戦国武将の言うことには

和乃鴎

第1話「雪が野原を埋めていても、老いた馬は、道を知っているものだ」                              源義経~一ノ谷の合戦を前に~

平家討伐に向かった源義経は、1184年3月20日に一ノ谷の合戦の舞台となる摂津国福原(兵庫県南東部)を目指していた。

迂回進撃を続ける義経は、後の世に「鵯越の逆落とし」(ひよどりごえのさかおとし)として伝えられる鵯に向かう難路をわずか七十騎ほどの兵で向かっていた。

折しもその朝は、大雪。地元の民でも見誤るほどのただ一面の銀世界に先を急ぐ兵たちは、進路を絶たれ途方に暮れていた。機転を利かせた武蔵坊弁慶が土地の年老いた猟師に道案内をするようにと、連れてきた。

兵たちは、年老いた猟師の姿を見て侮り「こんな汚い爺に何ができるものか!」と侮蔑の言葉を吐いた。

年老いた猟師は、それに臆せず静かに義経にひれ伏し義経の言葉を待っていた。

義経は、年老いた猟師の肩に鹿の毛がしっかり詰められた手刺の甲手を置きゆるやかに言った。

「歳を取るのは誰もが行く道。臆することはない。どうか、頼みたい。この目の前の雪原を進み、目的の地に導く案内は、おまえにしかできないのだ」

猟師は、義経のその言葉に拝礼し、立ち上がると空を読み、風を噛み、鳥と話し、樹木の声に耳を傾け、瞬時に道を指し示した。そしてまるでついでのようにこの後の天気を占い、義経にこう告げた。

「目的の地に行くには、ここしかございません。ただまっすぐにお進み下さい」

義経はこの言葉に天啓を聞く。

そして老いた猟師を大層気に入り目的の地で共に大志を遂げようと手を差し伸べた。

しかし老いた猟師は、義経の前に静かにひれ伏し丁寧に辞退した。

「老いたる身でありながら、ご尊顔を拝むこと以上にご無礼なことがありましょうや。

しかしながら、ここで出会いましたのも何かの縁。もしも赦されますれば、我が息子をお連れ願いたい。

息子は、鹿追が得意なだけの猟師でございますが、この老いぼれよりかは、目も耳も加えて足も、確かでございます故」

老いた猟師は、こう言って屋敷から飼っていた若い馬と老いた馬、そして息子を義経に差し出した。

義経は、この言葉に老いた猟師の人格を慮り、その息子を戦に同行させることにした。

義経は、あえて老いた馬にまたがると、言った。

「雪が野原を埋めていても、老いた馬は、道を知っているものだ」

こうして雪原の先陣を切って義経は駆けだした。

果たして、息子は、この父の言葉以上の働きで義経を一の谷の戦いで勝利へと導く郎党となった。


~私見~

この言葉は、高齢を励ます言葉として脚光を浴び今に至るわけだが、その言葉の真理は、他にある。

もしも義経の誘いを老いた猟師が受けていたらどうなっていただろうか。

あの有名な一ノ谷の合戦の前の「鵯越の逆落とし」は、鹿追の猟師であった息子があればこその見せ場である。断崖絶壁の岩場を馬で駆け下りるなど老いた猟師にできる技ではない(もちろん若くてもできないが)。

老いた猟師は、知っていたのだ。

「過ぎたるは猶、及ばざるがごとし」

何でもやり過ぎると言うことは、やりたりないことと同じように良くない。

歳を取ったら誰しも心に刻みたい言葉である。

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