ヒトカラ
清水坂 孝
第1話
「いらっしゃいませ!お一人様ですか?」
「あ、はい」
「お時間は?」
「一時間で」
僕は人差し指を上げて答える。
ここは、家から最寄り駅の途中にあるカラオケ店。
今日は、人生唯一の楽しみであるヒトカラをしに仕事帰りに訪れた。
「ご希望の機種はありますか?」
「LIVE DOMで」
「ドリンクバーかワンドリンクオーダーをお願いいたします」
「生ビールを」
「畏まりました、お部屋、10号室となります。ごゆっくりお楽しみください」
いつものルーティンだ。
これから生ビールを一杯飲みつつ、1時間で10曲唄う。それが僕が今生きてる唯一の楽しみだ。
仕事は面白くもないコンピュータのプログラミング。伝票入力や帳票印刷という、所謂ERP(販売管理)システムの開発を担当しているが、まったく面白いとかやりがいを感じない。
ゲームプログラムやスマホアプリならまだしも、伝票入力アプリ開発にどんな面白さがあるというのか。
僕は十年前にコンピュータの専門学校を卒業して今の会社に入社した。
リーマンショックの後だったから、就職は困難を極め、何十社と履歴書を送って、最後まで落とされなかったのは、今の会社(東京システムトップ)だけだった。
取り敢えず就職浪人は避けたかったから、藁にもすがる思いで入社したものの、パワハラ、サービス残業当たり前の所謂ブラック企業だった。
社会人になって、人生が拓けていくという期待は、一瞬にして絶望に置き換わった。
仕事は毎日22時過ぎまで、その後、一時間電車に乗って帰り、朝までやってるカラオケ店で一時間だけ全力で唄う。
一人でカラオケ店に入るのは、最初は勇気が要ったものの、他人に気兼ねせずに自分の唄いたい歌を自由に唄い続けられるヒトカラの魅力にすぐにハマった。
部屋に入ってタブレットのリモコンにスマホをかざす。すると、自動的にログインされ、自分のアバターが表示された。
かなり通ってアイテムをたくさん手に入れたから、アバターの格好が、えげつないほどてんこ盛りになっている。
そしてすぐに採点を予約する。
最初の頃はなかなか点数が出ずに、採点システムがおかしいのではないかと思っていたが、単に自分の歌い方が悪かっただけで、AIによるトレーニングモードで練習していくことによって、点数は日に日に上がっていった。
音程と声のタイミングを合わせることが基本中の基本で、声をしっかり伸ばす「ロングボイス」、声の大きさのメリハリを付ける「抑揚」、後は「しゃくり」、「こぶし」、「ビブラート」、「フォール」というテクニックが加点対象になる。
最近はAIが採点するようになり、心に響くような歌声を出せないと点数が伸びなくなった。
歌の予約はまだしない。
生ビールが来てからだ。
だって歌ってる最中に持ってこられたら採点に影響しちゃうでしょ、というか、単純に恥ずかしいよね...
コンコン。
「お待たせしました。生ビールお持ちしました。失礼いたします」
1分半、なかなか早い。
遅いところだと5分くらい待たされて、何もできないでいたりする。その分お金を返して欲しいくらいだ。
ちらっとネームプレートを見た。
【なかにし】
うむ、覚えておこう。
さて、ログインしたリモコンには今まで唄った歌の履歴や、お気に入りに登録した曲、採点の記録が表示できる。
登録した曲はすべて95点以上で唄えるようになり、最高得点は97.875点。
未だに100点は出したことはない。
テレビ番組で100点を出している人を見たことがあるけど、そんなに上手いと感じなかった。
点数を出そうとすると、採点基準に合わせてきちんと唄う必要が出てくるので、人の感性に訴えるというか感動させる要素が減ってしまうんだと思う。
AI採点はその辺も考慮して採点するようになったらしいけど、どんな基準になっているのかよく分からない。
おっと、今は時間がもったいない。さっさと曲の予約を入れなければ。
登録してある曲から、お気に入りの曲を立て続けに3曲入れる。
○ピッツの「春の○」、○津玄師の「馬と○」、○青窈の「ハナミズ○」。
どれもサビではなかなかの高音になるけど、当然の原曲キー予約!
タブレットには、今まで唄ったデータから唄える音域が表示される。
低いEから3つ上のEまで、ちょうど3オクターブ出せていた。
今まで男性の歌で高音の出せない曲はなく、女性の歌でもめったに唄えない曲はなかった。
前奏が始まり、唄い出しへ、最初が肝心、絶対に音を外さないように、採点が始まる前から少し声を出してチューニングしながら入る。
よし!完璧!
最初はまだ盛り上がらないので、声は抑え気味に入る。そしてボーカルのクセであるフォールも再現。
もうすぐサビだ!サビで一気に盛り上げて行く!
うー!楽しい!
上手く唄えた時の満足感は他のことでは味わうことはできない特別なものだ。
さあ、盛り上がるサビ前のロングボイスー、からの最後のサビ!繰り返し!
よし、なかなか上手く唄えたぞ。
さあ、採点は!さあ来い!
「96.699点」
むう。
どこだ?どこがまずかった?
音程とリズムで少し減点、テクニック系の加点が少ないか、でも元々ビブラートを使わないボーカルだしな。
でも楽しく唄えたからOK!
よし、次の歌ハリキッて行こう!
なんてヒトカラの毎日がずっと続くと思っていた僕だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます