第11話 タチバナ
「思ったより早かったな」
「そう? むしろ意外と掛かった気がする」
見習いとしての暮らしが始まってから一月、読み書きについて十分な水準に達したと判断された俺とタダツグは、それぞれ見習いの第一段階を終えたことへの感慨を口にしながら寮を出たところだった。俺自身は村にいた時点である程度の読み書きを覚えていたし、タダツグも流石都育ちということなのか、凡そその点について身に付けていたのだが、それでも揃って修了まで一ヶ月を要したのだった。
読み書きと言いつつ実際は計算まで含まれていて、そこまでは良かったのだが、字が汚いと言われて念入りに指導が入ったのは大変だった。読めれば良いだろうとしか思えなかったのだが、祭祀の際や魔法陣を描く場合等、魔術師には一定の達筆さが求められる局面が少なくないと分かると、矯正せざるを得なかった。
昨日までは文字の読めない見習いが一堂に集められて字を習うための建物に足を運んでいたのだが、今日はこれから事務局を訪問して今後の指導員を確認しなければならない。
見習いとしての第二段階、祭祀の勉強はこれまでのように見習いを一箇所に集めて行われるのではなく、特定の魔術師が代わる代わる指導員に付いて行うらしい。都で祭祀を担当している魔術師を手伝ったり、地方での祭祀へ向かう魔術師に同行したりして実践的に習っていくものになるそうだ。
「どういう人が担当になるんだろ」
「優しい人から厳しい人までピンキリらしいね。能力的には標準の人が多いらしいけど。歳は大体年配だって」
タダツグは俺よりもずっと他の見習いとの交流が盛んで、色々と話を仕入れていた。
事務局に辿り着き中へ入る。局員に声を掛けて説明すると局の隅にある席を指して、そこで待っているように告げられた。
緊張のためか、二人して口数少なく待っていると、そのうちに着物姿の老紳士がこちらへやって来た。
「タダツグ君はどちらかね?」
「僕です」
老紳士はタダツグへ軽く自己紹介すると、彼を伴って去っていく。
一人残された俺はその場で自身の指導員となる魔術師を待ち続けたが、それがこの場に現れることはなかった。
先祖の墓の前に跪き、私は祈っていた。今度こそ上手く行きますように。
今日は姉が新たに弟子を取る日である。他の魔術師からの紹介によって前々から目を付けていた見習いが昨日、識字の段階を終えたと報告があったのだ。前もって事務局へ、読み書きを覚えた後、サコンは当家のアリサが面倒を見ると告げて指導員の座を確保してあった。通常ならば代わる代わる色々な指導員の下を移動することになるのだが、彼については終始、当家で指導することになる。
貴族が有望株を自らの弟子として指導し、自家の影響下に置こうと考えるのは珍しいことではない。サコンは占いで強い運気が示されているため他にも目を付けている貴族はいたようだったが、いち早く彼の存在を教えてくれたエデンのお陰で押さえることが出来た。
相手は非常に魔力が強いらしい。彼がそう認めるのならば相当なのだろう。
姉のアリサはこれまでにも何人か弟子を迎えたことがあったのだが、いずれも気に入らなかったようで追い出してしまっていた。今回こそはそのように終わらないと良いのだが。
建国から続く貴族の一門、タチバナ、その落ち目を支える当主として、先祖達に祈らずにはいられなかった。一族を無事に次世代へと引き継ぐため、何としても強い魔術師が必要である。
「兄さん」
廟に籠もって祈っていたところへ背後から声が掛けられた。四つ下、十四歳の妹、ケイだ。執務そっちのけでいつまでもここで跪いているものだから迎えに来たのかもしれない。
そのくらいに考えていたのだが、甘かった。
「姉さん、お部屋で自分のお仕事してるけど、大丈夫?」
「…………一人でかい? 他に誰かいなかった?」
「いなかった」
それを聞いて立ち上がり、霊廟を後にする。急いで家の中に入り、姉の部屋へと向かった。既に、相手の見習いを迎えているはずの時間である。
ノックし、返事を待って入室すると、姉は薄着で床へ座り込み、杖作りに励んでいた。
生気に欠けたぼんやりとした目が見つめ返してくる。
「今日は新しい見習いを迎える日だったと思うけど」
「行かなきゃ駄目?」
「……うん」
「…………私、向いてないと思うな、そういうの」
本当にやりたくないのだろうなと伝わってくる雰囲気だったが、こちらとしても一族のため、姉にも頑張ってもらわなければならない。向いてなさそうだというのには、同意するけれど。
「言いたくないけど、ケイの方が向いてるんじゃない?」
「……そうだけど、少し早いと思う」
「そうだよね」と言って、姉は溜め息を吐いた。
「でも、態々エデンさんが紹介してくれた人なんでしょ? 私多分、また上手くやれないよ?」
「そのときこそ仕方ないから、ケイに交代してもらおう。もしもの場合には私も参加するから」
「シキも?」
とても意外そうな表情だった。
「無理に予定を調整すれば、何とかならないこともないから。だからまずは一度、姉さんが担当してみてくれないかな」
「…………分かった」
どうにか姉から妥協を引き出して、それから着替えるように促す。男へ見せるには少々薄着過ぎだ。
「もう大分待たせてしまっているだろうし、迎えは私が行ってくるよ」
「うん、お願い」
それから使用人達に断って、一人家を出た。敷地から学院の正門までは近く、それに真昼中だ。供はいらない。使用人の中には自分が迎えにと申し出る者もあったが、これだけ大幅に待たせた挙げ句、侍女の一人を迎えに寄越した若年ばかりの貴族一家とあっては相手の心象が悪すぎる。当主の私自身が出向いて誠意を示す必要があった。
貴族が弟子を取り、平民の魔術師を影響下に置くというのはあくまでも師弟として情を結ぶという意味で行われるものだ。俸禄は国から直接支給されるし、何かこちらから命令を出したとして、見習いを終えた後まで相手の魔術師が従う義務自体は存在しない。
まして今回、私達一家は特別に信頼の置ける相手でなければ任せられない役割を担える存在を期待しているわけなので、一切手は抜けなかった。
急ぎ足で学院の門を潜り、正面の道を進んで事務局へ向かう。
中に入り局員の一人を捕まえてサコンという見習いがいないか問うと、局の一角を指し示された。礼を言ってそちらに進む。
強烈な容姿の持ち主がそこにいた。
「君がサコンかい?」
相手は座っていた席を立ち、肯定する。背丈は私よりも少し高かった。
「タチバナ家当主のシキだ。今日から君の師となるアリサの弟になる。少し問題があって迎えが遅れたことと、姉が直接迎えに来れなかったことを謝罪する」
「お気になさらないで下さい。それよりも、その……不躾な質問なのですが、つまり、貴族の方ですか?」
「ああ、そうなる」
答えを聞いた相手は目を丸くしており、かなり驚いた様子。向こうからすれば、いきなり貴族の下で指導を受けることに戸惑うのだろう。
一気に緊張した様子の男の容姿をじっと観察する。だらりとした前髪で隠された顔の左半分はどうやら傷痕があるようで、丁寧に頼んで見せてもらうとやはりあまり見栄えの良い状態ではなかった。髪に隠れず顕となっている右目はとても目付きが悪く、お世辞にも愛想の良さそうな人物には思えない。
とはいえ顔面の無傷な部分だけ見れば、顔立ちは割と精悍なものに感じられる。
表面上、男として通している自分が他の男性をこのような目で見るのは良くないと思いつつ、悪くないなという印象を抱いてしまった。
今まで迎えてきた見習い達とは大きく雰囲気の異なる男に感じられるが、姉は気に入ってくれるだろうか。これまでは比較的無難というか、地方都市出身の柔和そうな者ばかりだった。
「すまないね、待たせた挙げ句、じろじろと観察してしまって。傷はあるけれど、でも男らしくて良い顔立ちじゃないか」
「そうでしょうか?」
「ああ。さて、それじゃあ付いておいで」
屋敷に向け、歩き出した。
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