虚塔の宴 宴の始末 その3

 六本木の超高層ビルのオフィスフロア。

 町下ファンドはそこに拠点を構えている訳で、私は岡崎を連れてお礼参り……じゃなかった。富嶽放送がらみの色々で挨拶に来ていたのである。


「お嬢様。富嶽放送買収おめでとうございます」


「どういたしまして。

 幕が下りたと思ったらまた新しい幕でご活躍なようで」


 私の笑顔に町下代表の笑顔は作り笑いである。

 理由はパラダイス・ワンダーマーケット&帝国電話の帝国文化テレビのTOB。

 ネット企業らしく速攻を主張するパラダイス・ワンダーマーケットと動きの遅い帝国電話の連携のもたつきに帝国文化テレビが粘りに粘り、現在の両社の保有株式は26.5%まで進んでいたが、TOB成功となる51%どころか買収防衛策などを拒否できる33.4%もとれるかどうか微妙な位置になっていた。

 ここで、富嶽放送で敗北した総務省が徹底的に介入する。

 持ち株会社的扱いだった富嶽放送とは違い、直接本体である帝国文化テレビを狙ったことで、総務省は再度マスメディア集中排除原則の徹底を放送業界に通達。

 放送法の改正をちらつかせながら、大量の総務省天下りが居る帝国電話に圧力をかけたのである。

 外資が入っていない場合の省庁の圧力の強烈さは言うまでもない。

 ただでさえ動きの遅い帝国電話はこれで更に動きが遅くなる。

 うちの富嶽放送が外資介入のラジオ局であり、成功した後に介入しようとした後の祭りな上、あくまで富嶽テレビを狙わなかった事がここで薄皮一枚の明暗を分けた。


「岡崎から聞きましたけど、五十億ほど出しているみたいなので、一応金主としては様子を聞いておこうかと」


「こんな感じでうちのお嬢様詰るんですよ。

 おかげで…っ!?」


 岡崎の口が止まったのは、私が隣の岡崎の腿を抓ったからである。笑顔で。町下代表の見ている前で。

 これで、誰が主導権を持っているか見せつけているのだ。

 この茶番も岡崎と打ち合わせ済みである。


「ご心配なく。

 この町下ファンドは出資者に損をさせませんとも」


「それはそれは。

 期待させていただきますが、はいそれではと帰れないのもビジネスというものでしょう?」


 作り笑顔の町下代表の額に汗が浮かぶ。

 敵対的TOBは基本短期決戦だ。

 町下ファンドにしてもパラダイス・ワンダーマーケットにしても金を寝かせておく事を悪と考える今の企業であり、こういう膠着した際の予備資金は基本借りなければいけなくなる。

 そして、こういうTOBに絡んでいる企業は膠着しているような場合、高金利で貸してくれるならまだしも、分が悪いとみられて拒否られる事がよくある。

 組んでいる帝国電話は莫大な資金を内部にため込んでいるので出そうと思えば出せるのだが、ここで総務省の圧力が効いて凄く動きが悪くなっていた。

 今回の帝国文化テレビの死に物狂いの防戦に対し、動きの遅い帝国電話から資金を引き出せなかったらTOBが失敗しかねず、それはパラダイス・ワンダーマーケットをたきつけた町下ファンドにも泥がつくという訳で、彼は必死の資金繰りに奔走していた。

 そういう所に私という『鴨が葱と鍋を背負って』のこのこやって来たように見える訳で。

 たとえそれが罠と分かっていても、彼にはその鴨に縋る選択肢しか残っていなかった。


「前に電話で話していたじゃないですか。

 『帝国文化テレビの保有株を買いませんか?』と。

 買ってもいいかなと思いまして」


 要するに、『TOB成立後に帝国文化テレビの保有株を売れ。この金はその代金だ』という訳で。

 岡崎が私の前で小切手をテーブルに置く。

 こういう時に現金でぶっ叩けるのが今の私である。


「ここに五百億円の小切手があります。

 出資形態は岡崎と話し合ってもらうとして、条件は二つです。

 一つは先ほどの帝国文化テレビの保有株の買い取り」


 それは彼自身が話を振ったので町下代表も分かっていただろう。

 だからこそ、二つ目の本命を聞いた時に対応が遅れた。


「もう一つは、ちょっとしたお願いです。

 月光投資公司。これの動きを定期的に教えて欲しいのです」


「月光投資公司……てっきりお嬢様の別動隊と思っていたのですが?」


「そう見えちゃいますよね。やっぱり」


 町下代表がとぼけて私が苦笑する。

 もちろん、私と月光投資公司が無関係な事ぐらいは分かっているだろうが、そういう虚実の駆け引きはこの宴の醍醐味である。


「今回は月光投資公司に『勝たせていただいた』のですが、次は負ける可能性があります。

 そして、対抗できるだろう桂華金融ホールディングスは上場して普通の会社になろうとしています」


「町下さんもご存じと思いますが、俺も商社の資源畑の人間でウォール街の流儀を完全に理解している訳ではないんですよ。

 色々お願いすると思いますが、これはその手付金と思っていただけると」


 私の言葉を岡崎が引き継ぐ。

 少し考えた町下代表は私たちが想定した答えを口にした。


「なるほど。

 アンジェラ・サリバン次期CEOは米国のひも付きですから、自前の目と耳が欲しいと?」


 あまりに巨大になり過ぎた桂華グループ。

 そこには他所からでも分かる問題が二つ存在していた。

 一つは、私が成人するまで誰がこの桂華グループを率いるのか?

 橘・一条・藤堂の三人の内、橘は会長職に祭り上げられて実権を失いつつあり、一条も上場を花道に会長職に移ってアンジェラにCEOを渡すことが既定路線になっている。

 そして、桂華電機連合を率いるカリンは米国企業の経営者。

 外人が桂華を動かす事に抵抗感を持っている人間は思った以上に多いが、私の隣にいる岡崎が桂華商会の社長に就くまで最低でも十年はかかるだろう。

 そしてもう一つは、コングロマリットである桂華グループは巨大化によって経営効率が悪化している。

 桂華金融ホールディングス・桂華鉄道・桂華商会・桂華電機連合。

 この四大企業の下に莫大な企業群が連なっているのだが、米国企業経営の最先端では企業価値を上げる為にこれらの企業を整理して経営資源の選択と集中をするのが主流になっていた。

 つまり、超大規模リストラをアンジェラやカリンが進言すると岡崎が恐れている、というストーリー。

 さらに、調べれば岡崎とアンジェラの確執は分かるだろうから、そのリストラにかこつけて岡崎の失脚をアンジェラが企むあたりまで知ってくれると万々歳である。

 岡崎が実に白々しい声でぼやく。


「戦争している超大国は違いますな。

 この手の費用を湯水のようにつぎ込んでいるんですから。

『戦闘機一機分も使っていない』なんて耳にしましたよ。俺は。

 さすがにここまでの使い方は俺にはできないので、町下さんのお力を借りようと」


 町下代表は、この席で初めて本当の笑みを見せた。

 桂華グループ水面下で囁かれていた派閥争いの証明。

 それがどれほどの波乱と富を生むか彼はしっかりと理解した。

 テーブルの小切手を手に取って、彼は私たちの餌に食いついた。


「名目については、また後程話し合いましょう。

 繰り返しますが、町下ファンドは出資者には損をさせませんのでご安心を」




「お嬢様もひどい人だ。

 あの五百億すら、この先の為に捨てたようなものだというのに」


 岡崎のぼやきは、岡崎とアンジェラ間の確執を晒して彼らを食いつかせようという罠に対してである。

 実際この二人仲が悪いので裏をとったら喜んで仕掛けてくるだろう。

 アンジェラやエヴァやアニーシャの目の前で。

 いくらマネーの化け物と言えども、世界の超大国の諜報機関を前にそれをすればどうなるか言わなくてもいいだろう。

 ついでに言うと、この化け物に彼らは煮え湯を飲まされたばかりなのである。

 何もなかった事になっている桂華金融ホールディングス上場に新宿ジオフロント完成式典。ここでも何かが蠢き、それで国家の諜報機関が奔走していたぐらいは察する訳で。

 町下ファンド経由で情報が流れて誰がこの話に食いつくか?それがさらにマネーロンダリンクやマフィアあたりのアンダーグラウンドに繋がっている事を確信しているからこそ、町下ファンドと五百億円を出汁にして、私は桂華グループのお家争いという餌で日米露の三か国の政府に恩を売った。


「あいにくお金はいくらでもありますので」


 つんけんとしてお嬢様を演じつつ私たちは町下ファンドオフィスを去って、同じビルの最上階のパーティールームへ向かう。

 そのパーティールームを別名義でこの間だけ借り切ったのだ。

 特に、そのパーティールームのあるものについては特別契約で一月借り切る事にしている。


「分かりますか?これ?」

「分かんないなら、分かんないでいいのよ。

 あくまで私の意思表示なんだから」


 昼間の六本木を一望する何もないパーティールームは、それだけでも一見の価値があった。

 夜になると、ここの住人たちの夜景を見ながらの宴が今日も行われるのだろう。

 という訳で、何もないパーティールームに一つだけ置かれた特別契約のそれを眺める。


「また『一月花瓶を借り切って、白いゼラニウムの花束をずっと入れ続けろ』って婉曲的なことを……」


「私、お嬢様ですし、乙女ですし、花言葉って素敵でしょう?」


 白いゼラニウムの花言葉は『あなたの愛を信じない』。

 花瓶の下の敷物は桂華院公爵家の家紋である『月と桜』の紋章が彫られている。

 つまり、彼らに対する警告と宣戦布告である。


「しばらくは彼らは私抜きで踊るでしょう。

 いくらでも、いつまでも、音楽が続く限り……」


(……そして、最後は人を変えて場所を変えても音楽は続くのでしょうね)


 この後に待っているサブプライムローンを引き金にした大崩壊の事は口に出せず、笑顔を作る事で私は口を閉じた。


「で、お嬢様の次の舞台はどちらで?」


 私は岡崎の言葉を笑顔でそのままかわして、このパーティールームを後にする。

 私にとって、ここの虚塔の宴はこれで終わったのである。 




────────────────────────────────


実は虚塔の宴は、この最初と最後だけは決まっていた。

夜の華やかな宴と、昼の何もない部屋の対比。

もちろん作業BGMはマドンナ『ラ・イスラ・ボニータ』である。



『沙粧妙子 - 最後の事件 -』と『沙粧妙子 - 帰還の挨拶 -』について言っておこう。

メリーバッドエンドである。

いかにこの作者がそれが好きか、それを白紙化して苦悶しているかを知って頂けたらと(笑)。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る