第19話 怒り

 魔術師の正装というのは幾つか存在して、シキが俺に用意してくれたのは和装、東洋系の衣装だった。別段、俺が東洋系の人間だから和装を纏わなければならないわけではなく、アリサのようにローブでも良かったのだが、着物に羽織という衣装に関心があったのでこの選択は嬉しかった。

 洛外へ赴く際は正装でなければならないため、以後、学院の寮に帰るまではずっと和装だ。


 現場へは学院に備えられている馬車で向かうことになった。同行者はアリサとシキに伝えられていたが、実際には更にヘレナと二人の侍女が同行するようだった。アリサは貴族の女であるし、そのための護衛と身辺の世話かと思ったのだが、侍女の一人はどうやら俺に充てがうために連れてきたようだった。

 侍女のうち一人は年配の人物で、こちらはアリサの傍にヘレナと共に控えており、もう一人は若く顔立ちの整った女で、常に俺へと同行してきた。マヤという東洋系の人物だ。タチバナの屋敷にいる侍女は殆ど東洋系である。


 日中の殆どはアリサと共に馬車で揺られているだけで、大体の時間は五人揃っての移動だった。

 馬車は町から町へと移動していき、夕刻近くからは町中で過ごすことになるのだが、アリサから自由を与えられ町中を散策する際、彼女は物静かに俺へ同行していた。

 一目で魔術師と分かる出で立ちに、傍へ控えている侍女。注意を引きやすい状態で町中を歩くことに落ち着かなさはあったが仕方ない。少なくとも魔術師としての注目はこれからも続くものだ。良く周りの視線を観察すると顔の傷も目を引いているらしい。服装に気を取られて見逃してくれても良いだろうにと思った。


 宿ではマヤと同室だった。どうして会って間もない若い女と同室なのかと戸惑ったが、その意味は初日の夜、宿を抜け出して一人、飲み屋へ行ってみようとした際に明らかとなった。

 俺はタダツグの言っていた、魔術師はモテるという話を検証することをこの旅が決まってから内心決意していた。彼のように安易に肉体関係を結んでみようとは思っていなかったが、モテるという状態に関心はあって味わえるなら味わってみたかったし、結局の所、出会いの数をこなさなければ腹を決めて関係を持つべき女性も見つからない。目付きの悪い傷物とはいえ身分も手に入ったのだし、一人くらいそういう相手が見つかっても良いだろう。


 しかしながら俺が単身外出する旨を彼女へ伝えたところ、シキからの命令でそれは許されないと止められた。翌日の出発も早いのだし、何よりタチバナを支える魔術師として相応しい振る舞いをするようにとのことだった。

 要するに、彼女は監視役だ。

 主のような相手であるタチバナが慎めと言うのなら、俺に異論はなかった。

 その話の後、マヤが自分になら手を出しても良いと告げてきたのはどういう意図だったのか。夜毎、普段は後ろで結っている髪を下ろした彼女を見る度に考える。その言葉通りそのまま関係を持ってしまえば良かったと思わないこともないが、それこそ軽率というものだ。


 日々悶々としながら旅路が進んで目的地に到着すると、そこは閑散とした村落だった。村長に迎えられ、エデンが魔物を屠った現場へ案内されると山との境に辿り着く。

 現場は焼け野原だった。

 広範囲に渡って草木が消失している。山の斜面も一部が禿げ上がってしまっており、焦げた木の幹だけが残っていた。


 麓に大きく土の盛られた場所があって、そこに魔物の死体があるのだろう。ノイルの山奥で感じたのと似通った感覚がする。しかしながらこちらの方がより重々しく禍々しい。きっと、祟り神としての格が違うのだ。高名な魔術師が撃退に留められず討伐した相手なのだから、強く、気性の荒い霊魂に違いない。

 さて、それでは仕事に取り掛かろうかとなって最初に問題となったのは、建立すべき社の大きさだった。これについては書籍から学ぶにも限界があって、どのくらいの祟り神にどの程度の社が必要なのかという相場観は現場で修得するしかない。


 アリサに尋ねたところで村長から、建築や資材に関する指図自体は既に受けている旨を知らされた。人手と物資の用意は村内で整っており、魔術師が来るまでの間は危険なため作業に着手せず、現場に近寄らないようにと言われていたらしい。俺が祭祀を行い次第、直ぐに建設へ着手出来るようだ。

 持参した道具を塚の前に並べ儀式の準備を整えている間、村長にエデンが置いていったはずの太刀を持ってきてもらう。祭祀に使う道具に太刀も含まれるのだが、それは現地に置いていくと手紙に書いてあった。

 準備が終わり、村長が太刀を持って戻ってくる。受け取るとエデンが込めた魔力が伝わってきた。


 本来ならばここで魔力が空の太刀に俺が自分で魔力を込め、空を薙いで怨霊を斬り付ける手順が入るのだが、それはエデンが済ませているので必要ないだろう。太刀を掲げて目の前の祟り神へ語りかけてから、祝詞を捧げる。

 怨霊を落ち着かせる手段は二つあった。


 一つは魔力を込めた武器で霊魂を攻撃したり、ノイルの山奥、ダリ達が仕留めた魔物の霊へ犬の魔物がしたように、咆哮で威圧したりと、霊を恐怖で萎縮させようというもの。

 もう一つは供物と祝詞を捧げてその魂を落ち着けるもの。こちらは要するにご機嫌取りである。


 祟り神への祭祀はこの両輪を以て行われるもので、先程俺が太刀を掲げて語りかけたのは威圧、こうして祈っているのは慰め。社を建てて祀ってやるのも慰めの最たるものなのだが、同時にそこへは太刀も奉納されるので威圧の意味もなくはない。両者が十分に行われればやがて魂は鎮まっていき、太刀を振るう術者の力が足りないだとか、祭祀を行う術者の力が弱いだとか、不足があるといつまでも治まらないそうだ。

 今回の霊魂は中々強いのではないかと思える相手だったが、俺が知っている他の事例はノイルでの一件くらいで、あれは恐らくかなり弱い部類であり、他に知っている祟り神は皆、既に鎮められて気配の穏やかになったものばかりなので、判断は全く当てにならない。

 何にせよ、多分上手く行くだろう。


 そう高を括って始めた祈りだったが、あまり祟り神の側に反応が見られない気がする。些か雲行きの怪しさを感じながら手順を進めていくうちに儀式が終わってしまったが、あまり変化は見られない。

 こういう場合には一先ず繰り返せと、書には書いてあった。一度で上手く行かないことも普通であると聞いている。

 二度、三度と繰り返し、四度目に入ったところで背後からアリサの声。「私達は向こうで待ってるね」と言われ、正面を向いて祝詞を上げながら頷いて答えると立ち去る足音がした。時間が掛かると判断されたようだ。


 五回の祈りがほぼほぼ虚しく終わって、六度目の祈りのために再び太刀を掲げると、その手元に違和感。

 穢れが纏わりついてきた。


 不快感に眉をしかめて立ち上がり、塚へと更に近寄って、太刀を引き抜く。鞘は地面に投げ捨てて、塚に向かって虚空を薙いだ。周囲の怨念が瞬時に弱まる。

 どうやら足りなかったのは慰めではなく脅しだったらしい。

 鞘に太刀を戻し、再度儀式を行う。今度こそ大丈夫だろう。


 そう思ったのだが祝詞を上げている傍からまた、周囲の怨念が強まっていった。良い加減気を静めてくれと、精一杯の誠意を込めて言葉を唱える。

 それでも駄目そうならば、やり方を変えてみるという手もあった。他にも怨霊を抑えるための手段はある。例えば俺と結び付きの強い、太陽や魔王、金毛といった他の神に頼み、神の力によって無理やり押さえつけるやり方だ。


 ただ、素直に気を落ち着けてもらい、土地の神様になってもらうのが最も良い方法なので、現状のやり方が第一である。

 七度目の祈りの最中にはもう、祟り神はすっかり勢いを取り戻していた。


 ある瞬間、先程は指先からこそこそと這いずるようにして伝わってきて穢れが、地面から湧き上がるように生じて全身を包む。

 自らの死を受け入れられない怨念の、ありったけの抵抗なのだろう。


 そのように冷静に考える一方で、俺は衝動的に太刀を手に取り、再び抜刀していた。落ち着くべきだと思い直し、深く呼吸をしながら片手で身体をバタバタと叩いて穢れを追い払っていたが、その結果生じたのは例え拙かろうとやってやるという、断固とした意志だった。

 足元の祭祀道具一式を蹴り飛ばすようにして脇に退け、ずんずんと塚に歩み寄って太刀を振るう。今度は空を薙ぐのではなく塚へと直接に叩き込んだ。魔力の籠もった刀身が土の山を割る。土は最低限死体を隠せる程度に盛られていたようで、表面のそれが崩れて中身の一部が顕になった。振るった刃は死体にまで届いていたようで傷が付いている。


 死体を辱められたことで霊が怒ったのか更に強く俺の身体を穢れが包んだが、そうすると俺の中の衝動も強まって、死体を何度も蹴りつける。蹴る度に身体から穢れが離れ、それからまた穢れが俺の身体を包む。

 一度塚を斬り付けたことによりエデンの魔力が消え失せてしまった太刀へと俺自身の魔力を込めて魔物に振るい、それからまた蹴りつける。太刀と蹴りによる攻めを繰り返し、すっかり死体の見えている部分がずたずたになった頃、穢れが身体から消え去っていることに気が付いて俺は一息ついた。


「もう一回祈ってやる。次こそ気を静めろよ」


 荒い息を整えながらそう言い放って、俺は塚を元に戻すためのシャベルを借りに、遠くでこちらを窺う一団の下へ向かった。

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