第6話 犯人逮捕

 五月七日月曜日、容疑者逮捕の当日を迎えた。久野らはあらかじめ前夜から知り、朝一番に社会部のデスクに電話を入れ、今回の事件解決が今日の夕刊のトップ記事になるはずだと連絡した。

「そうか。Qちゃん、決定的瞬間を逃すなよ」

 デスクの声は記事に賭ける熱量が伝わってきそうなほど熱かった。

「ええ、もちろんですとも」

 久野も言葉に気合を込めた。本来ならば、飯野にこの大役を任せて自信をつけさせたかったが、まだ若い彼にはいくどとなくチャンスが巡ってくるだろう、といい方向に考えた。彼はまだ入院中だし、早く病気を治して、現場に元気よく復帰するのだけを期待していればよい。

 前日に行われたオフレコ懇親会の終わりの挨拶で、今出水副署長がマスコミの記者やテレビ局の人間に、

「明日の午前は開けておけよ」

 と明言したのは、もちろん真っ先にデスクの耳に入れ、説明しておいた。久野は朝八時五〇分に猪里署に着き、警察車両がいつ署を出ていくかを待っていた。待っているあいだの車中で、デスクに電話を入れた。警察の車の行き先はてっきり市長の自宅だと思い込んでいた。

 ところが、蓋を開けてみると、猪里署を出てサイレンを鳴らしたパトカーは、途中の交差点を右に折れ、別方面へ向かった。久野は仕事用に借りたレンタカーで慌ててハンドルを切り、後を追う。

 午前十時を回っていた。

 着いた先は、派手な外観の城のような白いホテルだった。犯人は恋人とホテルに泊まっていたのだ。すでに停まって張り込んでいた、複数の覆面パトカーに加え、急行したパトカーが、白亜の建物の駐車場に停まった。

 容疑者たちは、迂闊なことに一台の白のクラウンを停めている。見慣れた車体だ。ナンバーは「内海 ま10―16」。間違いなく久野の車だ。一昨日鳴沢ダムで奪われて、こんなホテルの駐車場まで移動していたとは知らなかった。穴があったら入りたかった。

 捜査員が中に入り、しばらくして、建物から出てきた志保と光宏の上半身に向けて、フラッシュが一斉にたかれたのは十時十分だった。もちろん久野も、一眼デジカメで写真を撮る集団に混じっていた。二人の顔は一瞬強張ったように見えた。

 クラウンはできればテレビに映ってほしくないと願ったが、あとで近所の人に訊いたら、やはり画面の後方に映り込んでいたらしい。

 二人は背中を丸めておとなしく警察の指示に従った。何人かの警官が二人の容疑者を取り囲むようにして、警察車両へ誘導する。

 フラッシュのたかれるたびに、まるでストップモーションのコマ送りのようにして、二人の影は朝の光から姿を消していく。テレビカメラは警察の車に乗り込む瞬間をしっかりと映していた。田舎を舞台にした殺人事件の終焉だった。

 東京のテレビ局がその場面を生中継したのか、それとも編集したのかどうかは知らない。リポーターらしき人物がマイクを手にしてカメラに向かってなにかを喋っている。

 久野は逮捕の瞬間を何枚も写した。その中から厳選した一枚の写真が、月曜日のN新聞夕刊のトップを飾ることになった。

 写真を撮り終え、取り戻したクラウンで日の出市から猪里署まで向かった。猪里市連続殺人事件に関する報道メモは夜まで出なかった。そのあいだに、白亜のホテルに置いてきたレンタカーを取りにタクシーで向かい、レンタカーに乗って南町の営業所で返却した。

 猪里署を出て、車で内海市にあるN新聞九州南支局に戻ってきた。

「ただいま戻りました」

 できるだけ溌溂とした声で挨拶し、編集部の自分の席に着いた。机の上のパソコンを早々に起動させた。夕刊の一面に載せる犯人逮捕の原稿を午後二時までに書き終え、デスクに承認をもらった。

《猪里市の連続殺人犯、逮捕 七日(月)午前十時、稲和県警は、稲和大学四年鹿原志保容疑者(二二)と同大学四年福松光宏容疑者(二二)を殺人の疑いで逮捕した。二人は猪里市で起きた連続殺人事件を起こし、日の出市内のホテルに宿泊していたが、身柄を拘束された。警察の調べに対し、二人はおおむね容疑を認め、四件の殺人に関与、それぞれ薬物や毒物、有毒ガスなどを準備し、周到に計画を立て殺人を実行した模様。現在、猪里市連続殺人事件捜査本部は両容疑者の殺害方法や動機の解明などの取り調べを行っている。二人をよく知る人は、「鹿原さんは静かで礼儀正しいけれど、なにをやるかわからない面もあった。人との協調性も欠けていた。福松さんは従順であまり目立たなかった」と話す。捜査本部は、容疑者の逮捕で事件は終息したと見ている。今後、同本部は二人を検察へ起訴する予定》

 原稿を書き終え、デスクに原稿データを送信すると、今日に限って無性にコーヒーが飲みたくなった。出入り口の扉を開け、廊下の休憩スペースで自販機のコーヒーを買い、ベンチに座ってホットコーヒーを啜った。

 久野は来週の月曜日から代休を取ることにした。

 デスクからは、

「連続殺人事件の特集記事は、明日から復帰予定の飯野に任せよう。それより、疲れもあるだろうし、ゆっくり体を休めた方がいい」

 と言われていた。

 コーヒーを飲み終わり、紙コップを自販機横のゴミ箱に捨てて、両手を突き上げて伸びをした。

 廊下の突き当りまで行き、小窓から内海市内のオフィスビルやマンションなどを見下ろした。ここは七階のフロアである。

「徳広は、今ごろ中学校で授業を受けているのね」

 あたりまえの日常が、しごくありがたいものに感じられた。事件に遭遇したときから、ベテランの久野ですら、緊張とおどろきを毎日味わうことになった。強心臓で鳴らした記者魂も、ずいぶんすり減った気がした。

 小窓から白壁の廊下を歩いて、N編集部のガラスのドアを開けると、中の空気が淀んでいた。

「ちょっと空気が悪くなか? 窓を開けませんか」

「お願いします」

 社会部の品浜だけが声を発し、あとの中堅や古参社員は、首を軽く縦に振った。

 大きな窓を二つ開けると、五月の薫風が社内のどんよりした空気を打ち消し、爽快感を与えてくれる。

 仕事が一段落し、窓際に陣取った、机に向かっているデスクに歩み寄り、声を掛けた。

「これで終わりましたね。一連の事件は」

「事件はな」

「まだなにかあるち?」

「いろいろとうるさい連中がいてな。困っとる」

 デスクは口をへの字に曲げた。

「それは星永産業のことですか」

「星永からの圧力もそうだし、市政、県政の動きもある。東京から来たマスコミのお陰で、ゴールデンウィークの後半は、県内のいくつかの旅館やホテルにキャンセルが出た。土産物店や観光バス会社からも新聞への風当たりが強いときている」

「でも、きちんと事実をねじ曲げずに報道しましたよ。痛みはわかりますが、それが記者としての基本姿勢でしょ?」

「まあ正論はな。Qちゃんが、おいどんの喜ぶような明るい町ネタを見つけてきてくれ。それだけが頼みの綱じゃち」

「まあ、ずいぶん都合のよかこと。わかりもした。代休が終わったら。どんな些細なネタでもいいから、読み手がほっこりするような明るいネタを仕入れてきますよ」

 最後はデスクに泣きを入れられ、久野も大見得を切るしかなかった。

 午後九時に報道メモが出て、久野の携帯にメールで届いた。

《所轄署は稲和県警猪里署、容疑は殺人、被疑者二人。被疑者の鹿原志保は調べに対し、「市議に対して恨みがあった。一方で、父から説教され、困らせてやりたかった」と供述した。県警は殺害方法や動機などの裏付けを慎重に進めている》

 以上が報道メモの猪里市連続殺人に関する中身だった。市長である親が立派すぎて、父への嫌がらせだったのかと思った。

 帰りに新聞販売店まで行き、いつもより少し分厚いN新聞の夕刊を買った。さっそく事件終焉の記事を読んだ。


 連続殺人犯、逮捕 七日(月)午前十時、稲和県警は、稲和大学四年鹿原志保容疑者(二二)と同大学四年福松光宏容疑者(二二)を殺人の疑いで逮捕した。二人は猪里市で起きた連続殺人事件を起こし、日の出市内のホテルで身柄を拘束された。県警は、両容疑者が二日から起きた四件の殺人にいずれも関与し、殺人に及んだと見ている。二人をよく知る人は、「鹿原さんは静かで礼儀正しいが、なにをやるかわからない面があり、人との協調性も欠けていた。福松さんは従順であまり目立たなかった」と話す。猪里市連続殺人事件捜査本部は、動機や殺害方法の取り調べをおこない、容疑者逮捕で事件は終息したとして、今後、二人を検察へ起訴の予定。


 久野はクラウンの中で夕刊を読み終え、大きなため息交じりに、

「これで町に平和が戻るわ」

 と呟いた。夕陽の沈んだ夜空を仰ぎながら、内海市から実家の猪里市に向けてクラウンを飛ばした。

 事件が終結しただけで、猪里市内ののどかな風景がようやく本来のあるべき姿と輝きを取り戻し、日常が戻ってきた。そんな気がした。

 夜の田圃の上には星が輝き、半月が山の尾根の上に出ている。滑るようにして国道32号を走る。交差点で信号待ちをしているとき、ヘッドライトが横断歩道を渡る高校生らしき男連れを照らした。にこにこと笑いなにかを喋りながら歩く光景が、猪里市らしさを象徴しているようだった。

 安全運転で、これまでの波乱に満ちた毎日を振り切るようにして実家に戻った。実家に荷物を置いたままだった。カーポートに車を停めると、庭の草花が居間の電灯に照らされているのを見て心が和んだ。

「ただいま、帰ったよ」

「お帰んなさい」真由美が玄関まで出迎えた。

「晩ご飯は食べたち?」

「うんにゃ。食べとらん。今晩で実家に泊まるのを最後にするわ」

「内海の方に戻るの?」

 真由美は少し心残りのような口ぶりで眉を下げた。

「うん。息子も待ってるから帰るわ」

「ご馳走はないけれど、炊き込みご飯と刺身があるち、台所に座って待っちょってね」

「わかった」

 真由美は手を動かしながら、

「仕事はまだあるね?」

「今日の夕刊で、こん事件にかかわるわたしの担当は終わった。あとは新人に特集を書いてもらって終わり」

「そうね。はい、炊き込みご飯」

 真由美はお茶碗に炊き込みご飯をよそい、冷蔵庫から取り出した刺身を皿に並べて食卓に出した。

「自宅に戻ったら、徳広にハンバーグを作ってやらにゃならんど」

「子どもはやっぱり母の手料理が食いたいじゃろね」

「そうよね。家事に仕事。また別の意味でたいへんだけど」

 刺身を食べながらテレビはつけずに、久しぶりに真由美と話そうと思った。

「ねえ、母さん。あたいは恨まれるようなことしてないよね」

「突然、なんの話ね?」

 真由美が訝るのも当然だった。

「N新聞の悪口を言われた。あたいがここにいると目障りじゃ。そげなことも言われた」

「そげんことはだれも思っとりゃせんち。だれが言ったち?」

「鹿原志保。今回の容疑者じゃ」

「志保さんか。あのおなごはちと変わっとる。気にせんこつよ」

「あたい、なにかで彼女のことを取材したような覚えがあるけど、いけな内容だったか思い出せんのよ」

「些細なことでしょ。あんたの悪口なぞ聞いたこつあなかよ。よくできたおなごじゃち評判じゃった」

「気のせいなら、それでよかどん。志保はN新聞を読んでなにか根に持っとったのかも」

「いずれ起訴、裁判になったら、なして悪口を言ったかわかるち。夜も更けてきたし、嫌なことは考えんことよ」

「そうね」

 久野は短く相槌を打ち、食事をつづけた。

「ところで、父さんはいけんしたち? 姿が見えんが」

「町の寄り合いで飲みに出掛けた。隣の横内さんが下戸じゃで、帰りにここまで車で送ってもらうち言うちょった」

「そうね。父さんも楽しく飲んじょるのか。いいなあ」

 幸一郎の知人らと談笑する姿を思い浮かべるうちに、自宅の一家団欒が頭に蘇った。徳広に電話をしようと思い立ち、腹が膨れ、しばらくしてから、電話を掛けた。

「もしもし、わたし、久野だけど」

「おお、久野さんかい。徳広くんじゃろ? 今、かわるち」

 自宅の電話に出たのは川畑の義父だった。

「もしもし、母さん? 徳広だよ」

「元気にしてた?」

「だいじょうぶだって。母さんも元気そうだね」

「明日、そちらに帰れるからね。こっちの事件もほぼ終わったの」

「それはよかった。実は、母さんの作る料理が待ち遠しかったんだ」

「ほんとう? それだけなの?」

「えへへ。実はお小遣いをあてにしちょる。アディダスの靴がほしくてさ。三千円ほどちょうだいよ」

「いいわよ、それぐらいなら。留守番してたからご褒美に」

「やったー。絶対だよ」

 息子の喜ぶ声に、母として役に立ったのが素直に嬉しかった。

「ところで徳広。そろそろ修学旅行があるんじゃなかったっけ?」

「ああ、そうだよ」

「どこに行くのか決まったの? 母さん、教えてもらってないけど」

「ごめん、ごめん。東京だよ。言わなかったっけ? スカイツリーやディズニーリゾートに行くんだ」

「まあ。ホテルに泊まるのね。きっと。高いお金を払うんだから、ちゃんと体験してくるのよ」

「体験か。おれ、都会で切符の買い方とか、外国人との会話とかをちゃんと学んでくるから」

「国際交流はいいとして、遊び以外はなにかないの?」

「そういえば、スカイツリーに登る前に国会議事堂に行くよ。見学ツアーで回れるのは、たしか参議院かな」

「ちゃんと案内の人の言うことを頭に入れるのよ」

「わかってるよ。おれも将来、会議場で質問できるような大物政治家になるのを目指すからね」

「ほんとうならたいしたものね。野次を飛ばす方に回らないでよ」

 徳広の、どこまでほんとうなのか知れない、夢とも冗談とも取れる話に思わず笑いがこみ上げた。口だけは達者になったわ、と息子の成長ぶりに目を細めた。

「じゃあ夜も遅いし、そろそろ切るよ」

「そうね。じゃあ、修学旅行のくわしい話は家に帰ってからゆっくり聞くとするか。おやすみ」

「おやすみなさい」

 息子の朗らかな声を聞けて元気が出た。今夜はとても満足だ。久しぶりの親子の対面を待ち遠しく思った。

 風呂場に行き、服を脱いで風呂に入った。風呂に入りながら明日の仕事のことを思い浮かべた。

 N新聞九州南支局。職場は変わらないが、連休明けの社会部に舞い込む情報は、もう先週ほど過激なものではなくなるはずだ。事件の続報もあるだろうけれど、もう久野の手を離れた。星永産業の圧力を受けながら、殿田の希望するような市民に喜ばれる紙面を作らねば、と思った。もちろん、飯野や品浜を育てていきながら、だが。


 翌日の八日火曜日、朝から飯野が職場に元気な顔を見せた。病気が治り、仕事に復帰した彼は、事件の詳細をあらためて時系列でパソコン上に列挙し、原稿や久野のまとめた資料を基にした三面記事を書いた。

 しかし、久野の本音は記事を書かせたくなかった。猪里市という田舎の平凡な町で四件もの連続殺人事件が起きたなんて、まだ信じられなかった。

「あげんのんびりした、平穏で自然だけが取り柄の町が、こんな悪事で有名な場所になってほしくないわ」

 心の中の呟きに、忸怩たる思いがあった。それは、なかなか消そうにも消えなかった。そうした思いは、新聞記者だろうと、温泉宿の女将だろうと、すべての市民に共通する心情に違いないと思った。

 このあと、どうなるのだろう。市長の娘が容疑者として実刑判決を受けたのちには、市長は責任を取って職を辞するのかもしれない。

 町はどうなるのか。風評被害で、市内で穫れる農産物が売れなくなり、よそから猪里市を訪れる観光客の数も激減しそうだ。ニュースや新聞記事を目にした市外、県外の人々にどんなふうに受け取られるか。

 編集長が、むかし、朝礼の時間にみんなを前にして語った言葉を思い出した。

「われわれは、事実を報道するのが仕事だ。真実は一つでも、真実ほどひとを傷つけるものはない。ニュースを記事にするだけで終わらず、書かれて困惑する側の人たちの心も考えよう」

 その言葉がずしりと胸に響いた。N新聞やライバルのM新聞の記事が猪里市を奈落の底に突き落とすとしたら、どうにもやり切れなかった。いいことだけを記事にするなら楽だ。市民感情としては、伝えてほしくない町の醜聞を記事にしたけれど、ひどく頭が痛かった。殿田の怒る顔が浮かんだ。

 N新聞の九州南支局内という小さな組織内でも社内派閥は存在した。 編集局長寄りの社会部デスクの中平を筆頭とする派閥と、政治・経済部長の安西を筆頭とする派閥であった。安西部長は、専務も兼ねる編集局長の土門と対立する北尾副社長の腰巾着だった。新聞社のデスクは各部に存在し、役職的に言えば課長に相当する。専務、部長、課長の順番でいえば、土門、安西、中平の順で力を持つ。だが、土門と通じている中平の傘下に入る同志は多かった。

 とくだん、安西派が中平派に対して露骨に嫌がらせをするわけではないが、なにかにつけてふたつの派閥は競い合い、助け合うのも派閥同士内で助け合うのが常だった。

 ところが、ここ最近になって、数で劣る安西派に動きがあった。中身の大幅改革とわかりやすい紙面を唱えたのだ。具体的には、N新聞の専属イラストレーターに、新進気鋭で九州出身の雪平成美を起用した。記事の概要を一枚のイラストで表現する視覚に訴えた紙面作りに変え、実売部数を増やした。

 久野は中平派に属している。入社以来ずっと中平派だった。飯野も社会部にいることもあり、中平派である。

 しかし、飯野は今回の事件を担当し、紙面や記事の扱いに関して不満を漏らしたらしかった。中平からちくちく説教され、異動の脅しまでかけられているとの噂が立った。飯野は安西を頼って、社会部のサツ回りが終われば、政治部へ異動を希望しちょる。そんな声も聞こえてきた。

 実売部数の増加を実現し、中平派の不満分子の受け皿として、安西派は中平派の切り崩しを図ってきた。裏に北尾副社長の後ろ盾があったのは間違いない。

 両派閥の対立関係に巻き込まれ、困ったことがひとつ起きた。それは今回の連続殺人事件にも深く関わっていた。例の星永産業の殿田専務が懇意にしていた北尾副社長と会食し、副社長を通してまた社会部に圧力をかけてきたらしいのだ。北尾副社長と対等に渡り合えるのは専務である土門編集局長だけだ。その土門や中平デスクを通り越しての圧力であり、社会部の記者らにとっては憤懣やるかたなかった。

「なんで、なんども外から圧力がかかるんだ?」

「社会部を舐めてもらっては困ると」

「安西部長も、追い風を受けちょるのは今のうちだけたい」

「われわれ社会部記者の取材があってこそ、地元の読者に支持される紙面になるのを忘れてほしくなか」

「数年先、中平デスクが退社したら、安西派に吸収されるのでは?」

 さまざまな声が中平派内で飛び交った。

 派閥の対立は、事件の影響によってよりいっそう社内の風通しを悪くした。原稿を書いた飯野と久野は、猪里市へ取材に出掛ければN新聞への苦情を言われ、風当たりが強かった。

「なんであげな記事を書いたとね」

「猪里市がいけん思われてもいいのか」

 批判やお叱りの声をたくさん聞かされた。それはN新聞をよく読まれている方々で、新聞をよく読んでいるからこその叱咤激励でもある、と久野は飯野に言い聞かせた。

 今回のようないひどい事件は、どこのメディアが扱っても結果は同じである。犯罪や事故の町としていったん悪名高くなったなら、風評被害が避けられないのは、他の例を挙げるまでもなく、実証済みである。

 時がたてば、あの頃こんな田舎でもひどい事件があったね、と振り返れる日が来るのはわかっている。けれど、心に闇を抱えた女子大生とその恋人によって起きた事件の数々は、平和な町に、恐ろしい殺人事件の舞台というレッテルを貼ってしまった。

 久野にはそれが分かっていて、心苦しかった。久野が飯野の立場なら逃げ出したくなるような気持ちを感じただろう。


   *


 逮捕された志保の取り調べが月曜から始まった。志保は、すべての事件に関して殺害は認めたものの、その方法や動機に関しては曖昧な点も多かった。個人的な怨恨で殺害したのは、四件目の鷺沼市議だけだと彼女は主張した。藤宮警部補は、

「お父さんのライバルだから殺した。それもあるだろうけど、他に理由があるんだろ?」

「……」

 志保の肩はわなないていた。

「自白した方が罪ば軽くなる。悪いことは言わんち、吐かんね」

 優しく言いくるめ、

「辛い経験や嫌なことでもあったんじゃろ」

 藤宮は畳み掛けた。自白に信憑性を持たせるため、本心を訊き出そうと試みた。

 志保は鷺沼のことを心底憎んでいた。鷺沼紘一は悪い男だった。

 あの卑怯な男は、一人娘の志保に目をつけた。父の禊(みそぎ)として性的関係を迫ってきた。

「おまえの親父の談合、ばれたら猪里市全体が酷いことになるぞ」

 そう言ってきたのは、四月に入ってからだった。たびたび、父への脅迫メールとは別に、どこで手に入れたのか、志保のメールアドレス宛にのめない要求を突きつけた。

「父の不正をばらされたくなければ、裸の写真を送れ」

「ホテルで三回、性的関係を持ったら、談合の件は見逃してやる」

 次から次へと、しつこく志保にまとわりついてきた。

 ゴールデンウィークの二週間前、自宅の近くで待ち伏せされ、車に乗せられ、離れた町はずれの廃屋に連れていかれた。

 春の陽光が射す中、鷺沼が片手で暗い廃屋の扉を開ける。もう片方の手で志保の体を強く引っ張り、建物の中に突き飛ばした。

 志保はほこりをかぶった地面に手と足をついた。仁王立ちの相手を見上げる。

 にやけた鷺沼がこれからどんなことをしようと企んでいるのかすぐにわかった。背筋に寒気が走る。言葉を発しようとしたが、恐怖で口が震えて言葉にならない。首を左右にふり、拒絶する。

「おい。志保。おまえの承諾ひとつで、談合は見逃してやるよ」

「ほ、ほんとうですか」

 絞りだすようにして、辛うじて小さな声が出る。

「ああ」

「なにを承諾すれば」

 そう言い終わらないうちに、その男は志保の体を覆うようにして彼女の服に手を掛ける。

「いやっ。なにするんですか」

「談合、ばらされたくないんだろ? おとなしくしろ! このあま」

 ひぃと叫んだときには、大人の男の強い力で洋服がまくられ、ボタンが飛び散った。服がはだけて、下着が見えたと思ったら、荒々しい手が伸びてきてナイフの刃が光った。

「もう一度言う。おとなしくしろ。ナイフが肌に触れたら血が噴くぜ」

 ナイフの影が暗闇で見え、志保の体から力が抜ける。それを感じ取ったのか、鷺沼はナイフで服を切り裂き、下着の紐も切った。志保の意思とは裏腹に体は無抵抗で、気付くと相手の思うまま裸にされていた。

「へ。かわいそうに。父親が談合を指示したために、オレに犯されるとはな」

「やめてください」

 目から涙をこぼし、志保は嘆願する。

「やめねえな。たっぷり可愛がってやる」

「なによ……」

「どうした? 警察に言うのか? 逮捕されるのは親父の方だぞ」

「あんたみたいな人間のクズはいずれこの世からいなくなるから」

「威勢だけはいいな。減らず口を叩けるのもいまのうちだけだ」

 相手はナイフを放り出し、上着を脱いで裸になる。手が志保の下半身に伸びる。

「やめてよ。なにするの。やめてってば」

「うるさい。こうしてやる」

 志保の茂みに手が届き、彼女は唇をかんだ。

 涙を流しながら、志保は鷺沼に抱かれた。この男だけは、父や私が有罪になっても地獄へ送ってやりたい。激しい感情が迸る。その気持ちを踏みにじるように、男の一物が自分の中に侵入してくる。

 痛さしか感じない時間が過ぎていく。こんなうす汚れた人間が父を強請っている。そして、私を犯している。それだけで、殺意を抱くのには充分だった。そのときにはっきりとした殺意が芽生えた。

 どれくらいの時間がたっただろう。

 しーんと静まり返り、体に寒気を感じた。男の気配がない。

 起き上がったとき、背中にヒンヤリした感覚を覚え、土を払い落とす。破けた服を着て体を起こす。

 よろよろと歩き、扉を開けると、もう暗くなっていた。そこに車はない。志保はバス停まで歩き、手持ちの金でどうにか家に辿り着いた。

 あのおぞましい強姦の一日が頭に蘇り、志保はいたたまれなくなった。

 もうあの男はこの世にいない。そう、いないのよ。

 しばらくじっと我慢して沈黙を貫いていた志保は、覚悟を決めたのか、重い口を開いた。心の中にため込んでいたであろう殺人の動機や、抱えていた事情をぽつりぽつりと喋りだした。

「個人的に、鷺沼という男が嫌いだった。あの市議には恨みがあった。それとは別に、父から説教され、困らせてやりたかった」

「恨みがあったのと、父上のライバルとはどんな関係があるのか」

「よくわかりません」

「お父さんを困らせてやるとは具体的にいけなわけじゃ?」

「こんな田舎で就職しても未来に希望がない。町が有名になれば面白いだろうし、休学しているのをなじった父を困らせることにもなる」

「なるほど。よっぽど父上が嫌いだったんじゃ」

「そういうわけでもなか」

「話がもうひとつ見えんな。うわべだけの理由では殺人に結びつかん」

 藤宮が頭髪に手をやり、撫でていると、志保はまた黙ってしまった。

「じゃあ、話を戻そう。鷺沼にどんな恨みがあった?」

「子どものころ、私が水やりして大切に育てていたチューリップの花壇があった。鷺沼はサッカーの試合を校庭でやり、ボールを取りに入って、負けている試合の腹いせにチューリップの花を踏みにじった」

「たったそれだけのことか」

「職員室に遊びにいったとき、PTAの会長をしとった鷺沼が、『花壇を壊して、そこにプールの更衣室ば建てましょう』と教頭先生に話を持ちかけていたのを立ち聞きした。無性に腹が立った。悔しさのあまり、腹の虫がおさまらず、その晩は眠れなかった」そこでいったん言葉を区切り、横の白い壁に視線を移して、「大人になり、市議になった鷺沼は市長の座を狙う父のライバルになっていた。復讐するには今しかなかったのよ」

 志保は滔々と語った。表情は冷淡なままだった。話し終えると、そっぽを向いた。

「なるほどな。鷺沼の殺しだけは怨恨か」

「やつだけはいけんしても殺しておきたかった」

「他の殺人は?」

 島谷刑事は咳をひとつして、

「一件目の殺人は意図したもんか」

 と訊ねた。

「あの子は家庭教師の教え子。覚えが悪かった」

「それだけね?」

「正直なところ、てこずっていた。恨みはなかったけど」

「なかったけど?」

「いくら教えても勉強ができない時点で、今回のゲームの罰の対象者になった」

 志保は少し口元を歪めた。

「ゲーム?」

「殺人のことです」

「ゲーム感覚で殺したち意味ね?」

「そげなことです。鷺沼を殺してゲームオーバー」

「質問を変える。ドライアイスはいけんして手に入れよった?」

「インターネットで注文した」

「それをいけなふうに運びよった?」

「品物は発泡スチロールに入って届いた」

「それで?」

「その容器ごとドライアイスを光宏の車に積み込んだ」

「陽菜乃の殺害方法は?」

「部活帰りにいつも通る道すがら声をかけた。車の中で私が首を絞めました」

「それだけじゃなか。ドライアイスを使うちょるだろ? それも意図したことか」

「はい。前もってネットで調べたら、ドライアイスが溶けて高濃度になると死ぬこともあると」

「あるよ。以前、新聞に載った事件では、洞窟に溜まった炭酸ガスで大人が何人も死んどる」

「そげんことは知らんかったけど、気絶した陽菜乃をビニール袋に入れて殺せると思った」

「思ったじゃなく、前もって計画したんだろ。光宏とあんたの役割分担は?」

「車の中で二人で陽菜乃の衣服を脱がせ、私は車を降りて光宏が開店前の温泉の脱衣所に運び込んだ」

「それから?」

「あとは、彼がドライアイスとビニール袋の準備をし、陽菜乃を袋に入れて湯船に浮かべる計画だった。実際うまくいった」

「気を失った陽菜乃をビニール袋に入れるよう指示したのはどちらじゃち?」

「私です」

「被害者の衣服と持ち物はどこへやった?」

「私が川に捨てました」

「二件目の中国人旅行者。李さんだっけ。あれはいけんして殺した?」

「二人の観光客は町で評判が悪く、神社を荒らしよるで、見せしめに殺してやった」

「ようするによそ者だし、だれでもよかったと」

「まあ、そうですね」

「殺害の方法は?」

「二人は単独で行動したのでやりやすかった。李さんの方を尾行し、彼女が自販機で買った飲みかけのお茶を、隙を見て睡眠剤を入れた同じメーカーのお茶にすり替えた」

「なるほど。それで?」

「眠った李さんを現場まで車で運んだ。現場で車から下ろし、地面に寝かせて首に縄を巻き付けた。光宏が見張っちょるあいだに、私が近くで飼われていた馬を連れてきて、縄の端を大木の枝の上に放り投げ、二人で馬の胴体にくくりつけた」

「あとは馬を走らせたと」

「じゃっち。馬の尻を叩いて畑に走らせた。首に縄が食い込んで死ぬと思っちょったが、衝撃のあまり、枝が折れてあの中国人は落下した。口からどろんとした液体が出て、死んだのを確認した」

「恐ろしかおなごじゃな。三件目。あの宇志窪はいけんして?」

「あの男は、夏祭りで私の尻を触った。汚らわしかった。ただ、それだけ」

「殺害方法は? いけんして金庫の袋に閉じ込めたち?」

「私は知らんち。ただ入りたかったんじゃろ」

「こら! 警察を舐めんな」

 刑事は怒った。彼女は疲れてきたのか、投げやりになって罪の自白をいい加減にし出した様子だった。

 とにかく、鷺沼以外の殺人は軽い動機で殺した。最後の殺人をカムフラージュするためのゲーム感覚の殺人だ。志保はぺらぺらと喋った。

「ゲーム感覚と言いながら、綿密に下調べまでして行った計画殺人じゃち、罪は重いち」

「分かってます」

 分かっている割には平然としている。島谷は思った。普通の田舎の女子大生にしてはやることが大胆過ぎる。しかし、起きた事件は事実であり、自白もほぼ間違いない。

 調書をまとめるとき、動機がまだ弱いと思った。子ども時代からの積年の恨みが積もり積もって、私憤から目障りな人物を殺害する計画を立てて実行に及んだ。人殺しをゲームに見立て、人命を粗末に扱った。そういう筋立てで書けばよいのだが、志保の本心を吐露させていない気がしていた。

 なにか大きな力、殺人を起こす力というか切迫した事情。それを志保はまだ隠している。ほんとうは、父を助けたかったのではないかとも考えた。

「睡眠剤はいけんして手に入れよった?」

「私が通う心療内科からもらいました」

「農薬もおまえが入れたんだな?」

「はい。私が劇物の混入や睡眠導入剤を入れる役割でした」

「殺人の実行に腕力がいるときは、光宏に手伝わせた。そうじゃな?」

 念を押すように藤宮は同意を求めた。

「そういうことです」

 志保は藤宮と目を合わさずに頷いた。

「他に罪を犯した覚えはないのか」

「さあ……特にないと思います」

「嘘をつくと罪が重うなるぞ。五日の土曜日、N新聞の川畑記者を呼び出したな」

「え? なんのことですか」

「しらばくれてもやっせんど。調べはついちょる。どこに呼び出したち?」

「知っちょるんでしょ? 鳴沢ダムです」

「そこでなにをした?」

「取っ組み合って、最後は光宏が久野さんを殴打しました」

「それから先は?」

「久野さんが乗ってきた車を奪って、暗くなってから日の出市のホテルへ行きました」

「つまり、傷を負わせ、強盗を犯したことになる」

「それがいけんじゃと言うの?」

「いけんしたって? 立派な犯罪じゃち。強盗致傷ち言うんじゃ」

 刑事は苦虫を噛み潰したような表情を作った。

「もう罪はないけ? よう思い出してみ」

「私にはありません」

「ということは光宏にあるのか」

「さあどうだか。本人が署にいるんだから、彼に訊いてください」

「まだ事件の全容が掴めんと。子どものころに心が傷ついて、大人になってから復讐した。それでは時間が飛び過ぎちょる」

「そうでしょうか」

「市長のライバルだったから殺したちゅうのもおかしか。だいたい、そげん簡単に人ば殺すもんかのう」

「疲れたのでしばらく話したくありません。細かい点については黙秘します」

 志保はきっぱりと言い切った。


 別室では光宏の取調べも同時に進行していた。

「水曜日の件は、きさまが車を運転して、志保と共謀して気絶した陽菜乃さんの服を脱がせ、湯船に運んだんだな」

「はい。間違いありません」

「袋に入っちょったドライアイス、いけんして手に入れたち?」

「おいは知りもはん」

「なんじゃと」

 刑事は机を激しく叩いて、語気を強めた。

「志保がネットで買うたちゅうて、ドライアイス入りの発泡スチロールを持ってきたち」

「木曜の大木に被害者を吊るした件。あれは馬で引っ張ったっち調べがついちょるが、その馬はいけんして手に入れた?」

「それも志保が付近で飼われている馬をこっそり引いてきて、二人で縄につないだ。おいは車からだれか気づかんか見張っちょっただけたい」

「では、次。金曜の金庫殺人。あれは?」

「金庫に遺体を入れたのは、警備員です。志保は宇志窪のお茶に農薬を入れて殺害した。おいと彼女はその遺体を袋に入れ、車の後部座席においちょった」そこで光宏はいったん話を区切り、つづけて、「志保はあらかじめ警備会社の警備員を買収し、金庫の金を彼らと折半する約束ば交わしちょったと。

 二日の水曜は平日じゃった。警備員らは、集配業務で南陽信金に立ち寄った際、回収した現金袋とは別に、金融事務センターから回ってくる、連休明けのときに使う現金袋と、車の中の遺体の入った袋をすり替えた。信金の関係者は、いつものことだからと高をくくり、そのとき立ち会わなかった」

「つまり、信金の人間は、まさか出入りの警備員が犯行に加担していたとは気づかなかった、というわけか」

「そげなこつです」

「最後に土曜の、市議を土に埋めた事件じゃが、火蟻はどこで集めた?」

「それもネットで志保が集めたとしか聞いちょらんです。おいは知らんと。志保は自宅の押し入れに火蟻を瓶に詰めて何十匹も持っちょったとです」

「いけんして鷺沼を殺した?」

「土曜日、鷺沼の自宅に志保が電話を掛けて喫茶店におびき出した。世間話をしたあと、店を出て裏の畑に連れていき、背後からトートバッグを被せて、おいが煉瓦で頭を殴り、気絶させた」

「それで?」

「そのまま車まで運び込み、服を脱がせて下着姿にした、用意した縄で縛ってから、園芸用の手袋をはめて火蟻を瓶から取り出し鷺沼の皮膚を刺させたち」

「服をめくって火蟻に刺させたのは二人でやったち? それとも志保単独か」

「二人でやりもした」

「それで鷺沼は火蟻に刺されてけしんじゃったか」

「うんにゃ。けしんでおらん」

「いけんしたと?」

「心臓が動いていたので、おいが遠くの工事現場まで車を運転しっせ、工事用の盛り土ば少し掘って、二人で土の中に鷺沼を埋めてから土を元どおりに被せたどん」

「そういうことか。司法解剖の結果でも、死因はアナフィラキシーショック死ではなく、生き埋めによる窒息死となっちょる」

「窒息なんですね?」

「最後に訊くが、犯行に使ったおまえの車はいけんしたと?」

「南町のパチンコ店で乗り捨てました。ナンバープレートも外しました」

「そうか」


「いけんじゃった、光宏の方は?」

 藤宮刑事は訊ねた

「わりと素直に吐きもした」

 光宏担当の刑事は、うまくいったと言わんばかりの顔をした。

「被疑者の犯行に使った車は?」

「光宏名義の車で、日産の黒のフェアレディZ。南町で乗り捨てたち言うちょりました」

 のちに、乗り捨てたフェアレディZは、光宏の供述どおり、南町のパチンコ店の駐車場で見つかった。

「さて、残るは殺害動機の解明だ。いましがた、志保から訊いただけではどうにも解せん。調書にそのまま書いても動機が弱い。最後の鷺沼市議の殺害動機だけははっきりさせにゃならんち」

「女の怨恨ですか。根が深そうですね」

「細かい点については黙秘するそうじゃ。殺害の動機については、弁護士にくわしく話すかもしれんち」

 島谷は渋い顔をして喫煙室に向かった。


 火曜の午後、物的証拠を押収するために、二人の自供に基づいてそれぞれの家宅捜索がさっそく行われた。

「まずは二階の志保の部屋だ。置いてあるパソコンを押収しろ。それから、睡眠剤や処方箋などの類い、九〇リットルのビニール袋、注文したドライアイスを入れていた発泡スチロールは……ないか」

 神取刑事の声が飛ぶ。

「他にはありますか」

「毒関係の本や書類。警備員と交わした契約書もあれば」

「はい」

「それに縄だ。縄もあれば持ち帰れ」

「神取課長。赤いスーツケースもありますが」

「おう。それも大事な証拠品だ。陽菜乃さんの遺留品を入れていたはずだからな。中から被害者の毛髪や指紋が取れたら、自供と一致する」

「火蟻はいけんしますか」

「おお、忘れるところだった。直接の死因とは関係なかが、遺体の傷跡と照合させるため、押入れを探せ。あれば押収する」

「了解です」

「園芸用の手袋にトートバッグと煉瓦もな。おいどんも手袋ばはめて、刺されんように気をつけろよ」

「あとですね。ゲームとかゲーム感覚とか言うちょりました。志保のスマホは署内で押収したどん、ゲーム関係のグッズやDVDも、ですか」

「あれば残らず押収するんだ」

「他は?」

「殺人方法や残忍なイラストの描いてある小説類や絵、DVDなどは全て押収だ。あと、あれもだ」

「あれと言いますと?」

「ほれ。N新聞の川畑記者。彼女の署名入りのN新聞や、そのスクラップ、彼女のことを書き記したメモ類があれば持ち帰ろうか」

「わかりもした」

 刑事らは、起訴に向けて、押収した資料を基に、夜遅くまで調書を作成した。

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