてもらうつもりだ。娘の方には当然、愛人の役割も期待している。西洋系の女とはこれまで無縁だったので楽しみだ。

 一応、他所の女と勝手に関係を持つ前に、タチバナの面々には確認を取らねばならないが。

 マヤは多分、怒らない気がする。


「裕福とまでは言いませんけれど、貧しくないくらいの生活は保証しますよ。代わりに都に戻ったら親子二人で働いてもらいますからね」


「勿論です。……えと、それで、今夜はどうしましょうか」


「今日はお帰り願いましょう。俺の方で関係を持つ前に、顔色を窺わなければならない相手もいるもので。家まで送りますよ」


 そうして席を立ち、コノエも一緒になって四人で彼女らの家まで向かい、母親の言葉通り如何にも貧しそうなそこへ二人を届けてから、二人きりで夜道を戻る。

 夜の町はちょっとだけ賑やかで、客引きをしている女の姿もあった。


「物心付いた頃からずっと不景気だと言われて育ちましたし、僕が生まれるよりもずっと以前からそうだったと聞きますけど、いつか良くなったりするのでしょうか」


「分からないね。そう劇的に変わるものでもないんじゃないか?」


 そうした光景を眺めながら、コノエが呟く。


「サコン様はあの親子を、どうして受け入れました? 哀れみですか?」


「そうした感情はないな。単純に面白そうだった。人を買うっていうのも、自分の使用人を持ってみるっていうのも。メリアは、少なくとも見た目は良い女だったし、そういう性欲的な部分もある。それと――」


 空涙を止めた際の母親、デニスの姿を思い出す。


「娘を売っぱらってでも貧乏は嫌だって根性が良かった」


「……不要な心配かと思いますが、使用人として働かせるのなら、あの母親は止しておいた方が良い予感がします」


「おっ? 君にしては珍しく辛辣な台詞が出たな」


「初対面の余所者へ娘を売ろうとする親ですから。金銭の管理など以ての外ですし……これは本当なら僕が口出しすべきことではないのでしょうけど、近くに置いてはカゲヨシ君にも良くない影響があるのではないかと心配で」


「…………母親の方は適当に遊ばせとくか? 屋敷のアイディアはどうかな? 俺としては前から大分悩んでたんだけど」


「正直、サコン様の身分にあの小屋では不相応ですし、そちらについては良い機会かと」


「そうだよな。今の小屋も離れ難くはあるけど、流石にガキが三人、四人とかになったら窮屈過ぎる。今のうちに引っ越しちまうか」


 それから通り掛かった酒場がふと目に付いた。


「折角表に出たんだし、少し飲んでいこう」


 コノエにそう声を掛け中に入っていく。

 そこでつい深酒してしまい、彼に支えられながら宿へと帰って、俺の一日は終わった。

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