第31話 魔物

 今回の仕事先はこれまでで最も遠方で、大陸の南西まで向かう必要があって、そのためにアキミツが選択した移動手段は海路だった。生まれて初めての船旅である。コノエは少しだけ経験があるらしい。


 沿岸の景色を遠くに眺めながらゆったり構えているだけの旅路は当初、快適なものに思えたが、直ぐに船酔いというものを経験し、一時苦痛を味わう。幸いにして直ぐに慣れた。大陸の南東、南部で港町に寄港しながら快晴の下、順調に航海は進んで、南西にある港で下船する。これまでで最も規模が小さく人の少ない港だった。


「やっぱり西は人が少ないんだな」


「サコン様も内陸だけど、西側出身でしたよね」


「俺のとこは何もない農村だったから、西だろうと東だろうと人が少ないのも納得なんだけど、何となく、西部でも港くらいは活気があるんじゃないかと想像してた」


「南部や東部に比べれば確かに見劣りしますけれど、この地も南西の中ではまだ活気のある方なのだと思いますよ」


「まあ、そうなんだろう」


「これから向かうのはここから更に北西にある村落でしたよね」


「そこから北には村がないっていう僻地な。故郷を思い出すよ」


 大陸西部に存在する火山を取り巻く、魔物達が跋扈する広大な樹海と人間が暮らす世界の境界。ノイルと同じ条件にある村が目的地らしい。

 そういう話をアキミツから聞かされた今となっては、こう思う。


「俺が村を出る直前くらいに、近くの森に見上げるくらいの巨体をした銀色の犬が現れてさ。特にそれを思い出す」


「今回も実際に、それくらいのものが出てきてもおかしくない、と。因みにその魔物はどうなりましたか」


「人里への害はないみたいで、村長の手紙によるとそのまま居座ってるらしい」


 見習いが明けたばかりの時期に、村へ向けて手紙を書いたことがあった。村長とのやり取りになったのは俺の一家が読み書きを出来ないためである。仕事で洛中を留守にしている間に返信が来て、家族と村の近況について知らされ、その中にあの魔物のことも少しだけ書いてあったのだ。


「敵意がなかったのは幸運でしたね」


「そうだな。丁度、同時期にエデン様が村に訪れてたし、碌でもない想像だが、あの魔物と衝突してたらどうなってたのかなって思うよ」


 そこまで話していると港にある役場へ馬車を用立てに行っていたアキミツが、供回りと共に戻ってきた。

「全員は乗れそうにない」と、一頭立ての簡素なそれを見て呟く。


「何人かは徒歩でしょうね。僕も歩きましょう」


「流石に俺が下りるわけにはいかないだろうな」


「いかないですね」


 そのようにやり取りしながら彼らの方へとこちらからも向かっていったところ、アキミツから余分な供回りはここに置いて最低限の面子、俺とコノエ、アキミツと彼の魔剣士のみで現場へ赴くことにしようと告げられる。

 アキミツの魔剣士が御者台に乗り、アキミツ、俺、コノエの順で乗り込んだ。


「これ一台しか用意出来ませんでした。狭いですがご容赦下さい」


「構いませんよ。それより村までは近いのですか?」


「日没まで余裕を持って到着出来そうです」


「ならば今日中に決着でしょうね」


 馬車が出発し、それに揺られる中、懐から一枚の紙片を取り出す。


「村の大凡の方角は分かりますか?」


「あちらだそうです」


「では少し様子を見てみましょう」


 紙片が鳶に変わり、指し示された方向へと飛び去っていく。


「式神ですか。噂に聞いてましたがそれ程まで安々と使いこなすのですね」


「噂?」


「大分前のことになりますけれど、演習場で二頭の虎を巧みに操ってお供の魔剣士と戯れていた魔術師がいた、と」


「正確には虎二頭と猫一匹です。……いえ、すみません。術に気が行っていて。些細な違いですよね。あの時は形代へ可能な限りの書き込みによる補助をしていたので、初心者ながらあそこまで操れました」


「今お使いになられた形代には、何も書かれていなかったようですが」


「練習の成果です。洛外の旅が多い生活をしていると、馬車の中や夜の宿で暇ですからね」


「それでも半年でそこまで習熟出来る辺り、サコン殿の勤勉さが伝わります」


 そうでしょうかと返すと、謙虚ですねと言われてしまう。謙遜のつもりはなかったが、それを突っ撥ねても心象が悪かろう。


「あの鳶とは視界の共有が出来ているのですよね」


「はい。一足先に敵の姿を拝んでおこうかと。今日は風が穏やかなので空も飛びやすいようです」


「不勉強な質問と思って笑わないで頂きたいのですけれど、視覚以外も共有を?」


「通常はそうしています。今回は視覚だけですが」


「えっ」


 と声を上げたのはコノエだった。アキミツの視線がそちらを向く。「いえ、すみません。気にしないで下さい」と彼は首を振り、そういえば彼にはその辺りについて説明していなかったなと今更になって思い出した。


「彼には時折、子犬や子猫の式神を用意して貸し与えてきましたからね。色々伝わっていたと思って焦ったのでしょう。君が戯れてきた式神とは感覚を共有していなかったから、安心してくれ」


 説明を受けてコノエは安堵したようだった。

 少し時間が経過して、鳶が村落と人々の姿を捉える。もう少し俺の知識が増えて術が達者になればこのまま鳶を介して村人から魔物の居場所を聞き出すことも出来るはずなのだが、今は村の近辺を闇雲に探し回ることしか出来ない。


 山の中で木々に隠れていたら探すのが面倒だなと思いつつ村の奥へ進むと、それはいた。

 山の麓で黒い毛並みをした筋骨隆々の猿が寝そべっている。村からかなり近い。

 村人達はこんな状況下でも村に留まっているようだったが、害意のない魔物なのだろうか。それにしては魔術師を返り討ちにしたようだし、魔物の傍らには恐らく家畜だったものの死骸が複数転がっている。


 率先して人を襲うわけではないが、少々無理な負担の供物を要求してくる。そういう類だろうと結論付けた。

 近寄って地面に着地し様子を見ていると、魔物はむくりと起き上がる。

 その視線が直後にこちらを向く。


 手近にあった獣の骨が投げつけられ、空に飛び上がってどうにか回避した。

 式神は村の手前に移動させ、そこで待機させておく。

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