第3週 永久凍土が溶ける日に
一段落、と言ったところだろうか。雌雄は決し、これから裁判が行われる。そこで裁かれる戦争責任については、
「………。」
それでも、マーシーは『彼』を見捨てることは出来なかった。『彼』が、彼女の
「………。」
兄にさえ見捨てられた
誰が、『彼』の裁きを神に委ねるだろうか。
一体誰が―――戦争を
それは
ましてや、無色透明である『神のあわれみ』を青と黄色に塗りつぶした人間達に、正当且つ公平な裁きが出来るとも思えなかった。
これからまた戦争が始まる。火ではなく、冷たい眼差しと凍えるような
「マーシー、入るぞー。」
「!?」
ノックもなく、1人寂しく降る雪を見つめていたマーシーに声をかけたのは、大兄ローマンだった。
マーシーの兄コニーの、5つ子の兄。
ただ、今は彼が、自分に対して何と言うのかわからず、マーシーは目を逸らした。
「今日は寒いな。俺ウィスキーしか持ってないんだけど、ウォッカの方がいいかな。」
「………」
「つまみはボルシチがいいのかな? それともブリヌイ? 出しやすい方でいいよ。」
「…
「飲みに来た。」
いつの間にかテーブルに乗っていた聖書が退かされ、色々な銘柄のウィスキーのボトルが置かれている。
ローマンが何か、酒をキッカケにして言いたいことがあることは分かる。それでも確信を得るのが怖くて、また俯いた。
「まぁ、座れよ。」
「何しに来たんですか?」
「いいから、座れって。」
「貴方にだけは、何も言われたくありません。」
「マーシー。」
「帰って!
「マスクヴァ・コンスタンティン!!」
自分の怒りよりも激しく怒鳴られて、言ってやりたいあれこれが吹き飛んでしまった。涙を浮かべ、祭服を握りしめながら睨みつけると―――。
意外なことに、ローマンは微笑んでいた。勝手に拝借されているグラスに既にウィスキーが注がれている。
「おいで。話をしよう。」
「…うっ、うう…っ。」
ローマンは何を思ったのか、グラスに口をつけ、先に一杯呑んでいる。トクトク、とウィスキーを傾ける音が、まるで戦場の兵士の胸のようだった。
酷く惨めだった。ローマンが優しければ優しい程に惨めだ。ボロボロ涙が零れて、動けないでいると、ローマンは席を立ち、自ら身体を寄せていって、マーシーを抱きしめた。
「よく頑張ったな。
「…『彼』は、世界中から呪われてる。」
「そうだな。」
「それでも、『彼』は―――たった1人の、かけがえの無い、あたしの仲間の1人だった…!」
「…世の中にはな、マーシー。」
ローマンは少し身をかがめて、マーシーと目線を合わせた。
「『戦争反対』って言ってれば、神の国に入れると勘違いしてる人間の方が多いんだ。」
「なんで…? 争いは、神のみこころではないでしょう?」
「政治、経済、取引、利権…。全部人間はおぞましいものだと勘違いしている。軍事開発から家電製品になったものは沢山あるし、その逆もしかりだ。」
「…???」
「なあ、マーシー。第二次世界大戦って覚えてるか?」
「…うん。」
マーシーにとっても、その戦争の記憶は苦いものだった。あの時から、国家と国民のために奔走するようになったと言っても嘘ではは無い。
「あの戦争の時、ユダヤ人や障害者、同性愛者、ジャネットの仲間たちを、ガス室送りにすることを止めなかったのは、
「え…!?」
「
そして、と、一息ついてから、ローマンは言った。
「ヒロシマを怒りに染め、ナガサキの天主堂を焼いたのは、
その時使われた兵器だけは、使われないようにとマーシーも願っていた。ただ、それはその兵器が特別嫌いだとか、そういう意味ではない。
「…怖かった。」
「うん。」
「いつボーバが、あたしの祝福した武器を全て使うんじゃないかって、怖かった。」
「そうだよな。」
「あたし、あたしは、兵器を使う兵士を護って下さるように祝福したの。」
「もちろんさ。」
「核兵器でもクラスター爆弾でもダムダム弾でもパチンコでも、木の枝だって、持ち主が護られるように祝福するわ。」
「当然だ。」
「あたしは…。あたしが、核兵器の克肖者を定めたのは、そんな……核戦争を、起こすつもりじゃ…なくて…。」
「分かってるよ。…『俺』は、分かる。辛かったよな。」
本当の意味で分かってもらえている、と、確信し、マーシーはローマンの胸に飛びついて、わあわあと泣き喚いた。
「ごめんなさい! ごめんなさい!!
「そんなもんだよ、
「うわぁぁぁん!!! 怖いよぅ、怖いよぅ!」
「そうだな。怖いな。これから
「独りは嫌だよぅ、お兄ちゃん! お兄ちゃん戻ってきてよぉ!! 破門解いてよぉ!!」
「
「やだやだやだぁ!!
「うん、コニーじゃなくて、ごめんな。」
そこまで言って、ローマンの目からも、鱗のようなものが落ちた。マーシーを強く抱き締めて、頭を抱え込む。
―――そんな二人の
「おい。」
「うっ…。」
後ろから声をかけられ、危うく後ろを向きそうになり、思いとどまる。もし後ろを振り向いていたら、時代錯誤な大剣に、頸動脈を斬られていた。剣の持ち主は見えない。
「ただの兄妹水入らずの時間だ。すっこんでろ、
「…チッ。」
持っていた銃を落として、両手をあげる。すると、大剣はそのまま背中に移動し、隠し拳銃や爆弾が入ったチョッキをも断ち切った。
「貴様風情が、適うオレと武器だと思うな。頭領に伝えろ、「心配しないでじっとしてろ」とな。」
その殺気は、凍りつく、と言うよりも、灼けつくようで、吹雪と言うよりも熱砂のようだった。分かりやすく言うなら、それは殺気というより怒りだったのかもしれない。
観念した男が、建物から出て行ったのを確認し、大剣の持ち主―――二人の父親は、顔を覆って、崩れ落ちた。
戦争が善か悪かが問題なのではない。
戦勝が良く、敗戦が悪いのでもない。
ただ、悲しむ人が、苦しむ人がいれば、涙を流す。
『それ』は、苦しみを取り除くことも、悲しみを打ち消すこともしない。
ただ『それ』は、人間の近くに来ただけだ。悲しむ人を抱きしめ、苦しむ人と共に苦しむことを選び、この世で最も残酷な処刑を受け入れるほどに。
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