第7話 容疑者の事情

 志保は弁護士をつけてくれと要求し、

「くわしい動機などについては弁護士に話します。父の知合いの弁護士と面会させてください」

 と刑事に訴えた。

 しばらくたって、警官に連れられ接見室に通された。

 テレビで観たことのある、真ん中に穴のいくつも開いた透明な窓で仕切られている部屋だった。

 接見室に男の弁護士が現れた。

「鹿原志保さんですね? 弁護士の岡崎です」

 席に着いた岡崎弁護士は、窓越しに挨拶した。

「鹿原志保です。市長の娘です」

「弁護士は、裁判で被疑者の立場に立って、あなたがたを弁護するためにいるのです」

 岡崎は弁護士の立場を説明した。

「私、有罪になるのは覚悟しています」

「少しでも刑が軽くなるよう、弁護人として努力するのは惜しみません。まず、事件の背景や動機など、喋りやすいところから喋ってください」

 岡崎は優しく言葉をかけた。背広姿のよく似合う、人の良さそうな丸顔の弁護士だった。

 志保はこくりと頷いた。警察とちがって高圧的でも冷たくもない雰囲気が、志保を能弁にさせたのかもしれない。

 志保は子どものころを振り返り、ゆっくり記憶をたぐり寄せるようにして語り始めた。

 小学三年生のとき、自然愛好部のクラス委員に選ばれた。毎日、決められた場所の花壇に水やりをするのを主な仕事として割り当てられた。草花は見るのも育てるのも好きだったので、少しも苦にせず、きちんと水やりをしていた。毎日、せっせと欠かさずに園芸に精を出した。

 緑の植物が葉をつけて、少しずつ成長していく様子を見ると元気が出た。とくにチューリップの花に関しては大好きで、春になれば赤や黄色や白の花をつけるのは知っていた。秋に花壇に植えたチューリップの球根が、次の年の春に花をつけるのが愉しみだった。

 花が咲いたら友だちを花壇に連れてきて、「私が育てたのよ」と自慢できる。志保にとってはそれもまた愉しみで、冬の寒い時期に芽の出た球根にせっせと水や肥料を与えた。

 その児童の夢を奪ったのが、あの男、鷺沼だった。ある日、見知らぬ中年の男たちが集団で学校に姿を見せた。ちょうどゴールデンウィークの始まった四月下旬ごろの土曜日だったと記憶している。

 その日、学校は休みに入っていたが、志保は責任感の強さから、休みの日もチューリップの花の水やりをしたい、と申し出て学校に入る許しを得て登校した。

 教室には行かず、ランドセルに水筒と菓子パンを入れ、花壇に着くと校舎の壁にランドセルを立て掛け、さっそくチューリップの花に水をやり始めたところだった。

 大人の男たちの集団が、校門横の駐車場に車を停めて、校庭の中にぞろぞろと入ってきた。その日、彼らは小学校の校庭を借り切って、サッカーの練習試合を行った。中年同士の対戦であり、ボールを蹴ったり追いかけたりする動きはとても鈍かった。

 そのうちだれかが大きく蹴り出したボールが校庭の端の花壇まで転がって中に入った。無神経な鷺沼は、白のティーシャツ姿でサッカーボールを取りに来て、花壇の中に入った。ずけずけと土を踏んでボールを手に取ると、

「ちきしょう。こげんボールが悪かとね」

 ボールを見つめて文句を言い、きれいに咲いている花壇のチューリップの花を片っ端からサッカーシューズで踏みつけて去っていった。きれいな花をつけていたチューリップは、無残にも花びらを散らし、ぺちゃんこに押し潰された。

 校舎のかげからその大人の顔を、ふたつの瞳が恨めしげにじっと見つめていた。志保だった。志保は唇を噛んで目に涙をため、男の去っていく後ろ姿を見つめた。それよりほかにできることはなかった。その男が悪い大人であり、やっつけたい気持ちはあったが、子どもの自分が喧嘩を挑んで勝てる相手ではない。

 あの細長い顔にチリチリパーマの眼鏡をかけた男め。きれいに咲いたチューリップの花にはなんの罪もないのに。いつか、痛い目にあわせてやるから――。

 その日、帰宅して、チューリップの花を踏みつけられた、と父に泣いて事情を話した。男はだれなのかと訊ねたが、父は知らないと無愛想に応じて、子どもの話に耳を貸さなかった。

 小六のとき、職員室でチリチリパーマ男を見かけたので、話を盗み聞きした。会話から、その男はPTAの会長だとわかった。あの花壇を取り壊しましょう、プール専用の更衣室にしましょう、と教頭に持ちかけていたのもその男だった。

 中学に上がっても、高校生になっても、よほど「チューリップのトラウマ」が心に残ったのか、あのときの光景は頭に焼き付き、憎悪は忘れなかった。忘れるどころか募るばかりだった。

 時は流れ、志保も大きくなった。

 偶然、町中で細長い顔にチリチリパーマの眼鏡をかけた男、小学校時代の元PTA会長を目にした。市議会議員の選挙ポスターの写真で、男はこちらに向かって笑いかけていた。

【さぎ沼こういち】

 そう書かれてあった。選挙権が与えられる年令でもあったので、大学一年の志保はその名前をはっきりと覚えた。市議会議員選挙の当日、自宅から近い集会所に行った。そこが投票所であった。受付で投票用紙を受け取ると、何気なく他の候補者の名前を紙に書き、素早く目を走らせた。さぎ沼が「鷺沼」という漢字であるのも頭に刻み込んだ。犯行の三年ほど前のことだった。

 鷺沼、鷺沼。

 めらめらと復讐の炎が燃え上がり、彼を殺すシナリオを意識して頭に描き出したのもそのころだった。時期は、チューリップ事件のあったゴールデンウィークがいい。浮かれた季節にこの世から消えてくれたらこれほど嬉しいことはない。屈折した心で、殺人計画をひたすら練ることに快感と愉しみを覚えた。

 忌まわしい人間、しゃくにさわる人間は、さっさと目の前から消えてほしかった。ゲームのモンスターならデータを削除できる。その感覚で人を殺傷したかった。命の尊さなどというご立派な説教には呆れて耳を貸さなかった。

 選挙の結果、鷺沼紘一は何番目かで再選を果たしたのをN新聞の朝刊で知った。すでに市長を務めていた父の座を狙っているとの噂も周囲から耳に入ってきた。とんでもないやつだ、とはらわたが煮えくり返った。

 あのときの志保の悔しさを知らないチリチリパーマ男は、なにかにつけて父に胡麻をすり、盆踊りやなにかの地域イベントに駆けつけて顔を出しては、父の立っている場所と反対側にえびす顔でふんぞり返っていた。その姿をインターネットのSNS上でなんども見かけた。

 ただ市長の椅子をほしいがために、父の機嫌を取る胡麻すり男。父のライバル。いずれは市長選に立候補するらしい。それだけでも厭だったのに、小三のときの夢を壊した、あのチューリップ踏みつけ事件で憎悪の気持ちは増大し、はち切れんばかりだった。

 憎むべき男は他にもいる。志保は平然とした顔をして、こんどは別の人物のことを岡崎に喋りだした。百姓の宇志窪悟についての話だ。

 宇志窪から被害にあったのは、つい一年前のことだった。当時、稲和大学に通っていた志保は、夏休みに入っていた。八月のある晩に、高校時代の友人の由紀に誘われ、小学校で行われる地元の盆踊りに出かけた。浴衣姿に着替えて女同士で行き、由紀らと三人で踊りの輪に加わって踊っていたとき、後ろからぬっと手が伸びてきて志保の尻を触った。浴衣の上からぺたりと触られた。大きな手でギュッと包み込むようにして片方の尻を数秒掴まれた。キャッと小さな声を出し、すぐに後ろを振り向くと、赤ら顔の男がこっちを見てにやりとしながら、雑踏にすーっと消えていった。

「ち、痴漢にあった」

 隣にいた由紀の浴衣の袖を引っ張った。

「志保、ほんとうなの?」

「嘘じゃない。男にお尻を触られた」

「いけんする? 警察に届けるけ」

「いけんしよう。ねえ、どうすればよか」

「私ならまず相手を捜し出して警察に突き出すよ」

「そら相手の顔は見たどん、逃げられたのよ」

「いけな人相の男やった?」

「酒に酔うた赤ら顔で、えーと」

「もっと他に特徴は?」

「そういえば、頭は角刈りで、最近どっかで見かけた……」

「どこで見たと?」

「あ、思い出した。あのオヤジだ!」

「だれのこと?」

「ほら、隣町の百姓しちょる宇志窪。広い畑さ持っちょって、いばりくさっとる。農業しちょるときは親切じゃっどん、酒飲むとタチが悪か男」

「ああ、あのオヤジね。たしかに志保の言うとおりよ」

 もう一人の友だちが二人の会話に口を挟んだ。

「じゃっどん、いけんしたらよかね? 逃げてしもたよ。痴漢て、現行犯じゃなかち逮捕できんと?」

「そうかもしれんね。顔見ちょったど? 容疑者を追わんとならん」

「じゃっどん、人が多くて」

「そいが相手の狙いたい。人ごみに紛れて触ってきて、その中に隠れとる」

「宇志窪を探さにゃならんち」

 三人は盆踊りの櫓に付けたスピーカーからやかましく流れる音楽を尻目に、手分けしてずんぐりした体形の宇志窪を捜し回った。

 けれども、あいにくその男は盆踊りの輪の中にも、外の露店にもいなかった。まんまと犯人に逃げられた形になった。

 けっきょく被害届を出さないまま、志保は由紀ら二人と別れ、失意で家に帰り着いた。警察にどこをどんなふうに触られたかなんて訊かれるのが厭だった。それで泣き寝入りする羽目になってしまった。

 宇志窪悟。あのセクハラじじいめ――。

 以後、一年にわたり、志保は痴漢行為を受けたことを根に持ちつづけた。

 志保はおとなしくみられがちだったが、執念深い女だと自分でも思っていた。

 過去に芽生えた怨恨や業腹を帳消しにするには、相手を殺してしまうのがいちばんスカッとする。光宏という恋人もいるし、力が必要なら彼に任せればいい。殺人の手立てなら、いくらでもスマホで調べられる。この町のことは昔からよく知っている。知り過ぎているから、心に溜まった鬱憤は殺人でしか晴らせなかった。

 志保は岡崎に憎い相手を殺した理由を長々と語り、自分の行為を正当化した。


「それから、五月三日、N新聞の飯野という記者に電話をしたね?」

 岡崎は、飯野と関わったことも知っている様子だった。

「それは、N新聞の記事作りを混乱させようとして、わざと餌をまいたのです」

 志保は狡猾な一面を見せた。志保は飯野への電話から食中毒までの一連のことを振り返った。

 でたらめの情報を新聞記者に流すと、新聞はどんな記事になるのか。正直、ワクワクした。

 公衆電話を使って、自らN新聞社に電話をかけた。五月三日の正午のことだ。係の者が出て、猪里市に出向いている飯野の携帯番号を教えてくれた。

 新聞記者にガセネタを掴ませ混乱させようという狙いと、川畑久野というN新聞の女記者を困らせてやろうという目的からだった。

 それに対して岡崎弁護士は疑問を呈した。

「いけんしてN新聞の川畑記者を困らせてやろうとしたんだ? 検察はそこを突いてくる」

「それは――」

 そのとき、志保はこの弁護士が一番、事件の深層部まで見抜いているのではと思い、怖くなった。警察にも話していない飯野の件や、久野に恨みを抱いている件の一部までを知っていそうな口ぶりに、この中年の、飄々とした風采の男が、実に不気味だった。けれど逆に、彼を味方につければ、私の刑が軽くなるかもと期待を寄せ――ほんとうは始めから極刑など下るわけがないと軽く見ていたのだが――、話せることはこの際話してしまおうという気になった。

「聞いた話だと、最初から川畑親子が渓山荘に行くのを知っていた。それで車にパンクするような細工を施し、JAFを呼ぶ時間稼ぎまでして川畑親子とともに行動し、バスを使うことで渓山荘へ到着するのを遅らせた。赤い眼鏡をかけて旅行者になりすましたのは、一件目の犯行のアリバイのために仕組んだ罠だった、と」

「それは部分的に違います。渓山荘へ早く着いても、温泉は営業してなか。外からは、開店前に光宏が陽菜乃を湯船に運んでいる様子は見えん。アリバイ作りに選んだ相手が、たまたま川畑久野だった」

 志保は事実を弁護士に言い当てられても、俯いて否定した。

「ほんとうにそうなのか? 川畑記者になにか個人的な恨みがあったのではと思うちょるが」

 志保は言いにくそうに黙り込んでいたが、沈黙の長さに耐えかねるようにして、ほんとうの事情を話し出した。

「あの女の記者と会ったのは、高二のときだった。向こうから私に接近した。名前を伏せ私の飲酒を記事にしようとして、取材を申し込んできた。彼女の名刺をもらった。当時付き合っていた大学生の飲み会に同席して、少しアルコールを飲んだ。ただそれだけなのに、未成年ということで記事にされかけた。父に頼んで手を回し記事になるのは揉み消してもらったが、そのとき恨みを抱いた」そこでいったん区切って息を吐き、軽く息を吸って、「しかし、もっと厭なことが起きた。どこからか情報が漏れて、ネット上の掲示板で私の名前が出回り、高校でいじめの対象になった。それからしばらくして不登校になった。川畑久野。その名前をN新聞に見つけるたびに、反吐が出るほど憎悪した。私にとって、不登校という消せない過去を作ったきっかけはN新聞であり、川畑久野であり、高校の同級生だった。その頃から、この土地のなにもかもが厭になった」

「飯野記者とはいけんした?」

 岡崎弁護士は手を素早く動かしながら、汚い字でメモを取っている。


 飯野という記者の携帯に電話を掛けて、

「木に吊るされた女に関して、知っていることがあります」

 と情報提供の旨を伝えた。その情報の見返りに金を要求した。半端な額ではない。一〇万円だ。大人なら払えないことはない。そう読んだ。あるていどの金になるほどの貴重な情報と記者に思わせる意味合いもあった。

 飯野と名乗った記者は、なかなか信用しなかったが、面倒くさそうに、

「わかった。金は払うよ」

 としぶしぶ応じた。

「もちろん、ほんとうの話なんですよ」

 志保は念を押しながら、真剣な口ぶりで演技した。

「情報が多そうだから、会うときに確実に会えるように、きみのメルアドを教えてくれないか」

 向こうの方から頼まれた。電話口で志保はプリペイド式携帯のかりそめのメルアドを教えた。さっそく、メールで待ち合わせを指定した。

《待ち合わせ場所は郵便局の裏の公園で。午後四時半でお願いします》

《了解です》

 飯野からの返信は事務的で簡潔だった。

 指定した郵便局の裏に、新聞記者が姿を見せたのが、午後四時半きっかりだった。スーツ姿で、やや痩せている印象を受けた。

「N新聞の飯野です。よろしく」

 最初こそ名刺を出して丁寧にお辞儀をしたが、相手が若い女一人と分かると、飯野は露骨に見下した態度をとった。その上、「そういう場合の金は、だいたい三万が相場だ」と値切り、さらに、

「きみさえよければ一緒にホテルに行こう」

 と体の関係まで要求してきた。若い男のくせに妙にガツガツしている、と志保は不快に思った。

 むろん志保は拒否した。

「そういうことを言うなら、情報を提供するのをやめにします」

 強く出てみた。体狙いの発言がほんとうか冗談か、見極めたかった。

「いまのはほんの冗談だよ。情報をくれないか」

 志保は、すがる飯野に対して、この男は信用できないと女の勘で思った。頭の悪そうな飯野という記者は、目の前の若い女が犯人だとは全く気づいていない様子だった。

 志保は、早くその場を立ち去りたくて、

「ちょっと急ぎの用事を思い出したので」

 と怒ったような口調で飯野に背中を向け、その場をあとにした。

 それで終わりかと思ったら、飯野は、《情報をくれ。体を触らせてくれたら五万はやるから》としつこくメールを送りつけ取引してきた。大人というものは薄汚い。志保は心から侮蔑した。

 金だけ先に受け取り、でたらめを伝え光宏に頼んで始末してもらおうかと考えてみた。金と女に汚い飯野という記者が許せなかった。汚らわしかった。そのへんの畑の地面の中にいる虫けら以下の存在だと思った。

 冷静になって考えてみると、飯野をダシにして久野をおびき寄せられる可能性があり、リスクも大きいので、殺人は思いとどまった。

 しかし、飯野という記者にも反感を抱き、その気持ちは膨らんだ。

 あらかじめ、家でイヌサフランの花を飾りたいと父の知り合いの人に頼み込んであった。五月三日の昼過ぎ、毒草のイヌサフランの葉っぱを光宏と二人して摘んでおいた。もしものためにと計画していた。

 久野と高橋峰子に毒を盛るつもりが、飯野も入れて一人分増えた。四日の朝早く起きて、イヌサフランの葉をヨモギに混ぜて細かく刻み、玉子焼きに入れ、握り飯を添えた弁当を三個作った。

 一つは高橋峰子の経営する民宿の自宅に、残り二つは久野の自宅の玄関に隙を見て置いてきた。どこの家もそうだが、田舎では玄関が開けっ放しのところも多い。それは、よそ者の来ないあいだは、近所に対して心を開いている証拠でもあるような感じだった。

 久野が食べなかったのは計算外だったが、由紀の母と飯野にはひとまず報復できて満足していた。由紀の母、高橋峰子は志保が家庭教師の教え子に手を焼いているのを由紀から聞いていたのでいつか人にチクるだろう。そう踏んでいた。田舎の噂の広まるのは早く、だれそれが食中毒で入院したというのは、町の噂ですぐ志保の耳にも入った。


 岡崎弁護士は、

「志保さん。四件の殺害方法についてくわしく訊きたいのですが」

 と静かな口調で訊ねた。

 志保は横を向いていた顔を戻し、岡崎の顔をちらりと見て、口を紙コップの水で湿らせてから、喋りだした。

 もっとも憎むべき鷺沼を殺し、その前に宇志窪を殺しておく殺人計画を立てた。時期は、あのチューリップが踏み潰されたゴールデンウィークに決行しよう。ただ、一日に一人ずつ殺していくだけでは面白くない。曜日に因んだ殺害法を考え、刑事らを攪乱してやろう。そのように考えた。

 殺害に関しては、火曜日から始めてもよかったが、火をつけて殺すさい、万一こちらに燃え移るのが恐くなった。その危険性から安全な水曜を選び、水曜日から連続殺人を始めることにした。水曜から土曜までのあいだに四人殺そうとすると、残り二人を適当にみつくろってきて殺さねばならない。最初の二人は適当な人間を選び、動機を不明なものにすれば、きっと捜査は混乱して難航する。

 いろいろと殺人に関して決め事を作り上げていくうちに、だんだん人の命を奪うのを考えるのが楽しくなってきた。

 犯行は、力がいる場合には、恋人の光宏に手伝ってもらうことにした。彼とはなんどか寝たこともある間柄であり、体を求めてくる見返りに、共犯者として殺人を手助けさせようと考えた。

 光宏を家に上げて、居間で殺人計画を話したら、最初はたいそうおどろかれた。

 が、これまでの憎しみや辛さを訴えると哀れに思ったのか、こちらの言うことに対して、本気で相談にのってくれた。

「光宏。水曜日に殺すとしたら、やっぱり水死させるよね」

「そうじゃろな。じゃっどん、池や川じゃと外から見られはせんけ」

「屋内ならば?」

「屋内とね。水のある屋内ち、どこね?」

「銭湯や温泉よ。プールはまだ早かろ? 温泉がよかよ。開業時間前に忍び込んで、死体を浮かべるの。わっぜえ殺人ショーの幕開けじゃろだい」

 話に乗ってきた志保に対して、光宏は冷静に、

「従業員に見つからんち?」

「だいじょうぶじゃち。車中で気絶させて、裸にして湯船に浮かべるの。そうね、ドライアイスでも入れたら死ぬんじゃなかち? あとで調べてみるわ」

「だれを殺すち?」

「家庭教師の生徒。沖本っていう女子中学生よ。その子ね、覚えがほんと悪くてとろいの」

「ガキを殺すのか。なんだか後ろめたくてあまり気乗りせんが」

「だいじょうぶ。私は市長の娘よ。絶対に逮捕なんてされないわ。それに、光宏は私とこれから先も関係をつづけたいんでしょ?」

「それはそうじゃどん」

「だったら、私に協力しなさい」

「木曜日はだれを殺すと?」

「さあ。まだはっきりとは決めとらん。行きずりの殺人なんていけんね? 〝木〟だから、ターゲットを木に吊るして馬で縄を引っ張らせっせ、窒息させるとか」

「残忍な殺害法じゃのう」

「そうかしら」

「じゃっどん、どこの木で、どこから馬を調達するか、早うから下調べしぃちょらんといけんが」

「そいは任してよ。よかとこがあるの。もう目をつけちょるがね」

 志保は目を輝かせた。

「金と土は?」

「それこそがメインディッシュよ。〝金〟は金庫に入れておく。〝土〟は土の中に埋める」

「殺害法は?」

「金曜は宇志窪を殺す。じゃから、やつが毎日使うちょるお茶の容器に農薬を入れっせ、二日の午前中に毒殺しておく。遺体は信用金庫の袋に入れて金庫の中に鍵をかけて閉じ込める。信金の専用警備員をすでに買収しちょるで、二日の水曜に空になっちょる袋に遺体を入れっせ、鍵を持った警備員に宇志窪の遺体入りの袋を金庫に入れさせる。あとは二日後の四日金曜に遺体発見の電話を警察に入れりゃよか」そこで二つ咳をした志保は、さらにつづけて、「そうじゃ。鐘が鳴るのに合わせて遺体発見の電話を警察署に掛けようか。それがよか。面白か。ショップでプリペイド式携帯を契約して掛けるち。土曜はそもそも恨みさ抱いた張本人の鷺宮紘一市議。あの男は、気絶させて腕や足を火蟻に刺させて殺してしまおう」

「おいは農学部じゃっどん、火蟻によるアレルギー死は、必ず起きるとは限らんち聞いたどん」

「そげんことは知らんち。体ば縛っておいてから刺させるのよ。どうせ、あとで土の中に埋めるんじゃから」

「そもそも、火蟻みたいな危なか毒虫を、いけんして集めるとね」

「便利なツールがあるじゃろが」

「と言うと?」

「ネットじゃ、ネット。インターネットの掲示板で、『火蟻求む』と書き込むんじゃ。悪かやつらがおるち、すぐに、一〇匹いくら、一〇〇匹いくら、ちて言うてきよるがね」

「恐ろしか世の中じゃな」

「そげんこつは私のせいじゃなか。善も悪も、情報がつぶさに書かれちょるのがインターネットじゃち」

「犯行には、おいのフェアレディば使うか」

「そうしてくれると助かるわ」

「よし、わかった」

「やっと本気になったようね」

「志保がそこまでやるんじゃったら、九州男児として黙って見てはおれんが」

 だいたいそんな感じで殺害法を決めた。

 志保は上目遣いに岡崎を見て、話し終えた。


「志保さん、大学生活はいけんでしたか」

 岡崎は訊ねた。急に志保の身の回りのことに話の矛先を向けてきた。志保はつまらなそうな口調で話した。

 大学は三年生までは問題なく通学し、大学生活を過ごしていた。しかし、年があけて三年の冬あたりから週三回ぐらい登校してはいたが、二月から不登校になった。ゴールデンウィークに入る二週間前ぐらいは、他の学生たちがどんどん企業の内定を決めていく中で、自分だけ取り残されて就職先が決まらず、ただ落ち込む日々を家で送っていた。その頃には、父には内緒で休学届を大学に出していた。あとで父に休学しているのがばれ、ひどく叱られた。

 そこで、岡崎弁護士は眼鏡の奥を光らせ、訊ねた。

「殺害の小道具はどうやって集めましたか」

 火蟻に関しては、インターネットの掲示板で、火蟻五〇匹求む、と書いたら、いくつか問い合わせがあり、売買が成立した。簡単に火蟻は手に入った。それを金曜日まで家で保管しておいた。土曜に鷺沼を呼び出し、喫茶店で話をしたあと、店を出たところを殴って気絶させ、車の中で縄を使って縛り、服を脱がせて下着姿の状態で火蟻に体を刺させた。アナフィラキシーショックで死ぬと思っていたのに死亡しなかったのは残念だった。光宏と相談して、工事現場まで車で連れていき、盛られた工事中の土の中に埋めて、土を元に戻してそのまま放置した。たぶん、生き埋めで死ぬだろうと思った。一番憎かった相手が予定外の死に方になったのは、実につまらなかった。

 イヌサフランを集めたのは、三日の一時過ぎだった。農学部に籍を置く光宏が毒草にくわしいので彼の手引きで行った。父の知り合いに、「家に花を飾りたいので」とあらかじめ申し出て、イヌサフランを植えている家にお邪魔し、花壇に植わっていた花を少しと葉っぱを両手いっぱいに摘み、ビニール袋満杯に詰め込んだ。葉っぱを持ち帰って、翌日の朝、調理した。切り刻んで、別に摘んできたヨモギの葉と混ぜ、玉子焼きに加えた。その玉子焼きを握り飯と一緒に三人分作り、タッパーに入れて、高橋峰子のところと川畑久野の自宅の玄関に置いてきた。

 農薬を宇志窪のお茶に混入した件に関しては、どこの農家も納屋などに農薬を保管しているので、光宏に頼んで害虫駆除に使う、との理由で借りてきてもらった。外で空のペットボトルに移し替え、殺すときに宇志窪の目を盗んでお茶の容器にペットボトルの農薬を入れた。だれもその場面を変には思わなかったと思う。

 同様の手口で、中国人観光客の李さんの場合も、睡眠剤を混入したお茶と李さんの持っていたお茶をすり替えた。睡眠剤は、志保が使い余っていたのを流用した。同じメーカーのお茶にして、飲んだ分だけ減らしておいたら、彼女は全く気づかずに飲み、しばらくして眠った。

 志保は興奮したのか、殺害法にまで言及した。

 白髪混じりの岡崎は、メモを丹念にとり、頭髪を撫でて黙り込んでしまった。周到な計画を持って行った殺人は刑が重い。それから、怨恨の殺人も含め、被疑者が裁判所で充分に反省の色を見せないと、心証が悪くなる。

 人口の少ない、噂がすぐに伝わるような地方都市で、彼女が更生できるかどうか、自信はなかった。とにかく、弁護人としてやれるだけのことをやるまでだ、と自分に言い聞かせた。


 水曜日、二人は送検され、検察官が警察を指揮して、実況見分が行われた。まず事件の順番からして、南町の渓山荘から始まり、次に南町の中心部にある南陽信金南町支店、隣の豊吉町の畑、最後に少し離れたところにある東の原町六丁目の工事現場と車で回っていった。

 それぞれの場所で、手錠をかけられた志保と光宏がぼそぼそと喋り、なんどか頷いて、おおむね自供を裏付ける説明や再現が行われた。

 ただ、二件目の大木殺人について、馬を使うことで、李さんを引っ張って大木の枝が折れるのかどうかに関しては疑問点があった。

 豊吉町で飼われている馬は特定できたが、その馬の尻を叩いただけで猛烈に走り出したとは考えにくいという捜査官の見方が大半を占めた。

「いけんして馬を急発進させたんじゃ?」

 検察官は志保に訊ねた。

「馬は臆病で耳がいいから、馬の耳元でブリキのバケツを思いきり叩いておどろかせたんです」

 志保は馬の突然走り出した秘密を明かした。実際使われた馬に同様の仕打ちをして確かめることはしなかったが、飼い主に訊くと、

「そりゃおめぇ、突発的に逃げるち」

 との証言が得られた。

 水曜日は、実況見分だけで日が暮れた。

 夜になって重要な証言が得られた。検察官が、

「ほんとうの動機はなんですか? もしかしたら、市長が絡んでいるんじゃなかか」

 志保は父のことに話を振られ、我慢の針が振りきれてしまったように喋りだした。

「父が星永産業の殿田さんに、『五、六千票頼みますよ、次の市長選挙で』と自宅で電話を掛けているのを偶然立ち聞きしてしまったんです」

「それは知らなかった。それで?」

「その場で殿田さんは了承したらしかった。父は、居間で携帯から市の幹部に電話して、『水道局の下水道工事の入札で星永産業に便宜を図るように』と指示していました」

「なるほど。鹿原市長と殿田氏の癒着ぶりが見えてきた」

「私は聞かないふりをしていました。でも、ある日、あの男が」

「あの男とは?」

「鷺沼です。鷺沼は、工事入札の証拠を握ったらしく、父の携帯にメールを送りつけてきました。私は、父の留守のあいだに、父の携帯を盗み見たんです」

「いけな内容じゃったち?」

「《水道局の下水道工事入札の件で、市長自らが星永産業に便宜を図るよう指示したそうですね。市の担当職員から情報を得ましたよ。いずれ市議会で追及します。きっと、地元の新聞に口利きとして取り上げられることでしょう。来年の市長選挙に影響が及ぶのも必至じゃないですか》そんな内容でした」

「脅しですね。鷺沼は脅しをかけて、市長の座から鹿原氏を引きずり下ろそうとした」

「ええ、私もそう思いました。父も困ってました。だから、父を助けるために、との思いで鷺沼に死んでもらうのが最善の策と思って」

「それで殺した。個人の恨み云々の話より、市長の不正告発を阻止するのが、今回の殺人事件の一番の目的。そうじゃなかか」

 志保は唇を噛み、大きく頷いた。

 彼女は隠していた動機をついに検察官に白状した。彼女の心には、不登校という父への負い目と、父を救いたくて殺人を実行した狂気が同居しているように思われた。二つの思いがせめぎ合っていたのかもしれない。

 検察官が、主犯容疑者の本当の動機を裁判で明らかにすべきだと考えたのも無理のないことだった。

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