2022/8
第1週 腐教家は一人、資料の山で脱稿ドラッグに酔う
「野ばら、開けて」
夜食を仕立てて戻ってくる。外は悪天候で、バタバタと窓が揺れていた。低気圧で死ぬ、と、言いながらも、魔法の言葉「早割」があれば、不思議と低気圧はオホーツク海を通り抜けて、北極圏に移動するのである。
「………あれ。」
返事がないので、尻を使って扉を開ける。野ばらは、机に突っ伏して寝ていた。
「野ばら、起きて。」
「……ねんどろ、…えでんのその…。むにゃ…。」
翻訳作業中に眠ってしまったからか、先ほど二人で議論していた単語を繰り返している。時計を見ると、普段の就寝時間はとっくに過ぎていた。どうやら就寝前の薬が、溜息をついた所を直撃したらしい。
ここで寝てしまっても構わんのだ。構わんのだが、明日のことと彼女の身体の不具合を考えると、ベッドに行ってもらわなければ困る。お盆を置いて、肩を揺り動かした。
「野ばらー、起きて、ベッド行こ。」
「うーんうーん……。こみけ……ひゃく……。」
「そんなに拘らなくてもいいと思うんだけどな……」
野ばらは、拘りが強い。こうと決めたらそうとしか動かないのだ。そして物凄い人たらしである。困ったことがあったとき、出来ないことがあったとき、よく言えば素直に、悪く言えばプライド無く「たすけてー」と泣きが言える。「ありがとう」という単語こそ出ないものの、全身が目のようなものなので、その嬉しさや感謝の表現たるや、麻薬のようだ。
これで男の1人や2人、たらし込めればいいのだが、そこまで野ばらの魅力というのは万人向けではない。そろそろ行かず後家にならないか心配だ。
「野ばらー、食べちゃうよ?」
二人分出して来た、ようかん味チョコレート菓子なる下手物を突つきながら、野ばらの頭をくしゃくしゃと撫でる。起きそうにない。
一応チョコレート菓子なので紅茶を淹れてきたが、ようかん味のチョコレートに、これで良かったのか、中身を取り出してみても匂いを嗅いでみても突ついてみても分からない。
恐る恐る口に入れる。
「………。おお。」
野ばらの明日の感想が楽しみだ。
「ん…っ?」
目を覚ますと、目の前に座っているはずの相方がいなかった。
「百合愛?」
部屋の中にはいないようだ。ふわ、と、欠伸をすると、ティッシュのかかった皿と、ティーコゼが置かれている。
…そういえば、今日二人で買い物に行ったとき、「ようかん味チョコレート菓子」なるえげつないものを見つけ、買ってきたのだった。そろそろ締め切りも近いというのに、資料が全くまとまらず、本編作業に移行できないので、眠気覚ましと糖分補給に、と、買ったのだ。
「百合愛は食べたのかな……。食べちゃおうかな。」
起こしてくれても良かったのに、と、思いながら、乾燥したようかんよりも硬くなった背骨を伸ばす。首を回すと、音が鳴りそうなのに鳴らない。こういうのは百合愛の方が得意なのだ。
転た寝してしまったからか、頭は重たく、身体は硬い。時計を見ると、一時間ほど時間を無駄にしてしまったようだ。
「早割」の締め切りまで、あと10時間と言ったところだ。資料をまとめることを考えると、少々厳しい。
「……ん?」
と、そこで気がついた。少し避けただけだった筈の書きかけのルーズリーフと、バラバラになっていたルーズリーフが、綺麗にまとまっていることに。手を伸ばして中を確認すると、資料の整理が全て整っていた。
「おおお! 流石私に惚れた女!」
そうなったら答えなければ。自分には自分の、彼女には彼女にしか出来ない、原稿以外の様々な仕事がある。ただ原稿は、自分にしか出来ない仕事なので、こればかりは全力を出すしかない。
「―――よし!」
ブルーライトカットの眼鏡をかけて、パソコンを引き寄せ、ルーズリーフとようかん味チョコレートを隣に置く。ティーコゼは取るだけ取っておいて、少し冷ましてから中を飲ませて貰うとしよう。
そして、ついに。
「おっしゃああああああ脱稿じゃああああああ!!!!」
「ヒャフーーーーーーッ!!!!」
「しゃぶしゃぶキメてえなあーーーーー!!!!」
「キメて良し!!!!」
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