悪役令嬢、うっかり入った混浴風呂で老婆の背中を流す。その姿を見られた時……許嫁になった
カズサノスケ
第1話
「これより王立セントヘレナ学院恒例の強化合宿が始まりますわ! 騎士を目指す諸君、この地獄から生きて還ろうものなら恥、恥、恥辱の極。その様な不心得者は私が命を奪って差し上げますから覚悟なさい。おっほっほっ!!」
壇上に仁王立ちし口元を羽根扇子で隠しながら皆の姿を見下ろす。居並ぶ約200人の中には頭を抱えてうなだれる者、見るからに顔色の悪くなる者が出始めた。どんより曇った空の様に重い空気が立ち込めている一団の中には隣同士で私への不平不満をこそこそとやり取りする者もいる。
「相変わらず無茶苦茶だな……、ベルジット生徒会長は」
「転生した魔王だって噂は本当かもしれないぞ」
(ほんと、愚かな人達ね。私が精霊術をSランクまで修得しているのを忘れるだなんて)
私と契約した精霊たちは彼らが居並ぶ列の間を飛び回って聞き耳を立てている。魔力探知を遮断する術式を施してあるから静かなる密告者の存在に気付ける者はいない。少なくとも学院生の中には。
「こら、そこの下から成績順位を数えた方が早い2人! 私のどこが魔王なのかしら?」
「ひぃぃぃ~~~~!」
「あなた達に特別プレゼントよ! 全ての合宿特訓メニューを3割増しにしてあげるわね」
不届きな男子生徒をいつも通りに成敗する。問題なのはこういうハッキりと歯向かってくる様な輩ではない。気が付けば鋭い視線を突き刺してくるあいつ、それでいて笑顔を浮かべているあいつ。どこか私を値踏みしている様なあいつ。
(あの転入生は何なのかしら?)
1月ほど前にやって来たラルスとか言う男子。成績は中の上程度、厚い眼鏡をかけた上にそこそこ長いボサボサの髪で顔が隠れている以外はこれと言った特徴がない生徒だ。ただ、1つだけあるとすれば私が悪役令嬢としてバッチり決めた時に限って見つめてくる事。学院の秩序を守るために敢えて厳しい生徒会長を演じているのを見透かされていそうなところが不気味だ。
1日の特訓が終わった。皆、どこで見ていて聞き耳を立てているかわからない私に恐怖してきっちりメニューをこなしてくれたみたいだ。皆が死んだ様にぐったりしている。成果を見届けたところで私はゆっくりと心の奥を洗わせてもらうとしよう。
「ふぅ〜〜いいお湯。貸し切り露天風呂、一般生徒とは違う生徒会長の特典ね!」
誰の目にも付かない場所。私だけの楽園で思いっきり身体を伸ばすと全身隈なく行き渡る温かさが実に心地良い。「ベルジット生徒会長の心臓は氷で出来ている」、そんな噂話も耳にするけれど……。私は冷たい紅茶より少し息を吹きかけたくなるくらいの温かい紅茶が好き。
気疲れからの……あまりの心地よさ、少しうとうとした末に眠ってしまっていた様だ。
「ふわぁ〜〜! こりゃえぇ湯だわ。極楽、極楽」
「そうですわね〜〜! ……って、えっ!?」
私以外いるはずのない貸し切り露天風呂に誰かがいる……。慌てて声のする方を見ると小さなお婆さんが湯の中に腰を下ろしていた。
「いや〜〜、染み込む、染み込むの〜〜」
「あの……、ここは貸し切りになっているはずですけど?」
「そうですの〜〜! 今宵は星が出ていて綺麗な夜空ですじゃ」
「いや、そうじゃなくてですね」
少々耳が遠いらしい、あとは少々お年寄りらしい症状が出ているせいかうまく話が伝わらない……。
「お爺さんと一緒にここの宿の露天風呂に入る約束してたんですよ~~。まあ、去年ぽっくり死んじまったんですけどね……」
「そうでしたか、それはご愁傷さまですわ」
「お爺さんに背中を流してもらうはずだったのだけどね〜〜。あの人は背中流し検定8級の持ち主だったから……」
そんな検定があったなんて知らなかった。8級がどれほどの実力を示すものなのかもよくわからない。反応に困って作ってしまった間が続き静寂の一時になる、聞こえるのは時折底の方から湯が沸き出して気泡が弾ける音くらいのものだった。
お婆さんは夜空を眺めながら瞳をせわしなく動かしていた。
「あの中にお爺さんがいるんじゃないかと思いましてね。周りの星に比べていまいち輝きの冴えない感じが似ている、あの星かしらね~~」
「……(何だか寂しそうね、でもちょっと羨ましい)。よかったらお背中流しましょうか?」
「ほえっ? お嬢さん、いいのかい?」
「ええ、ご主人様ほど上手にはいかないと思いますがそれでよければ」
「今時のお若い方がそういう気遣いしてくれるなんて嬉しいわ~~。」
これから長い合宿になる。魔王と陰口を叩かれる私がゆっくりと出来る時間は限られる、貸し切り露天風呂で独りの時間を満喫したいところだけど、迷い込んできてしまったお婆さんには特別な理由がありそうなので追い出すのも可哀想だ。
「あぁ〜〜、こりゃえぇ、堪らんの! そうじゃ、せっかくだからお返しにお嬢さんの乳でも洗ってあげようかの?」
「いっ、いいえ。大丈夫ですわよ」
「そうかい? あたしゃ乳洗い6級なんじゃがの」
よくわからない6級に関しては丁重にお断りして背中を流し続けた。
「ところでお嬢さん。やっぱりこの『
(若い殿方? 何を言っているのだろう、長湯し過ぎて湯あたりでもしてしまったのだろうか……。そんな事より)
「今『
「いやいやここは混浴露天風呂『夭の湯』、あの柱に書いてある案内をしっかり見るんじゃ」
お婆さんが指差した柱に書かれてあるものをじっくりと見た。なんて紛らわしいのだろう、確かに『天の湯』ではなく『夭の湯』と書いてあった。
「お爺さんを失ったあたしの楽しみと言えば若い殿方の身体を拝む事くらいじゃ。絶対に入る湯を間違うはずはありゃしませんよ!」
ご老人らしく言う事が割と不安定だと思っていたのだけどそこだけはしっかりとぶれていなかった。
(いや、ここは感心している場合じゃない。間違って混浴に入ってしまったのだから一刻も早く出ないと!)
幸いにもお婆さんの背中は流し終えている。用事があるのを思い出した事にして失礼しようと思った時の事だった。
「いや〜〜、今日の特訓はキツかったな……」
「少しサボれたけど、もしサボったところをあの生徒会長に見つかったら地獄だった。あの賭けはヒヤヒヤさせられたぜ」
入って来た男子2人の顔には見覚えがある。セントヘレナ学院の生徒であり今回の合宿の開始宣言をした際にチクりと刺した者達だ。
「おぉ~~! 殿方じゃ、殿方の裸じゃ~~、潤うの~~」
急に色めきたってしまったお婆さんの声に反応した2人と目が合った……。お婆さんの後ろに隠れる形になっているので裸を見られてしまう事はない。しかし、即座に顔を背けたつもりだが間一髪で間に合っていなかった感触しかない。
「もしかして、生徒会長?」
「あの魔王がお婆さんの背中を流してあげているだと!?」
(くぅぅ……、やっぱり少し遅かった。まずい、この様子を生徒達の間に広められてしまっては大事な合宿中に私の睨みが利かなくなる。どうする?)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます