高宮ゼミこと高宮読書会 一冊目
それは、クラス委員の大名行列時の時のこと。
なんとなく記憶にひっかかったバッジがあったので、当然のように控えている橘由香に小声で尋ねる。
「ねぇ。あのバッジ。何だったかしら?」
「たしか、高宮ゼミのバッジだったと思いますが」
帝都学習館学園において、高宮先生と言えば中央図書館図書館館長の高宮晴香先生しかいない訳で。
高宮先生がゼミナールを主宰していたっけと首をかしげたら、橘由香が苦笑して続きを口にする。
「あれは特待生が団結のために勝手につけたようなものです。
けど、高宮館長も黙認していつの間にか伝統に……」
日本社会あるあるである。
思い出した。
ゲーム内であれをつけると、色々有利なイベントが発生するんだよなぁ。
小鳥遊瑞穂が勝ちに来る場合は大体あのバッジをつけさせていた。
特待生派閥をまとめ上げることができる権威があの高宮ゼミのバッジなのだ。
当然そんな事を放課後のネタにしたら栄一くん裕次郎くん光也くんが食いついてくる。
「へぇ。少し気になっていたが、あれはそんな理由があるのか」
「特待生派閥は最大勢力だけど、同時に古くからの会には勝てないからね」
栄一くんの声に裕次郎くんが感想をのせる。
そのまま光也くんが話を引き継いだ。
「苗木会は高宮ゼミとは仲良くするのが伝統なんだ。
特待生の多くは官僚になるからね」
なるほど。ゲームを思い出すと、大体小鳥遊瑞穂が勝つチャートの第一は光也くんを落とす事からだった。
頭の良い人間が帝大法学部経由で官僚にというのは成り上がりの定番コースの一つだからだ。
そして、その動きに政治家派閥の緑政会が裕次郎くん経由で接触。そこから栄一くん経由で競道会へと多数派工作を行ってゆくのだ。
法律を駆使して、政治家を動かすというのは、現実社会でも変わらない。
「ちなみに、高宮ゼミの方がつけているあのバッジ、自前で用意するので自称が可能だそうです」
「はい?」
橘由香の説明に首をかしげる私。
ゲームでは図書館を攻略キャラと10回以上利用すればもらえたのだが、さすがにゲームでない事もあってその条件がそれっぽくなっていた。
「中央図書館で読書会の申請をして、高宮館長と高宮ゼミのOBもしくはOGにそのレジュメを提出して読書会で披露する事が条件だそうです」
「読書感想文じゃないんだ」
栄一くんがつぶやくと橘由香が続きを口にする。
「本については何でもいいそうですが、当然来ている方々からの質問が来る訳で。
そこできちんと受け答えができるかどうかで、受け入れるかどうかを判断するそうです。
こちらにいらしてくださる神戸教授も、高宮ゼミのOBだそうですよ」
裕次郎くんが納得顔で手をたたく。
「あの先生だったら、持っててもおかしくはないな」
「ちなみに、神戸先生は何の本でバッジを獲得したんだ?」
長く続くゼミだから、そのレジュメも有志が目録を作っていた。
橘由香はちゃんと調べておりその本の名前を口にする。
当然読んでみたくなる訳で、じゃあという訳で読書会の真似事をしようというという事になった。
さすがに、レジュメを作ってという事まではするつもりはなかったが、ちゃんと高宮先生に許可をもらって図書館の会議室を押さえ、学生時代の神戸教授のレジュメも用意して感想でも口にしつつそのまま喫茶店でおしゃべりなんて考えていたのだが…………甘かった。
この後食べるケーキよりも甘かった。
始める前からげんなりする私達カルテットと橘由香の五人に、当然のようにいる高宮館長に神戸教授。
これはあれか?『この分野は素人なのですが』って私達をいじめるあれなのか?
「一応聞きますが、どうしてお二方がここにいらっしゃるので?」
「私、ここの図書館の館長なので」
「そりゃあ、このレジュメ書いたの私だし」
『違う。そうじゃない』って五人とも顔で語っているのにこの二人無視しやがるし。
完全におもちゃを見つけた大人二人に、私達五人は蛇に睨まれた蛙のごとし。
「で、どうだった?この本?」
「……すごかったです。色々と」
高宮先生の質問をきっかけに私が口を開き、みんな次々に感想を言う。
事実、この本は本当に衝撃的だったのだ。
「書かれた時代を考えると、対社会主義に対する啓蒙があるとは思いますが、今の米国の考え方の一つを表していると思います」
栄一くんの感想に神戸教授は楽しそうに頷く。
実際、若かりし頃の神戸教授のレジュメにもそこは書かれていた。
「そうだね。新自由主義や今の米国でのIT技術の発展は、この本に出てくるような人たちによってもたらされたんだよ」
「理解はしますが、僕は極端だと思いました。
身内の情とかもう少しやり方はあったのではないかと」
裕次郎くんがなんとも言えない顔でぼやく。
主人公格の一人は、妻や弟や母を『無能だから』と最終的には切り捨てた。
悪いことをして見捨てられたならばまだ救いがあるのだが、彼らは無能だけど善人だった。
「以前講義で話したと思うけど『チャンスはあげるがハンデはあげない』の例がこれだよ。
身内といえども、彼はハンデはあげなかったんだ。
経営者だった彼は弟に『必要な人材になるヒント』すら言っていないんだよ。
後から来て彼に心酔するキャラクターは、彼が必要とする能力を持っていたから彼は受け入れたのにね」
神戸教授の一言に私達五人は慌てて本を手にとって確認すると、そのとおりだったので唖然とし、神戸教授と高宮館長は私たちのそんな顔を見て実に楽しそうに微笑む。
「僕は読んでいて、彼らの資格に疑念を持ちました。
彼らは優秀ですが、彼らが優秀であり続ける事ができるのでしょうか?」
光也くんの感想はずっと考え続けるような声だった。
その疑問に神戸教授は穏やかな声で言う。
「後藤くんの指摘はそのとおりだ。
人は変わり、老いる存在だ。
『騏驎も老いては駑馬に劣る』ということわざもあるが、多分その判別は時代でしかできないんだろうね。
私が天才というものに注目するきっかけになったのはこの本なんだよ」
時代を創る者。天才。
その天才ではない事を自覚している橘由香が手を上げて感想を言った。
「私は怖いと思いました。
私は凡人です。天才ではありません。
天才の方々の支えによって生かされている自覚がありますが、では、彼らに対して何を返せばいいのでしょうか?」
「それはね『ありがとう』という感謝だと思うの。
読み返してみて頂戴。そういった感謝をしたから主人公たちはギリギリまでその凡人たちを見捨てなかったの。
けど、その彼らですら凡人を見捨てた所がこの本の味なのよね」
高宮先生が感慨深く声をかける。
当たり前のように出された本をこの人は読んでいるのが凄い。
私の番となったので、私は少し口調を強めて感想を言った。
「私は、最後に怒りを感じました」
「怒り?」
「はい。楽観的過ぎるかなと」
彼ら天才が凡人たちに虐げられてきたのは認めるし、天才が凡人たちを見捨てたのも理解しよう。
けど、あのラストだけは怒りが出た。
「彼ら天才は、凡人の恨みを忘れています。
何も持たない人間の愚かさを忘れています。
それを忘れているのに、ユートピアなんて作れるわけないじゃないですか」
神戸教授は私の静かな怒りを笑顔で受け止める。
そして、淡々と可能性の一つを口にした。
「桂華院くんの怒りは尤もだし、彼ら天才だけでユートピアは作れない。
凡人という奴隷の存在無しで、ユートピアは成り立たないんだ。この頃はね。
だが、現在社会は機械による自動化で、その奴隷すら不必要になろうとしている」
神戸教授の声は実に楽しそうなのに、私の背筋は凍りついた。
何を言わんとするのか、この本を読んでいるからこそ分かってしまうからだ。
「きっと今、アトラスが肩をすくめたら、天は落ちて地上は大混乱になるだろうね。
けど、アトラスたちは新たな奴隷と共に新天地に移るからきっと古い奴隷たちは見捨てられるのさ。
その怒りも、その愚かさも、向けるアトラスが居なければ意味がない。
どうする?若きアトラス諸君。
最後までその奴隷たちの怒りと愚かさに付き合ってその身を削ってゆくかい?」
私たちは答えられない。
そんなわたしたちを見て、神戸教授は持ってきた小箱をテーブルに置いて開けると、高宮ゼミのバッジである羽ペンと本の金バッジが5つ並んでいた。
「君たちだったら、自称する事もないだろう。
制服に飾りたくなったら、本を持ってレジュメを書いて私達を呼びたまえ。
君たちが私達にどんな本を発表するか、楽しみにしているよ」
帰り道。私は違和感にやっと気づいた。
神戸教授は私達をアトラスと呼んだ事に。
私達がいずれ凡人の怒りと愚かさに肩をすくめると確信していた事に。
たとえ、魂が凡人だとしても、桂華院瑠奈という存在はアトラスという天才に成り果てているという事に。
「どうなさいました?お嬢様?」
「なんでもないわ。
どんな本でレジュメを書こうかしらねと考えていた所。
由香さんはなにか決めている本はあるの?」
「私はとてもこのバッジを飾れる人間にはなれません」
帰りの車の中で由香さんと戯れながら、私はこの違和感を忘れる事にした。
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今回の本
『肩をすくめるアトラス』 アイン・ランド 1957年
改訳文庫版 2014年 アトランティス
岡田斗司夫氏の動画で紹介されたのでポチったのだが、いや。この本マジで凄い。衝撃を受けた。
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