葬式
蒼板菜緒
葬式
あの子は昔から優しい子でねえ。憶えてる?幼稚園の頃。
ほら、うちの二つ隣の里中さんとこの、健司君?そうよね。健司君。ちょっとやんちゃで、あの子ともたまにサッカーボールやら鬼ごっこの鬼役やらをめぐってけんかしてたけど、でも結局仲直りしてる。いっつも仲良くしてくれた男の子。今どうしてるのかしらね。外の大学行って、それっきりなのかしら。こっちで仕事見つけて戻ってきてくれると、里中さんたちも安心なのにねえ。
話が逸れちゃった。何の話だったかしら。あ、そうそう、幼稚園の頃のあの子の話だったわね。健司君がバス停に向かう途中に、転んじゃったことがあって、でも周りはだーれも気づかずにずんずん先に進んでいっちゃったの。酷いわよねえ。そんな中、うちの子は誰よりも早く健司君に気付いて、駆け寄って助けてあげたんだって。その時一緒にいた風見先生にも、うちの子が周りに気配りしてくれるからとっても助かるって、お礼言われちゃった。本当は、先生がしっかりしてもらわなきゃ困るのにねえ。でも、あの子がいたから気がゆるんじゃったのかもしれないわね。それからしばらくは、里中さんに会うたびにお礼言われて、なんだか私の方が恥ずかしくなっちゃった。ほんとに山本さんのところのお子さんはしっかりされてますねって。私たち、とくになにもしてないのにね。
昔から、しっかりしてて、周りに気を配れて、とっても優しい。親のひいき目に見ても、なんで私たちからあんなできた子が生まれたのか不思議だねって、昔よく話してたわね。トンビが鷹を産むなんてとっくに超えて、もはや猫がライオンを産んだんだーなんて、あの子の頭を撫でながら話してたじゃない。言葉の意味は分かってなさそうだったけど、嬉しそうなあなたを見て、あの子もとっても幸せそうに笑ってた。私も、そんなあなたたちを見ていて本当に幸せだったの。この人と結婚して、あの子の母親になれて本当に良かった。
憶えてる?あなた。
あの子が小学校に入学したときは、遠くに行ってしまったようで寂しかった。少し不愛想だけど、笑うと途端に人懐っこく見えるようになったのは、ますますあなたそっくりで。そんなあの子はすぐに友達もできて、毎日とっても楽しそうだった。不安そうに自分よりも少しだけ大きいランドセルを背負ってたあの子は、あっという間にそれが窮屈に感じるくらいに大きくなった。入学式の時、私たちの後ろに隠れて、じっと校門を睨みつけていたあの子は、気づけば自分より一回り小さい低学年の子たちの手を引いて、大丈夫だよと声を掛けるようになっていた。そんな様子を見る度に、胸の内から温かいものと冷たいものが同時に湧き上がってくる気がして、私はあの子を真っすぐ見ることができなかった。ごめんね。今思えば、一目でもいいから、あの子の姿をこの目に焼き付けておけばよかった。
年齢が上がるとトラブルも増えたけど、そんなときあの子は私たちより冷静だったわね。私たちがどうしたらいいか分からずあたふたしているときに、あの子は私たちを諭すように、低学年の子たちに掛ける言葉のトーンで、大丈夫だと、大丈夫だよ、お母さんと言ってくれた。なぜか、私の方が泣けてきちゃって、なんで泣いてるのと更に心配そうに私の顔を覗き込むあの子がけなげで仕方なかった。
私が一番憶えてるのは、あの子が小学4年生の時の冬。忘れもしないわ。朝起きたら、あの子がベッドで足を抱えてうずくまってたの。多分、お弁当や朝ご飯を作ってる、忙しそうな私の手を煩わせたくないと思ったのかしらね。私がそれに気づいた時にも、ただ黙って足をさすってた。そばには、寒いだろうと昨日布団に忍び込ませておいた湯たんぽが一つ。
子どもは成長すると同時にケガもしていくものだよって、かすり傷をこさえたあの子を心配するたびに幼稚園の風見先生は笑って言ったけど、やけどだけは違う。
やけどだけは、親が、私が100%悪いの。あの時は、あの子に申し訳なくて、申し訳なくて。
洗濯物を放り投げて急いであの子を車に乗せて、朝いちばんにやってる皮膚科を受診した。ちゃんと憶えてはいないんだけど、診察の待ち時間の間ずっと、ごめんねごめんねとうわごとのように繰り返す私と、ただ黙ってじっと痛みに耐えているあの子の姿は、看護師さんや周りの患者さんから見たら、平日の朝にはとても似つかわしくないものに見えたらしくて。後で看護師さんに「虐待かと思いましたよ」って冗談めかして言われたわ。ある意味、正しいのかもしれないわね。
病院の先生は、あの子の足を見るなり低温やけどですねとぴしゃり。なぜかほっとした私に、淡々と治療法を説明してくれたお医者様が、神様のように見えたわ。
結局、治療後もあの子の右足から完全にやけどの跡が消えることはなくて。私がそれを謝るたびにあの子は、私を励ますように言うの。「僕のために湯たんぽ入れといてくれたんでしょ?だから、大丈夫だよ。」って。それ聞くたびに私が泣くもんだから、あの子はやけどの話をするのを嫌がってたわね。
憶えてる?あなた。
そんなダメダメな母親を持ちながら、中学生になったあの子はサッカー部に入って、無事に青春を謳歌してたわね。小6ギャップって、よく言うじゃない?小学校から中学校に上がるときに、周りにうまく馴染めないって。あの子に限ってそんなことはないと思ってたけど、ほんの少しだけ、心配だった。でも、ほんとに要らない心配だったわね。勉強も私たちに言われなくてもちゃんと頑張ってて、いつも定期テストは学年上位だった。特に理科は抜群にできて、将来は科学者になれるんじゃないかって、私はワクワクして仕方なかったの。
そんな文武両道のあの子は、当然クラスのみんなや先生からも慕われてた。2年の文化祭の時に、クラス合唱の指揮をやるって聞かされた時は、私もあなたも音楽の才能なんてないから、二人で顔を見合わせてたわね。でも、本番恐る恐る見に行った私を迎えたのは、堂々と指揮棒を振って一つの大きなうねりを完璧に制御して見せた、あの子の大きな背中だった。
曲が終わり、客席を振りかえって恭しく礼をしたあの子は、本当にかっこよかった。
駄目ね。私、いつもあの子の話ばかりしてしまう。
いい加減にしてってあなたも思ってるんでしょう。
でも、無理なの。ここに住んでると、あの子の気配を、匂いを、いやでも思いだしてしまう。そもそも、忘れられっこないって、そんなのあなたが一番わかってるでしょう?
私たち、夫婦なんだもの。
母は毎日料理を二人分作る。父と、母の分だ。自分の食事すら口にしないまま、椅子に座って母は死んだ息子がどれほどいい子だったかを、向こう側の父に話している。朝に作った味噌汁が、すっかり湯気をなくして濁った液体になっても、まだ喋っている。リビングから少し離れた僕の部屋まで、それは聞こえてくる。
母の期待に応えることだけが、僕の生きる意味だった。「私たちに似ず、本当にしっかりしている子ども」。物心ついた時には既に完成されていた僕の評価を損なうことは、それまでの僕と母の信頼を裏切る行為だった。母を失望させることや、母を悲しませることは絶対にしてはいけない。だから、勉強も部活も人間関係も必死にやった。どんな痛みにも耐えた。右足のやけどが、その証拠だった。
高校入試に失敗した僕が、入学して3カ月の私立高校に通わなくなったのと、父親の乗っていたSUVが父親もろともダンプにぺしゃんこにされたタイミングは、ほぼ同時だった。それから何年たったかは、僕にも母にも分からない。
それ以来、母は僕の名前を口にしなくなった。母の中で僕は、「あの子」として生まれ、そして死んでいる。母の中では、父親はダイニングテーブルの向こう側にまだ、生きている。故人に向かって、故人の僕の思い出を、中学時代までの僕がいかに優れた息子だったかを、僕を悼むようにつらつらと語る。
母の声が止む。現実を放棄し、過去に戻るのすら疲れた母は、ふらふらと寝室に帰っていく。寝室のドアを閉める音が聞こえて初めて、僕は鍵の掛けた部屋を出て、リビングに入る。テーブルの上のすっかり冷めた、二人分の食事をレンジで温めなおす。
味噌汁は、いつもの母の味がする。
葬式 蒼板菜緒 @aoita-nao
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